【NY】映画『ブルックリンの恋人たち』──設定に期待し過ぎていたのかも…【アン・ハサウェイ】

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邦題が内容と噛み合っていない。

 

 まぁ時々こういうズレた邦題がついてしまうことがありますが、そうなってしまう事情も解らなくはないので仕方がないということも承知しているつもりです。

 現在までに3作が作られている『ビフォア~』シリーズも、最初の『ビフォア・サンライズ』の邦題は『恋人までの距離(ディスタンス)』という、続編が作られることなどまるで想定していない単発作品仕様のタイトルとなっていましたし。(といっても続編『ビフォア・サンセット』が作られたのは前作から9年後なのでそこを突っ込んではいけないのでしょけど)

【ビフォア三部作】映画『ビフォア・サンセット』──熱望していた続編が完璧だったという喜び
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 それはまぁ置いといて、今回の『ブルックリンの恋人たち』ですが…

NY+音楽+夜景+恋愛もの

 という、素材的にはテンションが上がる要素ばかりで構成されているので、私のようにNYという街に思い入れとか大きな魅力を感じている人たちにとっては、この映画では一体どんな夢を見させてくれるのかと期待が高まるわけです。

 NYは若い頃に一度だけ行ったことがあるのですが、その後も映画やドラマで見たり旅行してきた知り合いからの話を聞いても、やはり魅力的に思える場所ですし、アメリカという国そのものに対してはすでに相当前から魅力を感じなくなっていても、NYだけは特別といった印象をずっと持っています。

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タイトルも予告もキャッチコピーも噛み合ない

 NYという街が持つ独特の魅力と活気、ブルックリン・ブリッジを望む夜景の美しさ、クラブやライブハウスなどでの楽しそうなナイトライフの様子など、予告編を見ているだけでワクワクしてくるようなステキな映画……

 といった期待がタイトルからも予告編からも漂ってきますが、そういった要素が合わさって起こる化学変化のようなものは、残念ながらこの映画からはあまり感じられませんでした。。

 

 

 この予告編の後半に、次のようなナレーションが入っています。

 

ニューヨーク、ブルックリン

その出会いは、私のすべてを変えた

 

 

………は???

 

 「すべてを変えた」って何が? どこが???

 

 たしかにアン・ハサウェイ演じるフラニーは、弟が大ファンだったというミュージシャン、ジェイムズといい関係にはなりますが、それで劇的な変化がおきたわけではありませんし、ライブが終わったら遠く離れた家に帰ってしまうジェイムズとの今後についてお互いに前向きな決断・行動があったわけでもありません。

 それどころか

「この数日間のことはお互いの素敵な思い出にして、それぞれの場所で生きていきましょう」

 という結末に受け取れなくもないエンディングですらあります。

 

 要するに邦題のような「“ブルックリンの”恋人たち」と言える関係ではないですし、さらにはフラニーが「変わった」のは、大学をやめてミュージシャンになるという弟の選択を否定し仲違いになっていたことと、母親ともろくに連絡を取らないでいたことによる「家族との静かな断絶」が、弟の事故によって修復されたということであって、ジェイムズとの出会いと恋愛がフラニーを変えたというわけではないわけです。

 ましてや「私のすべてを」なんていうのは「一体どこからそんな言葉が出てくるんだよw」というレベルのキャッチコピー詐欺ではないかと(笑)。

他の映画と比較して…

 と、のっけから否定しまくってしまいましたが(笑)、映画自体は悪くはないと思っています。ですからこの映画が好きという人がいても全然おかしくないですし、良かった部分もいろいろありますので、決して駄作というわけではない(と思っている)ことは念のためお伝えしておきます。

 「ロッテン・トマト」「インターネット・ムービー・データベース」などでの評価が平均レベルとなっているのも納得で「大好き!」という人もいれば「普通…」という人も「退屈だった」という人もそれぞれ同じくらいいる──という、まさにそんな映画なのかなと。

 

 例えばですが、ともに2010年代の作品で、同じ「NY+音楽」というくくりで見た場合にジョン・カーニー監督作品の『はじまりのうた』と比べてみると、この両作品には非常に大きな熱量の違いが感じられてならないのです。

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 ストーリー的には全く似ていないのですが、地下鉄やライブハウス、クラブや夜の街などの描写のほか、クライマックスからエンディングにかけての展開が少し似ていたりするのでついつい比較してしまうのですが、

 

・NYという街に対する愛情とかポジティブな期待といったもの

・音楽(または楽曲)に対してのリスペクト感

複数の登場人物への描写の深み

 

 といったものがまるで違うんですよね。せっかくの素材を淡々と使って終わりにしているというか。街にも人にも音楽にも愛情が薄いというか。あまり思い入れとかないんだろうなぁ…と思ってしまいます。

 昏睡状態の弟のために、彼が普段耳にしていたであろう街の様々な音を集めて聞かせるという展開は、アイデアとしてなかなか面白いと思います。ただちょっと思い出せないのですが、他の映画で似たようなものがあったような記憶があるんですよね〜。もしかしたら日本映画か他のアジア映画にもあったかも……。

 

※ちょっと違うけど香港映画ではこういったものも

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 大事な人の事故(または病気)と向き合うこと、というテーマはサラッと流せるものではなく映画の主軸となる大きな出来事なので、そこをどう見せるかが作品の善し悪しを決める重要なポイントとなってくるはず。

 ですがこの『ブルックリンの恋人たち』では、その「大事な人」が弟であって恋人や配偶者ではないこと、そして同時進行で進んでゆく事故の当事者ではない男性との出会いと、その恋の始まりが描かれることになり、結局その両方の要素がどちらも浅く描かれてしまっているところが勿体無いと感じました。

 何年も会っていない家族から連絡を受けて遠く離れたモロッコから帰ってくることになり、そこでいきなり昏睡状態の弟という非常に重い現実に直面することとなったときに、はたしてものの数日で誰かと恋に落ちたりするものだろうか……。

 心の支えになってくれる存在への気持ちが愛に変わってゆくことは至極自然な流れだと思いますが、さすがにそんなに早くはないだろ…と。自分だったらしばらくの間は一日中どこで何をしていても弟のことが頭から離れなくて、とても恋愛どころじゃないだろうなと思います。

 そういったところにも構成の甘さみたいなものが見て取れたような…。これがもし数日とか一週間とかじゃなくて、もう少し期間が長かったらもっと説得力のある物語となっていたのかもしれないんですけどね。

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