映画『恋恋風塵』──数々の名作が並ぶ台湾青春映画の先駆け的作品【ホウ・シャオシェン監督作】

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 80年代の台湾で、若手監督たちを中心に展開された映画界の新しい波「台湾ニューシネマ」。ちなみに「ヌーヴェル・ヴァーグ」とは“新しい波”という意味。

 その中心的存在だった監督のひとり、ホウ・シャオシェン(侯孝賢)の作品『恋恋風塵』(れんれんふうじん)は87年製作の映画。日本では89年に公開されました。

 一昨年の2018年に開催された「台湾巨匠傑作選2018」でも上映されたのですが、このときはエドワード・ヤン(楊徳昌)監督の『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』4時間バージョンと『台北ストーリー』『恐怖分子』の3本を観るにとどまり侯孝賢監督作品は観ることができず、今回ようやくの鑑賞となりました。

 

 『風櫃の少年』(83)に始まり『冬冬の夏休み』(84)『童年往事 時の流れ』(85)と続いてきた“自伝的四部作”の、最後に位置づけられる作品。“自伝的”と言われながらも、監督自身の境遇が色濃く反映した『童年往事 時の流れ』を別にすれば、身の回りで見聞きした人物や近しい人物の体験を元にしていることが多いこの四部作のなかで、本作は脚本家ウー・ウエンチェン(呉念眞)の物語がベースになっている。(略~)

「台湾巨匠傑作選2018」パンフレットより

 

 と解説文にもあるように、かつての少年時代の体験をベースに描いた作品ということで物語は1960年代の終わりごろが舞台となっています。

 主人公アワンアフンが生まれ育ったのは、今では観光地としてすっかり有名になった九份(なお彼らの最寄り駅は十份)で、山の中にある小さな村。

 この小さなコミュニティのなかで幼馴染みとして育ったふたりの距離感や家族間の繋がり・結び付きといったものがどれほど密接なものなのかは、映画を見ていれば容易に想像出来ます。

 だからこそあの結末は、どこにでもある思春期の少年少女の別れとは違う痛みを残すことになるのでしょう…

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あらすじ

 1960年代の終わり、九份の山村で暮らしていたアワン(阿遠)アフン(阿雲)は1歳違いの仲の良い幼馴染み。

 アワンは成績優秀な少年だったが、中学を卒業すると高校へは進学せず、台北で働きながら夜学に通うことにする。それから1年後、アフンも中学を卒業し台北に出てきて仕立て屋で働くことに。

 生まれ育った田舎とはまるで違う台北での生活で、様々な経験をしながらお互いに助け合い成長していくふたり。

 

 そんなときアワンに兵役の通知が届く

 

 アワンが派遣されたのは、台湾本島から遠く離れた中国大陸に近接する金門島で、そこには嵐によって漂着する中国の漁船などもあり、その対応にあたることもあった。

 アワンとアフンは毎日のように手紙のやり取りをして近況の報告などをしていたが、あるときからアフンからの手紙が届かなくなり、アワンのもとには受取人不明となって戻ってきた手紙が溜まっていくだけだった。

 そしてある日、アワンの弟から一通の手紙が届いた。そこに書かれていたのは──

感想と解説

 山の中の小さな村で共に育ったアワンとアフンは、双方の親も当の本人たちも、おそらくは別の選択なんて考えることもないくらいに将来一緒になるものと思っていた間柄のふたりだったのでしょう。昔は日本でも、そしてもちろん世界中の田舎で、こういった環境で生まれ育っていく男女はたくさんいたことと思われます。

 

 中学卒業とともに田舎から台北にやってきて、若くして社会に出たふたりは共通の友達もでき、酒や煙草を覚え時には不運を経験しながらも街の暮らしに徐々に慣れていきます。

 そんな生活の中でお互いは結び付きを深めていき、やがて10代後半の若者としてお互いを幼馴染み以上の存在として意識するようになっていきました。

 

 アワンが寝込んでしまったとき、見舞いに来ていたアフンがベッドで寝ていたアワンに声をかける場面は、ほんの数秒でしたが重要なシーンです。

 このときのカットだけカメラがアフンを見つめるアワンの視線・視点となっていました。他は全て普通(?)の撮り方である「第三者の視点」によるものです。

 「第三者の視点」というのはつまり「登場人物がカメラを見つめない」というもので、いわば映画を見ている私たちの視点とでもいうべきものですが、この場面だけはアワンの視点なので声をかけたアフンはカメラに向かって話します。小津安二郎作品などでよく見るカット…と言ってしまっていいのかわかりませんが、そんな感じです。

 

 この「アワンの視点で見たアフン」は、幼馴染みというよりは恋人を見つめるような視線となっており、実際にここでの彼女の優しげな表情はとても美しいです。このシーンがあることで、アワンはこのとき彼女のことをひとりの女性として好意を持って見ていたことがわかります。

 またアフンのほうも、アワンの兵役行きが決まって落ち込むところや、駅でちゃんと見送ることが出来ずホームで電車を待つ間に走り去ってしまう場面に、アワンがいなくなってしまう辛さが現れていて、彼に対する想いというものが見て取れるのでした。

 そして兵役に就いたアワンに書いた手紙の中で、彼女はふたりの共通の友人、ヒンチュネ(怪我をして右手の人差し指をなくしてしまった彼)と郵便屋の青年の3人で映画を観に行ったことを書いていました。

 その手紙ではかつて郵便屋が(アワンが今いる)金門島で兵役に就いた経験があり、アワンがいる場所がどういうところなのかを聞いた──という体で語られているので

 

 

「えっ、郵便屋と映画を観に行った?」

 

 

 と、一瞬気になったものの、その続きを聞かされると郵便屋の役割は単に

 

金門島での兵役について知る男

 

 というだけのものなんだろうと、この時点では安心していたのですが…

 残念ながらこのことはアフンと郵便屋が親しくなるきっかけとなっていたようですね。

 アフンにとっては(アワンがいないこと以外は)変わらない日常の生活ですが、兵役という辛い時期を台湾本島から遠く離れた金門島で送っているアワンにとって、唯一の心の支えであったアフンが他の男と結婚していたという事実がどれほどショックなことであったかは、想像に難くありません。

 また双方の両親・家族との関係も微妙なものとなるでしょうから(アワンの父親は郵便屋に好意的なようですが)、いつかアワンが素敵なパートナーと出会って幸せな結婚をする日まではお互い顔を合わせるのも気まずい日々となるのではないでしょうか。

 

 まぁ若者というのはこういった経験もしていきながら、それを乗り越えて大人になってゆくものなのでしょうけどね。

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