三崎町三丁目通信

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Pola X

【レオス・カラックス】映画『ポーラX』──公開から20年。④「尊き天使(みつかい)と悪しき天使、そしておわり」【さよならカテリーナさん】

投稿日:2019年11月17日

 第3回目に引き続き、感想編の後半となる今回は、私がイザベル原理主義者(笑)となってしまった理由と、映画の中の対極部分である「光と闇」の描写について、そして主演のふたりの悲しいその後のことなどを書いていきます。

 ちなみにタイトルの「尊き天使(みつかい)と悪しき天使」は小説でのピエールの言葉(もちろんルーシーとイザベルのこと)で、そのあとの「そしておわり」は小説の最後の章タイトルからとりました。

 

 

 

 

もしもグッドエンディングにできたとしたら…

 愛し合う男女が紆余曲折を経て、最後にようやく一緒になってどこかへ旅立つところでエンディング──となるストーリーは映画や小説ではテンプレのようにスタンダードな形です。

 見る側からすると、その後のふたりがどのような人生を歩んだのか、幸せになれたのかが気になるところですが、ほとんどの場合それは見る側の想像に託されます。だからこそグッドエンディングのその瞬間の思い出をずっと持ち続けることが出来るのでしょう。

 

 この『ポーラX』は、話が動き出してからのピエールは何もかもが悪い方向へいってしまい、救いようのないバッドエンドで終わってしまいます。

 もしも「グッドエンディングとなる瞬間」がこの映画の中にあったとしたら、それはピエールがイザベルに「夫婦ということにして一緒に暮らそう」と誘ったあのときかな…と個人的には考えています。

 

「僕はずっと待っていた。この世を超えるきっかけを」

 

 というセリフを聞いたイザベルがポジティブな反応を示して二人が旅立ったならば、一応はそこがグッドエンディングのポイントだったのかもしれません。

 

 ですがそのセリフを聞いたイザベルからは安心や嬉しさといったものは全く感じられず、表情のないその目は空虚に彷徨うのみでした。

 悲しい生い立ちに始まり、戦渦を逃れ大変な苦労の末にフランスへやってきてホームレスとして身を潜めながら生きているイザベルにしてみたら、何不自由のない暮らしをしているブルジョワが満たされた日々に退屈さを感じて

 

「何か激流のような出来事が俺の人生にも起きて、隠された世界の真実を暴き、それを乗り越えてゆくのが自分の運命なのだ」

 

 などといった厨二病的甘々な考え・発言が心に響くはずもないのは当然のこと。

 

 ですから、仮にここがグッドエンディングのポイントだったとしても、このときのイザベルの表情からその後の幸せは想像出来ません。

 うぅむ……となるとやはりどの部分で切ってもこの物語はバッドエンドにしかならないのでしょうか。。

 

 列車の中でイザベルに「これは金になる」と書きかけの小説のデータが入ったフロッピーをピエールが見せたとき、イザベルがそれには何も応えず黙ってビニール袋からパンを取り出し、おもむろにちぎって大きいほう(というかほとんど全部)を差し出すシーンがあります。

 そういった形のない曖昧なもの(=フロッピー/そして実際にこれは何の役にも立たなかった)に頼ることなく、ただ今ここにある“生きる糧”であるパンを取り出して与えようとするイザベルの姿からは難民としての厳しい生活が窺い知れますが、もしもピエールが小説なんてものにこだわらず、生きてゆくためにもっと地味で地道な方法を選んでいれば、少しはまともな展開になっていたかもしれません。

 まぁ苦労知らずの人生で、この荒波を乗り越えるにはあまりにも経験が少ないピエールには、どのみちどこかで溺れてしまう運命だったのでしょうけれど…

 もしピエールにもう少し人生経験があって、冷静さや賢さといったもの持っていたなら、これまでの生活をとりあえず維持しつつイザベルたちの生活を援助するなどして、そこから次の展開を考えるといったことも出来たのでしょうけど、ピエールはあまりにも若すぎたのですね。ちなみにこの辺の若さと拙さもびっくりするほど原作通りです。

 

 

強烈なバッドエンド作品

 さて、この秋で公開から20年が経ち、99年に公開された後も何度も何度も見た今作ですが、いま改めて見直してみてもどうしようもないくらいに救いのないバッドエンドなストーリーで、最後まで見ると気持ちが重くなってぐったりしてしまいます。

 ですが、たとえどこにも救いがなく、血の川の濁流に飲まれるが如くその身を落としてゆくことになっても、運命の存在と出会い、人生の限られた時間をともに生きたピエールとイザベルの物語は、当時まだ20代後半と若かった自分にとっては大きな衝撃を与えるものでした。

 しばらくは映画が頭から全く離れず、熱にうなされたように関連書籍を読みまくり、原作も仕事をしている時間以外ほぼぶっ続けで読み、映画も結局3回観に行くという入れ込みよう(笑)。

 

 ここで恥ずかしいのを覚悟で白状すれば、当時の自分はこの『ポーラX』のイザベルに心を奪われたのでした。

 

