【トリコロール三部作】映画『トリコロール 白の愛』──“平等な愛”というものは存在するのか【BLANC】

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雑誌からの引用

 映画公開の翌年、『恋人までの距離(ディスタンス)』(原題:Before Sunrise)公開のタイミングに合わせて特集が組まれた雑誌『スウィッチ』’95年13号「特集 ジュリー・デルピー[パリを遠く離れ]」の中の、今作に関して書かれている部分がまた面白いものでしたので少しだけ引用して紹介します。

 なお『恋人までの距離(ディスタンス)』は、その後長い年月を経て続編が2作公開され、こちらも三部作(現時点では)となっており「ビフォア三部作」と呼ばれています。『〜サンライズ』『〜サンセット』の2本が素晴らしく、とりわけ『〜サンセット』は超名作だと個人的に思っています。

 

【ビフォア三部作】映画『ビフォア・サンセット』──熱望していた続編が完璧だったという喜び
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引用

雑誌『SWITCH』1995 vol.13 No.5

ジュリー・デルピー特集号より

(文:川口敦子氏)

 

 FABER&FABER社から刊行されている「KIESLOWSKI ON KIESLOWSKI」の中で、キェシロフスキは『トリコロール/青の愛』を女の映画、『~白の愛』を男の映画、そして『~赤の映画』を男と女の映画だと述べている。この発言を乱暴に主演俳優にあてはめれば『青』はジュリエット・ビノシュの、『白』はズビグニェフ・ザマホフスキの、そうして『赤』はジャン=ルイ・トランティニアンとイレーヌ・ジャコブの映画ということになるだろうか。脚本を書く段階で彼らを念頭に置いていたのは確かだと、これは来日した監督に取材した際に聞いた。

 が、それでは『白』のジュリー・デルピーは男の映画を脇で支えるだけのヒロインにすぎないのだろうか。他の二編の女優たちと比べれば出番は確かに少ない。けれども映画全体に響く彼女の存在の大きさはビノシュにも、ジャコブにも劣っていない筈だ。

 聞き手のそんな不満を察したのか、三部作の女優たちについてキェシロフスキはいかにも公平を旨とするような以下のコメントを提供してくれた。

 「ジュリーについては脚本を書き終えてから出演を検討した。が、実を言えば彼女は『赤』にもいいかなと一瞬、思わなくはなかったんだ。でも最終的にはやはり『白』でなければならないと確信した。それぞれのヒロインはそれぞれの女優と似た部分をもっている。私の演出のせいもあるだろうし、彼女たちが元々、備えているものが役にふさわしかったという面もある。いずれにしても交換不可能のキャストだった。ジュリーが『赤』ではあってはならないようにイレーヌが『赤』以外を演じることも考えられない。『青』のヒロインと同様にビノシュはクールで、きっと前をみつめたような所があり、自分の意志を貫いていく。イレーヌは素顔でも『赤』のヒロインそのままの何ともいえない不安の感覚を漂わせている。ジュリーは、それはもうあの圧倒的な白さの印象だね。映画で使った少女の彫像はもちろん彼女をモデルに作ったものではないけれど、まるでそうであるかのようにぴたりと一致するものがあった」

 

 ジュリー・デルピー特集号に載っているものなので当然ジュリー・デルピー寄りの内容となっているわけですが、彼女のファンにとっては嬉しい発言ではあります(笑)。そして監督が言うように、カロルの葬儀の翌朝、幸せそうに眠るドミニクの白い肌はたしかに思わず息をのむほどの美しさでありました。

 

 

“平等”とは

 これまでは常にカロルからドミニクへの一方通行の愛でしかありませんでしたが、帰国し実業家として成功を収めたカロルが企てた計画によって、ようやくカロルがドミニクからの愛を受け取り、愛において“平等”の関係となることができました。刑務所に入れられたあとも、様子を見に来て外から双眼鏡で見つめるカロルに対し、手振りで自身の愛を伝えるドミニク。そしてそれを見て涙するカロル。

 しかし皮肉にも、ようやく心から愛し合えるようになった二人は直接会うことも、触れることも出来ない関係になってしまいました。このまま悲しい愛の物語として終ってしまうのか、それとも何か違った展開が待っているのか──三部作の最後『赤の愛』の中で、その断片を見ることができます。

 

当時はジュリー・デルピー推しだったのに…

 映画館でよくチラシを集めて持っていく人を見かけますが、私もそのなかの一人です(笑)。

 書籍などは発売からしばらく経っても買うことが出来る場合が多いですし、雑誌もある程度の期間なら本屋から消えたあとでも購入することは可能です。ですが映画のパンフレットはそこを逃したら入手するのは相当難しく、入手できても中古だったりします。そして映画のチラシとなると、あとから手に入れることはほぼ不可能です。

 映画のチラシ(多くの場合ポスタービジュアルと同じ)は商業デザインとしてのひとつの作品で、映画の世界観を表現する大事なツールでもあると思っています。実際私は気に入っているものをB5の額縁に入れて廊下にずらっと飾って「映画館みたいでいいわぁ~」とひとり悦に入っています(笑)。歳を取ると分かることですが、こういう「二度と手に入らないもの」って本当に貴重なのです。それが好きなものだったら尚のこと…。

 というわけでこの「トリコロール三部作」も、貧乏だったけどパンフは当然購入し、チラシもそれぞれデザインが秀逸だったので全部揃える気満々でした。

 ですが……この『白の愛』だけ、公開前のチラシを置いてある時期に映画を観に行かなかったために入手することが出来ませんでした…。。。逆に普段は買わない前売り券を購入して観に行ったので、上に画像を載せているように今も残っているのですが……肝心の、あの右手を挙げたジュリー・デルピーのイメージとデザインが素晴らしいチラシだけが、手元にありません。。

 三部作だから全部揃ってこそ意味があるのに(正確には青・白・赤の3つと、三部作セットの計4つが存在します)欠けが出てしまったことも痛恨ですが、その3つの中でも個人的に一番欲しかったものが無いというこの無念さときたら………

 

三部作のチラシ。ちなみにパンフレットの表紙もこのデザインを踏襲したものになっています

 

 この『白の愛』は、映画自体は自分の中でそこまで心に残るようなものではないのですが、三部作としての価値、ジュリー・デルピーの美しさ、そしてチラシを入手できなかった悔しさ(笑)の相乗効果で、思い出の一作となっております。まぁ、そういう映画があってもいいのではないかと…。

 

 上でのちらっと書いたように、ジュリー・デルピー出演作品で私が最も好きな映画は『ビフォア・サンセット』です。前作からの踏襲と逆パターンの使い方、展開と結果、そして最高にイケてるラスト──

 エンドロールが流れた瞬間、心の中では拍手喝采でした。あまりにも素晴らしくて。

 

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