【モダン・ラブ】映画『フランシス・ハ』──立ち直り、自立した人の笑顔は美しい【『汚れた血』との比較】

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 2012年のアメリカ映画(日本では2014年公開)『フランシス・ハ』は、ニューヨークが舞台のモノクロ映画。この頃のアダム・ドライバーは顔がシュッとしててもっさり感がなく若いですね(笑)。

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 CSの映画チャンネルで放送されたのを見たのですが、公開時のチラシを見た以外はほとんど情報を入れずに見てみたところ、あまりにも唐突な「あるシーン」に驚きました。それについては元ネタの話も交えて後半に書きましたので、映画の内容よりもそっちが気になる方は3ページ目から読んでみてください(笑)。

“ハンパなわたしで生きていく。”

 これはチラシに書いてあるキャッチコピーなのですが、うまいことこの映画のことを表現しているようでもあるし、いやいやその生き方でことごとく失敗してるし最後までそれを貫いたわけでもないしなぁ…という微妙な感じもしなくもない…。こういう煽り系のキャッチコピーって紙一重なんですよね〜

 

あらすじ:27歳・フランシスのNYライフとは

 モダンダンスのカンパニーに実習生として身を置きつつ子供たちにバレエを教えて生計を立てているフランシス。生活は苦しいがクリスマス・ショーに出られればお金も入ってくるし、ダンサーとして団員になるという目標にも手が届くかもしれない。

 プライベートでは大学時代の親友ソフィーブルックリンのアパートで共同生活をしている。

私たちって熟年のレズビアンカップルみたい

 と言うほどツーカーな関係で、ふたりの間に交わされるジョークやじゃれ合い、軽口などは周りの人には通じないレベルで、もはや“気の置けない友人”以上の存在。

 彼氏から同棲しようという申し出があったときも、ソフィーを置いてアパートを出られないと断り、そのことで彼と分かれてしまうフランシスだが(そんなシリアスな場面の真っ最中でもソフィーからの電話にはいつもの陽気なキャラで出てしまう)、ある日ソフィーがかねてからの憧れだったトライベッカに住むために引っ越すことになる。

 ひとりでは今のアパートで生活できないために焦るフランシスだが、友人のレヴとベンジーが住むチャイナタウンのシャレたアパートへ住むことが決まり、テンションが上がる。

 しかし収入源として当てにしていたクリスマス・ショーのメンバーから外され、職を失ったフランシスはそのアパートにも住めなくなり、ダンサー仲間のレイチェル(彼女は団員)の元へ居候させてもらうことに。

 ソフィーが彼氏パッチの転勤で日本へ引っ越していたことをレイチェルたちとの食事の席で初めて知らされたフランシスは、勢いでレイチェルの友人が持っているパリのアパートに2日間だけの旅行へ出かけるが、悲しいくらいに何も起こらず、会おうと思って何度も電話したパリに住む友人とはNYに戻ってきてから連絡が来るという始末。

 パリから戻った翌日、カンパニーのコリーンから「ダンサーとしてうちには置いておけないけど、事務職としてここで働いてみてはどうか」というありがたい提案をされたフランシスだが、余計なプライドと強がりから「他所でダンサーとして働かないかという話が来てるから」と断ってしまう。

 その後、母校のヴァッサー大学でウェイトレスと夏期の常駐アシスタントとして住み込みで働くことにしたフランシスは、ある日給仕として働いていたパーティにパッチと共にやってきていたソフィーと遭遇し、パッチと大げんかして泥酔した彼女を寮の自室に泊める。

 パッチも東京も大嫌い、NYに戻って働きたいと落ち込むソフィーに「一緒に戻ってブルックリンでお互い近くに住もう」と元気づけるフランシス。翌朝置き手紙を置いて黙って帰っていたソフィーを追いかけるが、車はそのまま去っていった。

 時が経ち、マンハッタンのワシントンハイツへ戻ったフランシスは、カンパニーの簿記係として働きながら振り付け師としての活動を始めるようになる。そして彼女がプロデュースしたステージにはソフィーやレイチェル、レヴやベンジーなどが観に訪れていた。

 劇の後、コリーンから振り付け師としての才能を褒められているとき、フランシスはパッチと一緒にいるソフィーの姿を見つける。しばらく疎遠になっている間にソフィーはパッチと結婚し、フランシスは地に足をつけた生活を手に入れていた。

 もうお互いに依存することなく、自立した大人になっていたふたりはただ黙って微笑みながら見つめ合うのだった。

 ようやくNYで自分ひとりでアパートを借りて住むことになったフランシス。郵便ポストに自分の名前を書いた紙を入れるが、ネームプレートを入れるスペースの幅にFrances Halladayという名前が全部収まりきらず、表札に記されたのは

Frances Ha

 という名前だった──

明らかになったタイトルの由来と「Ha」の別解釈

 『フランシス・ハ』という、ちょっと不思議なタイトルのこの映画の「ハ」は一体どういう意味なのかは、

自分で書いた名札がネームプレートに収まりきらず、ファーストネームの最初の「ハ」までしか入らなかったから──

 ということが映画のラストに判りましたが、それが本名からきていることの他に、彼女のそこに至るまでの生活・人生

(本人が)自嘲気味に笑う
(第三者が)軽い嘲りを含めて笑う

 といったような意味の「ハ」も含まれているのかなぁと、個人的には思います。

 

 英語版も日本語版も、ポスタービジュアルではタイトルの『Frances Ha』のうち「Ha」のほうがかなり大きくなっているので、そういった点からもその一音が強調されているように感じられました。(もちろんデザイン的に文字の長さなどのバランスからそうなったということもあるでのしょうが)

 またフランシスは、最後にようやく人のアドバイスや親切を素直に受け入れ、ダンサーになることを諦めて簿記係として働くことを選択しました。

 でもその新しい生活は、それまで思っていたような「ダンサーの私が事務仕事なんて」といった落ちぶれたものではなく、それなりに充実した日々となっていきます。

 さらにその選択は、振り付け師としての自らの新たな才能・生きる道を発見することになり、今までずっと誰かとルームシェアして暮らしてきた生活から脱却し、ようやくNYで一人で部屋を借りて暮らす生活を手に入れることへと繋がっていったのでした。

 アパートの郵便受けに自分の名前のネームプレートを入れることは、彼女の自立を意味します。そう考えると

ここまでいろいろとダメな生き方をしてきたけど、今はまぁなんとかかんとか充実してるよ

 という、精神的にも大人になって少し余裕が出た感じの軽い「ハ」と、

人として成長したけど、幅をちゃんと確認しないで適当にネームプレートを作って失敗するところは相変わらずだけどね

 という、てへぺろ(死語w)的な「ハ」も含まれているのかもしれませんね。

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