【ルイス・ブニュエル監督作】映画『ビリディアナ』──人間の身勝手さや罪深さにうんざりさせられる

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 約3年前にルイス・ブニュエル監督のメキシコ時代の3つの作品『ビリディアナ』『皆殺しの天使』『砂漠のシモン』が特集上映されたのを見に行ったのですが、そのときは残念ながら『皆殺しの天使』しか観ることができませんでした。

 

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 ですが今年の夏にシネフィルWOWOW(また名前が変わったらしく今はWOWOWプラス)でこの3作が放送され、すかさず録画。しかし一旦保存してしまうと気が緩むようで年末となった今このタイミングでようやくの鑑賞となりました(笑)。

 

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パルムドール受賞→上映禁止

 フランコによる独裁政権下のスペインを離れ、メキシコに亡命していた時代に撮られた3本ということですが、この『ビリディアナ』はフランコ政権の目をかいくぐって24年ぶりに祖国スペインに戻り、こっそりと撮影したであるとのこと。

 そして撮影済みの素材を息子フアン・ルイスに託してパリに持ち出させ、そこで最終編集の作業を行いスペインの検閲に完成作を確認させないままカンヌ映画祭に発表、アンリ・コルピ監督の『かくも長き不在』と並んでのパルムドール受賞となった作品とのことです。

 スペインの内戦とその後の長期にわたるフランコ独裁政権については、たまたま自分がスペイン語を学んでいたため少しだけ勉強しましたが、美術が好きな人であればパブロ・ピカソの「ゲルニカ」などを通じてであったり、また映画好きの人であれば、たとえば2000年以降の映画だと『パンズ・ラビリンス』『サルバドールの朝』あたりからスペインで続いた内戦の悲惨さを知ることとなった──という方もおられるかと思います。

 そんな独裁政権下の厳しい言論弾圧・思想弾圧が行われている中で、このような流れで母国で映画を撮影し検閲を逃れて世に発表(しかもカンヌでパルムドール受賞)するという大胆な行動は、なかなか痛快なものがありますね。ただフランコ政権下にスペインに戻るという行動には同じ亡命者仲間から批判も受けたようですが…

 無神論者であることを自称していたルイス・ブニュエルですが、キリスト教を揶揄するような描写をたくさん盛り込んだ今作は各国で大スキャンダルとなったとのことです。スペインではプリントは没収、ヴァチカンも憤慨(今だったら「お前が言うな」と総ツッコミ食らいそうですがw)し、イタリアではローマとミラノでもプリントが警察によって没収され、イングランドではロンドン近郊のサリー州で上映禁止となったそうです。

 そして母国スペインでこの『ビリディアナ』が初公開されたのは、映画の完成からなんと16年後、フランコの死後2年が経った1977年だそうです。(パンフレットより)

 

問題作とされた所以

 今作が問題視された直接的な描写としては、前半パートでは叔父のドン・ハイメ(※)が行った行為から親戚間の姦淫と強姦を、薬によって眠らされ胸の上に手を重ねた状態で寝かされているビリディアナに対しての行為からは死姦を連想させるものとなっています。(ハイメ自身もその後、自殺という選択をしてしまう)

※スペイン語で「ドン」とは元来は貴族に対しての敬称で、現在では年配の男性に向けて使われる言葉であり、人の名前ではありません。ここではハイメ様、ハイメ卿といったニュアンスですが今では「○○おじさん」というニュアンスで使われたりもするようです。

 そしてその後の後半パートでは、乞食たちによるパーティの最中の“記念撮影”のシーンであからさまな「最後の晩餐」を思わせる描写があったり、二人の乞食によるビリディアナへの強姦といったものがありました。(ドン・ハイメのときと同様、こちらも未遂に終わっていることで上映禁止レベルで済んだ、という感じなのでしょうかね…)

© 1961 – Unión Industrial Cinematográfica (UNINCI)

 

 また茨の冠を燃やす描写や、髪をほどいて仕舞ってあった鏡を取り出し髪型を直すという仕種に加えて、今までずっと一番上まで閉じていた服のボタンをひとつ開けて肌を露出させたビリディアナの姿からは、信仰を捨ててしまったことを暗示させられます。

 さらには従兄弟のホルヘの部屋を訪ねて中にいた家政婦ラモナと3人でカードゲームをするという場面は三角関係を思わせるものがあり、これらは直接的ではないかもしれませんが、それでもかなり分かりやすい描写でキリスト教に対して不敬な表現となっていました。

 

 このラストシーンの描写についてですが、パンフレットによると脚本段階での検閲で変更要請があり、当初の脚本とは違うものとなったとのことです。以下に引用します。

 

脚本段階で、すでに本作には強姦や近親相姦や死姦のほのめかし、動物虐待、涜聖といったどぎつい要素が含まれていた。

(中略)

検閲から大きな変更を要請されたのは一ヶ所、エンディングだけであった。当初はホルヘのいる部屋へ入ったビリディアナが、後ろ手にゆっくりとドアを閉めることで終幕となるはずであった(従兄弟とのセックスのほのめかし)。現行版では放心状態のビリディアナがホルヘの部屋に入ると、すでに彼と肉体関係を結んでいる家政婦ラモナが室内にいる。そしてホルヘの誘いで、二人の女は彼とカードゲームを始める。改変の結果、現行のエンディングの方が示唆的=不道徳なものになっている(三角関係あるいは三人婚を暗示)との見方もある。

 

 当初予定されていた上記のエンディングは、たしかに相当分かりやすい「ほのめかし」となっているように思われます。

二度も強姦未遂に遭った修道女が、髪をほどき首もとのボタンを外して俗物的な従兄弟の部屋を訪れ、自ら後ろ手でドアを閉める──

 こうして文字にしただけでもこれがどういう意味を持つのか、容易に想像ができるというもの…。ですが現行版のエンディングも、こういった意味合いを匂わせたものであることを認識したうえで見てみると、ホルヘの一連のセリフが非常に不道徳感満載

 

いやこれどう考えても他の意味を持たせてあるだろ

 

 と思わざるを得ないものとなっていることがわかります。

 

行くなよ ラモナ
彼女は君がいても大丈夫

 

カードの遊び方
知っているかい?

 

座って きっと気にいるよ

 

(ラモナに向かって)君も座ってくれ
(ラモナに)座って
夜に気取ってもムダだ

 

初めて出会った時
こう思った
いつか一緒にカードをするとね

 

 さらによく見てみると、そういった場面以外でも修道女であるビリディアナの描写としてはちょっと違和感を覚える場面もちらほら登場していることに気付きます。

 

 ドン・ハイメ邸に到着し、部屋で着替えるビリディアナの艶かしい姿(脚をあらわにしてストッキングを脱ぐ描写)や、ラモナの娘がビリディアナの下着姿を覗いたと言う場面などは明らかに性的なものを連想させる表現ですし、ホルヘが部屋を訪れたときに慌てて十字架と茨の冠を引き出しに仕舞う描写も気になります。

 

 その他、これはちょっと深読みし過ぎかもしれませんが、ホルヘと一緒に暮らしていたルシアが「明日ここを出るわ」と伝える場面で、父親の形見の品々をチェックしながら彼女の話を聞いているホルヘが、手に取った“がま口”の中に指を突っ込んで動かすシーンなども、そういう意味に見えなくもないように思えてきます(笑)。

 ちなみにその直後にホルヘが手にするのはナイフが仕込んである十字架なのですが、ナイフを引っ張り出して開かない懐中時計の間に差し込んで、貝を剥くようにこじ開けようとしています。

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