 思い返すとマンガやアニメ、映画などのキャラクターに恋をしてしまう(と言ってもガチなのはせいぜい中学1~2年まで)場合、その対象の特徴はだいたいこれらの要素のどれかに当てはまっていました。

 

  • 突然どこかから現れる(転校生、別世界からやってきた、など)
  • 普通の人間ではない(別次元の人、機械、人間以外の存在、など)
  • ずっとここには居られない人
  • 訳あり風で憂いがある
  • 細身である
  • いじらしいことを言う

 

 では今作でのイザベルはどのような人物像だったのかというと…

 

  • ピエールの前に突然現れた謎の黒髪の女性
  • ホームレスのような身なり(東欧からの戦争難民)
  • 強制送還される対象ではないようだが、ここで生きていくのは困難と思われる身分
  • 生い立ちの不幸さに加え、内戦ですべてを失った女性
  • 細身で儚げである
  • いじらしいことを言う

 

 なるほど……そら好きになるわ(笑)。

 

 このイザベルの幸薄さと健気さ、そして魔力がかったような女性としての美しさ、ピエールに「自分がこの(姉かもしれない)女を守らねば!」と思わせる殊勝さ、いじらしさは小説のほうがはるかに勝っているのですが、それでも『ポーラX』のイザベルも厨二病の男の心を鷲掴みにする魅力を十分に持ち合わせていたのでした(笑)。

 

 さて、上に挙げた項目の最後にある「いじらしいことを言う」ですが、闇夜の森でのイザベルの独白の最後、彼女が何と言ったか覚えていますでしょうか。

 

 最後に振り返り、後ろを歩いているピエールに向かって泣きながら言った言葉はこうでした。

 

お願い…

お願い……

 

赦して

 

 あまりに悲しいその生い立ち、そして戦火を逃れ大変な苦労をしてようやく安全なフランスまでやってきた難民なのに、その自分の父親の国であるフランスで非常に厳しい生活を強いられています。彼女自身は何一つ悪いことはしていないのに

 その状況を鑑みれば母違いの弟(かもしれないとされる男)には、もしかしたらもっと別の言葉が出ても不思議ではないのかもしれません。

 

 それは例えば「助けて」かもしれないし、「信じて」なのかもしれません。(「信じてほしい」という願いは後に語られます)

 ですがこのときイザベルが泣きながら口にした言葉は「赦して」だったのです。

 

 

 …念のため書いておきますが、私は今まで「ヤバそうな女につかまってエラい目に遭った」というような経験はとくにしていませんのであしからず(笑)。ちなみに3回目の劇場鑑賞時は当時の彼女と一緒でしたがもちろんちゃんとした人でした(笑)。

 

『ポーラX』劇場公開時のチラシ(表面)

 

光と闇の描写

 レオス・カラックス映画らしからぬ(?)ピエールたちブルジョワの全てに恵まれているような日々の映像と、イザベルと出会ってピエールが変わってゆくところからの映像とでは、35ミリと16ミリというようにフィルムを替えて撮影されていて、その映像の質感もずいぶん違ったものになっていました。映像の質感が明らかに変わるので、当時も観ていて「あっ」と気付いたのを覚えています。こういうのはテレビで見るより映画館の大きいスクリーンのほうが気付きやすいように思います。

 

 また前半のノルマンディーの美しい風景や、目一杯の光が差し込むピエールが暮らす城と庭の光景であったり、ピエールとリュシーが着ている清潔そうな白いシャツとそれによく映えるふたりの金髪、リュシーのウエディングドレス、ピエールの白いバイクなど、「光の中で」暮らしているブルジョワジーのキラキラしたイメージが、気持ち悪く感じるくらいに分かりやすく表現されていました。

 そしてそれらの光の象徴のような明るい色たちは、物語が進んでいくにつれて徐々に輝きを失っていきます。

 

 ピエールのバイクはイザベルとの二度の遭遇によって転倒し凹んで汚れていきます。ハンドルも曲がり、最終的にはエンジンもかからなくなってしまいました。

 それまで白を基調とした明るい服を身につけていたピエールはグレーのシャツとジャケット、そしてその後は黒い服へと変わっていき、美しい金髪も伸びるがままになっていって鈍い色合いへと変化していきます。

 さらにピエールは、先の見通しが立たなくなっていく生活に比例して視力も徐々に落ちていき、先へ進むことが困難になっていくことを可視化するかのように、自身の足も杖が必要なほどに悪くなっていくのでした。

 母マリーがピエールを失ったあと、泣きながら夜の森をバイクで走っているときに着ていたのは黒のコート(ガウン?)で、彼女の葬儀の日は暗いグレーの空で雨が降っており、光は射し込みません。

 

 唯一「光」を手放さなかったのはリュシーで、彼女もピエールたちと一緒に暮らすことになってからは黒い服を着ることもあったものの、白のコートも着続けていて最終的に彼女だけが無事(といっていいのかはわかりませんが…)に生き残ったことを象徴しているかのようにも思えました。

 あと今回DVDを見ていてふと気づいたのが、イザベルはもちろんのこと、ピエールもどんどんみすぼらしい格好になっていく中で、リュシーだけは最後までこざっぱりしていて可愛いかったということ。

