イングマル少年とグンネル叔父さん
街の中で暮らしている父方の叔父さん夫婦が、イングマルたち甥っ子のことを煩わしく思っているのに対して、グンネル叔父さんは狭い社宅という都合もあって一緒には暮らせないけど、イングマルのことを本当に大事に思っていることはよく伝わってきます。
90年代に見た当時は自分が若かったのであまり気にしていませんでしたが、よくよく考えたらグンネル叔父さんたちはまだ子どももいない若い夫婦で、ガラス工場で働く共働きで社宅住まいという、精神的にも経済的にも決して余裕のある人たちではなかったんですよね。
それでもあれだけ愛情を持って受け入れているのだから本当にいい人なのでしょう。もし同じ立場にたったときに、同じように出来る人が(自分も含めて)はたしてどれだけいることか…
都会の親族が冷たく、自分たちの家に長く居てほしくないと感じている──という描写はたとえば『東京物語』などにも見られますが、いつの時代でもあることなのでしょうね。
イングマルが連れてきてと懇願していた愛犬シッカンが実は死んでいたことを言えず、そのことを知ったイングマルがあずま屋に閉じこもったときも、夜のうちにドアをぶち破って入るようなことはせず、翌朝に出直してシッカンのことを謝るとともに、イングマルの話をちゃんと聞いてあげるところなんて、保護者として満点な接し方だったように思います。同じようなケースじゃなくても、こういうところは人生のどこかで模範にしたいと思った次第です。いい人だ…。
イングマルとサガ
イングマルとサガの関係は、たとえ私たち見る側に同じような経験があろうとなかろうと、どこか懐かしいと感じるものがあり、思春期前の子どもなだけに、もう全てが純粋で微笑ましさは溢れんばかり……。そこに(最大限に美化した)自身の思い出と重ね合わせてみたりする人もいるかもしれません(笑)。
気が強いくせに他の女の子と仲良くしてるのが気になってリコーダーの音がめちゃくちゃになってしまったり、ホームパーティでその女の子と二人きりになるのを全力で阻止するところなど、あまりにもわかりやすいサガのストレートな行動がまた何とも可愛らしい。。
また、「こっちも見せたんだから君も見せろよー!」みたいなやり取りも本当に懐かしく。。。自分もその昔、似たようなことを言われたことがありまして、今では良い思い出のひとつですが(笑)、こういうのはきっと古今東西どこでも行われる通過儀礼のようなものなのでしょう……
そしてスウェーデンを代表するボクシング選手のヨハンソンとパターソンの試合で村中が湧く中、すっかり女の子らしい服装になったサガとイングマルの二人がソファで身を寄せて昼寝しているラストシーンの、あの幸福な時間ときたら…
悲しい別れがあったからこそ、イングマル少年にはここでずっと幸せに暮らしてと思わずにはいられません。
小学生の初恋の物語を描いた作品は多々ありますが、『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』はその部分を物語のメインとして捉えることはせず、イングマルというひとりの少年がある時期に経験した出来事を、俯瞰するような第三者の視線で描いているところがこの映画を清々しくも温かい、普遍的な名作としているように感じました。
ライカ犬について
イングマルが自身の不運や不幸に負けないように自身に言い聞かせていたのは、色々な事故や不幸で命を落とした人の例を持ち出して「それに比べたら自分はまだマシだ」といったこと。
その中でも度々登場したのが、1957年にソ連の人工衛星・スプートニク2号に乗せられて宇宙に飛ばされたライカ犬でした。
イングマルが語るところによれば「脳と心臓に反応をみるためのワイヤーが取り付けられ、食べ物がなくなるまで地球を5ヶ月回って、餓死した」とのことですが、当時の発表では「打ち上げから10日後に薬入りの餌で安楽死させられた」とされていたようです。(スプートニク2号は帰還できない宇宙船のため)
ですが、さらに後になって発表された論文によれば「打ち上げから数時間後には、過熱とストレスにより死んでいた」のだそうです。(Wikipediaより)
どちらにしても本当に可哀想なことです。
マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)の大ヒット作品のひとつ『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』を見た方の多くは、ベニチオ・デル・トロ扮する収集家「コレクター」のところにライカらしき犬がいるのを見つけたことと思います。
私もあそこにライカ犬がいることに気づいたときにはちょっと泣きそうになりました。
最近また話題になっている(単に自分が興味があるだけかも 笑)量子力学の世界で提唱されてる「観察者効果」や「シュレーディンガーの猫」の理論を勝手に解釈すれば、あの映画のように宇宙のどこかでライカ犬が生きているという世界があってもいいはず。
…ということで今は「そうあってくれたらいいな」と考えるようにしています。
冬から春、そしてエンディングへ
イングマルがあずま屋で朝を迎え、はじめて自分の抑えていた気持ちをグンネル叔父さんに話したのち、物語は緩やかに穏やかにエンディングへと向かいますが、その流れの全てが美しく暖かい、幸せな気持ちにさせてくれるものでした。
まるで「嬉しいことも悲しいことも、いろいろあるんだけどいつだって人生は季節とともに流れていくものなんだよ」といったことを教えてくれているかのような…
川に入ったあと「俺に構うな!」と言う言葉を完全無視(笑)され、みんなにガラス工場の中へ連れて行かれて炉の前で暖を取らされ、さらにスキットルを口に突っ込まれて凍えないようにと無理矢理酒を飲まされてむせるフランソン(笑)。それを見ている子どもたちはまた笑っているが、何だかんだでみんな優しく、平和な光景。
イングマルがサガを見つめると、サガも微笑んだまま見つめ返す。自身に起きた悲しい別れによって心が冷えていたイングマルにもようやく笑顔が戻る。
画面は燃える炉に差し込まれる赤々と熱せられたガラスを捉える──その場の暖かさが伝わってくるかのよう。
春になり、小川は雪解け水が勢いよく流れ、森の草原では牛が日差しの中で草を食んでいる。素朴で美しい光景。
ワンピース姿のサガとイングマル、そしてマンネの3人が、修理を終えた「宇宙船」に乗って飛び立とうとしている。そこを通りかかる芸術家。荷台の像を見てまたもや人々がゲラゲラ笑っているが、モデルとなったベリットにとっては、それもとくに嫌がるほどのことでもない様子。
飛び立った「宇宙船」が着陸に失敗し、肥だめに落下。見ていた人々が心配するが、堆肥まみれの3人が笑いながら出てくる。
ボクシングの世界選手権を皆がラジオで聞いている。母国の英雄が勝つと、村人は大喜び。
イングマルとサガは、ソファの上で身を寄せて寝ている。テーブルの上にはストローが2本刺さったコーラの瓶。
フランソンが屋根の修理をしている──
完全に余談ですが、私はこの映画があまりにも好きだったために知人にプレゼントしようとDVDを購入したものの、やっぱり好みの押し付けみたいになってはイカンと渡すのをやめ、今回これを書くにあたって購入から数年経って結局自分で封を切ったのでした(笑)
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