アノニマスの仮面
この映画を見ていなくても、Vがつけている仮面は見たことがある人は多いのではないでしょうか。匿名のハッカー集団(2018年の今、このような定義でいいのかどうか分かりませんが)「アノニマス」が公の場に姿を見せる際につけていたのが、このガイ・フォークスの仮面でした。そのときの「アノニマスがつけているマスク」として記憶されていることと思います。映画を見てみると、「Vのマスク」というよりも、大勢の一般市民がこの仮面をつけて国会議事堂へ向かうクライマックスの場面での「“匿名=名無しの集団”がつけているマスク」のイメージでしょうか。
ではこの仮面の元ネタである「ガイ・フォークス」とは一体何者なのでしょうか。
映画のオープニングや、TVジャックをした場面でも語られていますが、1605年にウェストミンスター宮殿内の議事堂を爆破して王と政府の要人を殺害しようと計画したものの、実行する前に発覚し未遂に終わった「火薬陰謀事件」に加わって11月5日に逮捕され、拷問を受けたのち裁判で死刑となり処刑されたのが、ガイ・フォークスです。(Wikipediaより)
陰謀が発覚した11月5日は、イギリスでは「ガイ・フォークス・ナイト」という記念日となっていて、英語でよく使われている「男」「奴」などを意味する「guy」は、このガイ・フォークスの名前に由来するそうです。「タフガイ」「マイトガイ(古っ)」などの他、外国人がよく言ってる「Hey/Hi guys~♪」とかの「guy」です(笑)。うぅむ、そうだったんですね……私は知りませんでした。。
ダークヒーローとしての「V」
善の力が届かないところにいる悪を滅ぼすため、自らが悪となり戦う“ダークヒーロー”は、善の象徴として戦うヒーローとは対をなす存在として、いつの時代も愛されてきました。心に傷や闇を抱えた強き者が、報われない善人の代わりに(もしくは自身の復讐のために)法で裁かれない悪を倒していく──というストーリーは常に魅力的であり、痛みや悲しみを知っているからこそ、虐げられている弱者にとっては「自分たちの代わりに全てを背負い、血を流して戦ってくれる存在」として映るのでしょう。海外・そしてもちろん日本でも、映画に限らずマンガや小説、さらに子ども向けのテレビのヒーロー物でもそういったダークヒーロー的な存在は数多く登場します。
また、ダークヒーローの特徴のひとつとして、台詞が文学的だったりすることも彼らがより魅力的に映る要因だったりします。今作のVも、冒頭の「Remember, remember, the 5th of November. ~」というマザーグース(イギリスの伝承童話)の一節や、マクベスやハムレットをはじめとしたシェイクスピアからの引用、そして台詞のいたるところに意図的に「V」から始まる言葉が使われていたりします。
そのほか、打ち上がる花火が2方向に放射状に飛んで行く軌跡が、夜の闇に浮かぶ「V」の文字であったり、赤いドミノを倒していくとサークルの上に「V」という、あのシンボルが黒い床に浮かび上がる描写などは、同じくアメコミから誕生したダークヒーロー映画『クロウ/飛翔伝説』を思い起こすものがありました。こちらは個人的に超大好きな映画なのですが、この『クロウ』の主人公エリックも台詞が文学的なんですよね。
コミックは基本的に読まないので持っていませんが、雑誌『エスクァイア』日本版1994年9月号に、主演の(そしてこれが遺作となった)ブランドン・リーのインタビューとともにコミックのクライマックス部分が掲載されていて、それで知っているだけなんですが、コミックも非常にカッコいいです。
少し話は逸れますが『クロウ/飛翔伝説』は本当に大好きな映画で思い入れも強かったので、続編が作られると知ったときは正直「微妙だなぁ~w」と思いました。ですがこの続編が、『クロウ』でエリックとシェリーに愛されていた少女サラのその後の話であること、そして撮影監督が(個人的に「私の20代の全て」と言ってもいい 笑)レオス・カラックスの“アレックス三部作”でおなじみのジャン=イヴ・エスコフィエということで俄然期待は高まり、楽しみにして観に行ったらやっぱり微妙だったというオチがあります(笑)。
