映画『LOOPER/ルーパー』──タイムリープ系の良作④【ブルース・ウィリスが2度撃たれた意味は?】

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タイムリープの複雑さを説明している

 タイムリープ系作品では、本来そうなることになっていたはずの「前提となるタイムライン」がタイムリープによって違う選択が取られ、別のタイムラインに上書きされていくので何かと複雑になりがちです。

 

 これまでは「トンデモ論」とされてきた

「この世界は仮想空間である」
「常に“今”のその選択により次の“今”が決まる」
「宇宙は無限のパラレルワールドで成り立っている」

 といったような概念が、最近になっていよいよ真実であることが証明されようとしているのはご存知でしょうか。

 というか現在では「それが真実である」という証明というよりも、

「それがデタラメであるとは言えない」ことの証明

 がされてきているという段階なのですが、でもそれだけでもすごいことだと思います。

 まぁ「コイツ何言ってんだ?w」と思う人もまだまだ大勢おられることでしょうが、そろそろですよ。映画でも以前よりずっと多くのことが開示されてきていますからね。

 というわけでこの『LOOPER/ルーパー』にも、その複雑なタイムリープとパラレルワールド、多次元宇宙の概念を説明している箇所がありました。

 ダイナーで過去と現在のジョーが対峙した場面で、未来のジョーが言うセリフがそうです。それは

 

「記憶」とは1つの可能性でしかなく、あいまいで本当の記憶ではない。時によって晴れたり曇ったりするもの

 

しかし「現在」についてはすべてが明快である

 

 というものです。

 「「記憶」とは1つの可能性でしかない」→「過去」と「今」を一直線で結びつけているのが「記憶」ですが、それ自体が「1つの可能性でしかない」ということは、私たちが「過去」として認識している不動不変の「事実」は不動不変ではないのかもしれません。

過去と今(現在)という関係は、必ずしも一本道で確実な因果のもと繋がれた関係とは言えず、そのときそのときの「今」の選択によって違ったものとなる──

 過去も未来も「曖昧」なものであるとすると、唯一「明快」なものは「今(現在)」のみ、ということになりますね。

 

 なんだか頭が痛くなってきますが(笑)。

© 2011 – Looper, LLC

 でもその瞬間ごとに選択した結果によって常に世界は分岐していくのが当たり前ならば、「ひとつの可能性」の世界からやってきた未来のジョーが持つ妻の記憶が、次々と新しく上書きされていく記憶の流入によって必死に思い出さなければならないほど曖昧なものとなっていく描写も納得がいくように思われます。

 

 さて、この「その都度ごとの選択によって無限のパラレルワールドが存在する」といったことを書くと、

 

そんな膨大な分岐が全人類規模でしかも瞬間ごとに起こっていたらこの世界はとっくに容量オーバーになっとるわ……アホかw
 

 と考える方も出てきそうですが、地球の人類に瞬間ごとのパラレルワールドが存在している程度で容量オーバーになるかどうかは、たとえばこのへんの動画などを一度ご覧いただいたうえで、改めて再考されることをおすすめします。

※こちらの動画は日本語の字幕も出せます

 

 あと細かいところで面白いなと感じたところは、「TK」と呼ばれるテレキネシスの能力が、2044年の世界ではたいして役に立っておらず「ちょっとした特技」程度のものになっているという点。

 テレキネシスなどのいわゆる「超能力」は本来は人間に元々備わっている力のひとつなのですが、ブロックがかけられていてほとんどの人はその能力を開花させることができません。(エヴァンゲリオンの外装が本来の能力を抑えるための拘束具であるように、人間も意図されてDNAを変えられていたり、また松果体の活性化を妨げるものを日常摂取されられ続けていたりします)

 

 もしも潜在意識でも「自分には100%出来る」と信じていればそれは可能ですが、人がいくら「自分は超能力が使える」と100%信じることが出来たと思っても、それは所詮顕在意識でのレベルでしかありません。

 顕在意識は全意識の中のほんの数パーセントでしかないので、残りの90%以上(一節には99%以上とも)を占める潜在意識・超意識が信じていなければは超能力を使うことはほとんど不可能です。

 逆に頭で考えなくても身体が勝手にやっていること(呼吸など)は潜在意識が行っていることで、100%「出来る」と信じているから、いちいち「よし、息を吸おう/吐こう」などと意識しなくても出来るのですね。

 これまでの映画や小説、コミックなどでは超能力は「特別な人だけが使えるすごい能力/ギフトである」という描かれ方ばかりでしたが、今作のように「10人に1人が出来て、しかもその能力自体実は大したことはない」というのは大変興味深いことです。

 

 例えば、陸上男子100Mで10秒の壁を超える選手は長い間出てきませんでしたが、一度誰かが10秒を切ると、同じように9秒台を出す選手が続々と出てくるようになり、今では9秒台どころか世界記録は9秒58というどんでもない数字になっています。

 

 それまで

 

「絶対無理!」

 

 だと皆が思っていたことはなかなか実現出来なかったのに、誰かが成功すると

 

「あ、出来るんだ」

 

 と人々は思うようになります。そうすると潜在意識が

「人間には絶対無理」

から

「実例があるんだから可能」

 と書き換えられて、それを信じた人が自身の「出来ない」という意識のブロックを外し、能力を開花させることに成功するというわけです。

 

 今作のように「出来ても別に普通…」くらいのイメージを人々に植え付けられたらどうなるでしょう。

 こういった実験的な試み(?)がもっと出てくると楽しいことになりそうな気がしてきます。

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