 公開当時は自分も若かったので、リュシーは邪魔な存在としか感じられなかったため(ごめんなさい)、そんなところには目がいっていなかったようです。でも20年経ち、中年となった今は映画のリュシーと小説のルーシーの両方とも、その天使性みたいなものに素直に感動できるようになったのかもしれません。装飾品は全くなく身体にぴったりあったサイズ感のあのコート姿は、ピエールとイザベルに仕える守護天使のようでもありました。(実際にリュシーはピエールを守るためにやってきた)

 

 またDVDの中にはメイキング映像集も収録されていて、ホテルの前で女の子(ミハエラ)が立っているシーンの撮影時にジュリエット・ビノシュがちらっと顔を出したときの映像も入っています。別れてからすでにかなりの年数が経ち、ジュリエット・ビノシュは『ポンヌフの恋人』以降、女優としてのキャリアを順調に積み上げている最中ということもあるのか、余裕のやり取りといった印象でした。

 

『ポーラX』劇場公開時のチラシ(裏面)

 

ピエールとイザベル、ギョームとカテリーナ

 ピエール役のギョーム・ドパルデューとイザベル役のカテリーナ・ゴルベワは、残念ながらどちらもすでにこの世にはいません

 

 『ポーラX』以降にギョーム・ドパルデューの身に起きたことや死因についてはネットですぐに見つけることができます。

 亡くなったというニュースをネットの記事で見たときは残念で悼ましい思いでしたが、例えばドニ・ラヴァンのように思い入れがある俳優というわけではなかったので正直なところ大きなショックを受けるというほどではありませんでした。

(余談ですが“アレックス三部作”以降の空白の期間に公開された、ドニ・ラヴァン主演のファイト・ヘルマー監督作『ツバル』も速攻で観に行きましたw チラシや宣伝用のリーフレット、パンフなどがなかなか可愛くてお気に入りです)

 

 ですがカテリーナ・ゴルベワさんが亡くなっていたことを知ったときは、どう表現すればよいのか分からない不思議な気持ちになりました。

 自分の心の中にずっとその場所を空けておいた、何か大切な思い出のようなものがふっと消えてしまった──そんな感じとでも言えばよいでしょうか……。

 

 カテリーナさんが亡くなったのを知ったのはかなり遅くて、2012年か2013年になってからだったように記憶しています。

 彼女が亡くなった2011年当時、私はまだ東京に住んでいましたが、3.11と自分との直接的な関わりによって、少なくともその年は映画のことは考えられる状況ではなかったため、自分の頭がそういった情報をキャッチすることが出来なかったのかもしれません。

 そんな状態は翌年も続いていたので、カラックス監督の次作『ホーリー・モーターズ』も映画館では見ておらず、数年後にWOWOWだったかスターチャンネルだかで一度見ただけです。(『TOKYO』は公開時に劇場で見ています)

 

 カテリーナさんの死因は公式には発表されておらず、読むことができるものはアンオフィシャルな情報だけのようです。

 

 第三者があれこれ詮索するものでもないのでそれについては探りたいとも思いませんが、亡くなったというニュースを読んだあとに調べてみたら、彼女が『ポーラX』ののちにレオス・カラックスと結婚して娘が生まれ、彼女の死後はカラックスが娘を育てているというのを知って驚いたのを覚えています。(ふたりが離婚したのが2011年だそうで、それも胸が痛むところですが……)

 映画公開時に読んだ雑誌のインタビューで彼女に子どもがいることはすでに知っていましたが、ロシア人の最初の夫との間にひとり、2番目の夫である映画監督のシャルナス・バルタス(今作で謎の組織のリーダー役として出演)との間にも子どもがひとりいて、そしてカラックスとの間に授かった娘と、合わせて3人の子どもがいたというのは知りませんでした。

 レオス・カラックス映画のヒロインで、のちにカラックスの妻となった人であるにも関わらず、カテリーナさんの情報は非常に少ないのですが、数年前に見つけた(ファンが作ったものと思われる)Flickrに写真がたくさんあるので、時々思い出したように眺めてみたりしています。亡くなる数年前の映画の画像もありますが、年齢よりずっと若くて奇麗で、亡くなったのが本当に残念です。

 

 エンドクレジットを見て「えっ!?」と思った『ホーリー・モーターズ』も、一度しか見ていないのでどこかでまた見てみたいなぁと思っています。

 

 というわけで、こんな読みづらくてくどいレビューを最後まで目を通していただきましてありがとうございました。(もちろん全部読んだとは限らないのでしょうけどw)

 大変思い入れのあるこの『ポーラX』についてようやく書くことができて、自分でも満足しています。“アレックス三部作”についてもDVDを持っている『汚れた血』以外の2作をまた見ることができたら感想を書きたいと思います。

 

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三崎町三丁目通信の主筆・Kです(個人運営ですが)。映画の感想を中心に、趣味で続けているスペイン語学習(DELE A2取得で止まっています)と最近始めた英語学習のことなどを書いています。本業はフリーランスのグラフィック&エディトリアルデザイナー。びっくりするくらい将棋が弱いです。

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