映画『皆殺しの天使』【ルイス・ブニュエル監督作】(ネタバレ)──名前から考察してみたり

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 邦題の『皆殺しの天使』、なんとも恐ろしいというか絶望感のあるタイトルとなっていますが、言葉の響きや両極端な言葉の組み合わせが絶妙だなぁという印象です。原題の『El ángel exterminador』Ángel(アンヘル)もexterminador(エクステルミナドール)もほとんど英語と変わらない綴りの単語ですが、エクスターミネーターというと「撲滅者」とか「破壊者」といったような意味でしょうか。

 ちなみに私が普段使っているスペイン語の辞書アプリによると「ángel exterminador」とは

 

(旧約聖書の)滅びの天使(ユダや民族の出エジプト後、エジプトの初子を皆殺しにした)

 

 とあります。またパンフレットによればこの映画は原案段階では『プロビデンシア通りの遭難者たち』というタイトルで、その後修正・加筆をし映画にするにあたり『皆殺しの天使』というタイトルにしたとのこと。この『皆殺しの天使』という名前は絵や戯曲のタイトルから採られたとも言われているそうです。なおプロビデンシアprovidencia=英語ではprovidence)とは「摂理」「神意」「神の導き」といったような意味。

 …といったあたりからもキリスト教を連想させる要素が織り込まれていますが(肯定なのかどうかはともかく)、映画の中でも、世界で二番目にカトリック信仰者が多い国であるメキシコならでは──なのかどうかは分かりませんが、羊や教会などが印象的な形で登場します。

 まぁ向こうだと教会は在って当たり前なんでしょうけど、だからこそあのエンディングが一層効いてくるのでしょう。また閉じ込められたブルジョワジーたちの生け贄になった羊はキリスト教における羊の意味、そして「神の子羊」を思わせます。

 

ルイス・ブニュエル監督について

 

 だいぶ端折ってしまってますが、簡単なプイロフィールはこんな感じです。

 監督:ルイス・ブニュエル、スペイン・アラゴン州出身。マドリード大学時代にサルバトール・ダリやフェデリコ・ガルシーア・ロルカなどと親交を結び、のちにパリに移住し、そこで映画監督を志す。スペイン内戦時代を経て、46年メキシコに渡り、63年以降は主にフランスで活動。国籍はメキシコに変えた。主な作品は『アンダルシアの犬』『昼顔』『ブルジョワジーの密かな愉しみ』『欲望のあいまいな対象』など。

 この『皆殺しの天使』も『アンダルシアの犬』などと同様にシュルレアリズム作品として語られているとのことですが、『アンダルシアの犬』は解説などを読むとちょっと見る気になれない描写があるようで…というかどこかでちらっと見たような気もしますが積極的に思い出したいとも思いません。。

 ちょうど、というわけではありませんが、昨年秋に福島県にある、アジアで唯一のダリ常設美術館である諸橋近代美術館に行ってきまして、それまでは「絵」でしか見たことのないダリ作品が立体像になっているものが数多くあり、非常に面白かったのと同時に、シュルレアリズムというものを正しく解釈(または理解)しようとすることの無意味さみたいなものを改めて感じました。

 もちろん情報を元に作者の意図を出来るだけ理解しようとすることは大事でしょうけど、何が正しい解釈かなんて結局誰にも解らないんだから、各々が自分の思ったように受け取ればいいのでは、と思いました。

 この『皆殺しの天使』はそこまで難解ではないものの、それでも不条理な展開や現象、反復される言葉、倦怠感と閉塞感、いら立ち、飢え・乾きによって現れてくるブルジョワジーの人間としての本性など、見ているとこちらもモゾモゾしてくるような不思議な感覚になってきます。

 

 

なぜか出られない、外からも入れない

 

 ストーリーはこんな感じです。

 オペラを観劇した後に開かれた、とある邸宅での晩餐会。なぜか使用人たちがあれこれ理由をつけて次々と邸宅から出ていく中、20人のブルジョワジーが宴を楽しんでいる。だが夜が更け、朝になっても、なぜか誰もそこから帰ろうとしない。それどころかサロンからも出ることができなくなっていた。物理的に出られないのではなく、「なぜか」出られないのだ。また邸宅の外では警察や中にいる者たちの家族が詰めかけるが、なぜかこちらも邸宅に入ることができない。やがて食料も水も底を付き、閉じ込められた人々の道徳や倫理も徐々に崩壊していき…

 

 まず最初に「おや?」と思うところは、御一行が邸宅に着いたとき、主のノビレが使用人のルカスを呼び「おかしいな…ぶつぶつ」という場面が二度続く場面。ここは全く同じ場面がループしているわけではなく、使用人の女性2人が帰ろうとしたところに御一行が来たので一度隠れ、やり過ごしてからもう一度出て行こうとしたところ、また同じ面々が入ってきて上記の反復シーンとなります。やや記憶が曖昧ですが、たしかブルジョワジーたちの動きは1回目と全く同じではなかったような。

 そしてもう一度やってくる謎の反復シーンは、晩餐会でのノビレの挨拶。なぜか同じ台詞をここでも言うわけですが、最初は客もちゃんと黙って聞いていたのに対し、2回目はお喋りに夢中で全く聞いていません。そしてノビレ本人も「ん? んん??」みたいになっています。まるで催眠術か何かで操られてそうしてしまったような感じです。

 

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