しまいにゃその後連続ドラマにもなっちゃったりして(世界観ブチ壊しの真っ昼間設定w)、そのドラマには90年代初頭にさくら銀行のCMに出ていたジュリー・ドレフュスが出演していたりしました。ジュリーさん、日本で活動していたころは品のある美しいフランス女性というキャラだったのに、その後のタランティーノ映画での役どころは、見ていてちょっと悲しくなりました……。ちなみに『クロウ』の続編で主演を努めたヴァンサン・ペレーズの、当時の女性誌での肩書きは「目で妊娠させる男」だったと記憶しています(笑)。
“怪物”が生まれた経緯と、その悲哀
Vという“怪物”が生まれることとなったラークヒルの強制収容所での描写は、恐ろしい人体実験や薬物による大量殺人、大きな穴に無造作に放り込まれた大勢の死体などは第二次大戦時のナチスを連想させます。またサトラー政権での独裁、国民の自由意志の剥奪や、異教徒・異人種・同性愛者への敵対、プロパガンダを多用した人民統制などの描写も、悪政に対抗する物語などではよく用いられる展開です。
そして“怪物”となり、復讐に心を燃やす主人公が誰かを愛することによって人間らしい心を取り戻す、というところも、悲哀で終わる結末も含めて(モノクロ時代から続く)多くの“怪物モノ”映画でよく見られた設定となっています。
Vは目的を果たして死んでしまいましたが、ガイ・フォークスの仮面をつけた人々にVの意志は引き継がれ、さらにアノニマスの象徴としてその姿は映画の中から現実の世界へとやってくることとなったのでした。奇しくも同じくヒューゴ・ウィーヴィングが演じた『マトリックス』シリーズで、マトリックスの世界から現実の世界へ侵入してきたスミスのように。
さて、そのヒューゴ・ウィーヴィングですが、今作ではずっと仮面をつけているためほとんど顔が出てきません。ですが一度だけ仮面を外した顔を見ることができる場面があります。
ラストの国会議事堂が爆破されたシーンで、一斉に仮面を外す人々のなかに彼の姿がありました。他にもイヴィーの両親、弟、ディートリッヒ、収容所で亡くなった女優ヴァレリーとその恋人、そして国民を動かすきっかけにもなった、仮面をつけてポスターに「V」のシンボルをスプレーしたために銃殺されたあの少女の姿も。
あと、エンディングで少しだけ流れるローリング・ストーンズの『STREET FIGHTING MAN』も映画とリンクするような歌詞なのでもし気になった方はぜひググってみてください。
『STREET FIGHTING MAN』もその影響力を危険視されラジオで放送禁止になったりもしましたが、この『Vフォー・ヴェンデッタ』のような作品も、大衆を動かす煽動力がある映画なので、公開からまだ12年しか経っていませんが、もしかしたら今のこのご時世、同じようなテイストではこういった映画はもう作れないのかもしれませんね。「悪政に対して今こそ国民ひとりひとりが団結して立ち上がろう!」みたいな映画はよくありますが、設定がいささか現実離れしていたりして、直接社会に影響が出ることがないように作られているのかな、というように感じます。たとえば「なんとかゲーム」とか…。なんとかローレンスさん主演の…
で、この映画は(あまりこういう分け方は好きではありませんが)右・左のどちらにも都合よく利用されそうな作品、といった印象を受けました。仮面をつけた「みんな」は私たち一般市民のことであり、その「みんな」が団結して悪しき権力に対して立ち向かう──という構造は、個人では決して勝てない「権力」への抵抗であるため、右とか左とかの問題ではないからです。そしてそれがいい方向に働けばよいのですが、本当に悪い人たちはそれを巧みに利用し、間違った方向へと人々を向かわせるよう笛を吹いたりしますので、最近の何でもかんでも脊髄反射で反応して、感情のままに怒りをまき散らすような世の中の流れが、悪いほうに利用されないか気になります。
こんな酷い独裁政権がまかり通るような世の中には絶対になってほしくありませんが、世界中で少しずつ時代がこの映画に追いついてきているような気もしなくもないのが怖いところです。。
