タイムリープによる「修正」の代償は
未来(もしくは現在)で悲しい事件や災害が起こり、誰かの人生が辛いものとなってしまうことを避けるため、現在(もしくは過去)のあるタイミングで別の選択をして違うタイムラインに「修正」する──というのがタイムリープ系映画に多い展開ですが、やはり一度作られたタイムラインを過去に戻って修正するには何らかの代償が必要となってくるようです。
例えばアシュトン・カッチャー主演の『バタフライ・エフェクト』では、何度タイムリープしても必ず誰かが不幸になる未来しか作られない──という連鎖を断ち切るため、主人公エヴァンは最後にとても大きな代償を払うという選択をすることで、愛する女性ケイリーをはじめとした周りの人が皆幸せになるタイムラインを作ることに成功しました。
ちなみにその「エヴァンの最後の選択」には採用されなかった別のエンディングも存在し、映画のエンディングも含めた4バージョンのうちの「ディレクターズカット版」は、これ以上ない「自己犠牲」によって修正するという結末になっています。
※実際の映画のエンディングも含まれているため、まだ映画を見ていない方は見ないほうがよいでしょう。
今作『LOOPER/ルーパー』でも、2044年のジョーは強力なテレキネシス(TK)能力を持つ幼いシドがのちに「レインメーカー」という悪魔のような犯罪王になってしまう原因(母サラが目の前で殺される)を起こさせないため、サラを殺そうとする未来の自分を止める(消す)唯一の方法である
「自分を殺す」
という代償を払うことでサラを救い、シドの心を救い、そして将来レインメーカーに殺される多くの人の命を救ったのでした。
こういった「自己犠牲」がタイムリープ系の映画には多く見られます。『アベンジャーズ/エンドゲーム』や『ターミネーター』シリーズなんかも何気にこの「自己犠牲」によって世界が救われる物語ですよね。
そういえば未来のジョーを演じたブルース・ウィリスは『12モンキーズ』でも(結果的にですが)ディストピアな未来を変えるために犠牲となった男を演じていたり、サラ役のエミリー・ブラントも『オール・ユー・ニード・イズ・キル』で何度何度も時間をループしては、その都度死ぬ経験をしながら最後にエイリアンに勝利して地球を救うという役を演じていました。
一方ジョセフ・ゴードン=レヴィットも、タイムリープ系ではありませんが『インセプション』や『スノーデン』など、かなり「そっち系」(笑)の人が好みそうな問題作に出演していて、この先どんな映画に出るのかがまた楽しみな俳優です。
ジョーとシドの因果関係
未来のジョーがのちのレインメーカーであるシドを殺そうとするのを、文字通り自分の命と引き換えに守った2044年のジョー。
このふたりはとてもよく似た境遇を持ち、ともに「未来から来た男」と「銃」によって人生を変えられたという点でも共通しています。
ジョーとシドは表と裏のような存在…というかループする関係なのかもしれません。
▶︎ジョーの場合
・幼い頃に母親に捨てられ、盗っ人集団に売られた
・集団から逃げ出し、ひとり貨車に乗って街を出る
・盗みを働くなど酷い生活を送りながら、何とか生き延びる
・ある日「未来から来た男」エイブに出会い、銃を与えられて「ルーパー」として生きる
・ジョーを助けた男(エイブ)は「とんでもない悪党になる未来のジョーの姿を見る」
・エイブはジョーに銃と仕事を、そして「新しい人生」を与えた
・幼い頃は母親を軽蔑していたが、母の孤独を理解し許す
・母をヤク中にして自分を買った連中を殺し、母を救いたいと考えていた
▶︎シドの場合
・幼い頃に母親に捨てられるが、のちに母親が現れ一緒に暮らす
・「未来から来た男」に母親を目の前で殺される(修正前のタイムライン)
・ひとり貨車に乗って街を出る( 〃 )
・母を殺された恨みと憎しみを抱き、生き延びる( 〃 )
・能力を悪の道に使い、未来の世界で犯罪王となる( 〃 )
・「レインメーカーが人造アゴ」なのは母を殺されたとき自分も顔を撃たれ、顎を潰されたから( 〃 )
・シドは「銃を持って悪いことを止めさせる」「サラを殺させない」と考える(新しいタイムライン)
・ジョーが「母を殺され、未来の犯罪王となるシドの姿を見る」( 〃 )
・その連鎖を止めるため、ジョーは自らの命と引き換えにサラとシドを救う( 〃 )
・ジョーはシドに「母の愛情を受けて育ち、悪党にならない人生」を与えた( 〃 )
また、ジョーは母の姿を覚えていないものの「母はよく自分の髪に手を入れ、なでてくれた」ことを覚えていました。
それを聞いたスージー(彼女にはシドと同じ日に同じ病院で生まれた子どもがいる)はジョーに同じことをしますが、そのことを知らないサラも倒れて亡くなっているジョーに同じことをしました。
ここでもジョーと母親、シドと母親という関係の因果性みたいなものが感じられます。
あと未来のジョーがやってくる2つの場面の両方に、蛇のような奇妙な形の雲がありました。その他にもタバコの煙であったり、ジョーがダイナーで飲むコーヒーにミルクが溶けてゆくときの模様が印象的に映し出されたりと、「雲」や「もやもやっとして曖昧な形になってゆくもの」は、未来のジョーがダイナーで語っていた
を象徴するメタファーだったりするのでしょうかね。いつもと同様に他の方の解説やレビューは見ないで書いていますので、その辺も解って言及されている方はきっとたくさんいることでしょう。
あ、あとスージーが働いていたナイトクラブの名前が「La Belle Aurore」というのは映画『カサブランカ』からの引用とかでしょうか。恥ずかしながら『カサブランカ』見てないので何ともです。。
もしどこかで見たことがあったのだとしても、そんな昔のことは忘れたさ──ってことで(笑)。
「ループもの」映画としてはこちらもなかなかよく出来ています。
こちらは記憶を巡ることで真相へ辿り着く物語
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