ですが、日々政府に都合のよいプロパガンダ放送を流していたTVキャスターのルイス・プロセロが言う台詞、
「過去と神の裁きから逃れられるものはいない」
これがブーメランとなって自分に刺さってしまったように、悪い権力は必ず裁きを受ける──そんな世の中であってほしいと願っています。
あと話とは関係ないんですが、劇中ちょくちょく「bollocks」という台詞が出てくるあたりが英国っぽいなぁ〜なんて思いました(笑)。
【ちょっと追記:2020.03.20】
これを書いたのは2018年の8月なのですが、当時からまだ2年経っていないというのに世の中は大きく変わりつつあるようです。
WHOがパンデミック宣言をして、欧州や北米などでも国境を封鎖したり国をまたいでの移動を大きく制限するなど、事態は深刻さを増しています。
ですが今、この状況の中で何かに疑問を感じている人はどれくらいいるでしょうか。
今回の新型コロナウイルスが本当の敵(ラスボス)なのだろうのか? ということに。
今回みたいな経済活動が止まるレベルの制限をかけたり、EUがすっかり分断されるような国家間の人の往来を禁止するなんてことは、よほどのことがなければ実行できないものですよね。
平和ボケと3S政策などの成果で、すっかり何もしない国民になってしまった日本人ならともかく、欧米の人たちがそんなことを許すなんて近隣国で戦争でも起きない限りあり得ないと思っていたんですが、こういう方法もあったのか、と…。
隣の人を疑うようになり
モノが手に入らないことの怖さを体験し
自分たちとは違う民族、人種、国籍の人間は「害」とみなす
人が皆そうなったら、支配する側が人々をコントロールするのはきっと簡単なこととなるでしょう。
「な? だからこれが必要だろ? こういうシステムにしておいたほうがいいだろ?」
この先に何が起こるのか、意識しておく必要がありそうです。
これから世界恐慌が始まるのかもしれませんが、そんななかで「世の中に必要とされて」という名目で、社会インフラなどに思いっきり食い込んでくる企業が出てくるものと思われます。というかすでに大きく食い込んでいるのでしょうが、いよいよ計画が次のステージに進むのかもしれません。
ナノテクの何かが「治療」とか「予防」の名の下に体内に入れられるのかもしれないし、みんなが大好きな、一日中見つめているその長方形の端末に紐づけられるのかもしれませんね。…もうされてるか。。
この映画で、Vが超監視社会の全体主義国家となったイングランドをひっくり返すために長い準備期間を要したように、一度体制が出来上がった後でそれを打ち破るのは、相当困難なものとなることでしょう。
まずはこのウイルスと大恐慌に何とか耐えることとなりますが、同時にその裏で行われていることにも目を光らせつつ、誰が正義で誰が悪かということの判断も慎重に見ていきたいところです。
あとレビューの最後に、
悪い権力は必ず裁きを受ける──そんな世の中であってほしいと願っています。
と書きましたが、本当のことを言うとそんなことは考えていません。悪人を責めて罰することが目的となってしまうと、怒りや憎しみに取り込まれ自分自身が悪に飲み込まれるからです。
シスがジェダイをフォースの暗黒面に引き込むときのやり方に、ずいぶん長いこと「なんだそりゃ」と思っていましたが、今は解ります。
悪の勢力に、彼らと同じ土俵、ルールで戦っても勝てるわけがないんですよね。つまり暴力に暴力で対抗しても勝つのは絶対に無理、という。
映画や海外ドラマなどに出てくるいわゆる「悪魔」と呼ばれるものが実在するとして、その「悪魔」が嫌がるもの、怖れるものは何でしょう──暴力ではないはず。
ガイ・フォークスの仮面をつけた民衆は、暴力で革命を起こしたわけではありません。
皆を導いた一人の男が、人々のかわりに血を流して戦ってくれたのですね。
【さらに追記:2020.05.11】
アメリカや日本で起きていること、起こそうとしていることなどは陰謀系に興味がある方であれば既にかなり調べているかと思われますが、ドイツではこんなことになっているようですよ。
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