人が自由であることは可能か?
彼らは本当に平等を欲しているか?
そして博愛の精神を持っているか?
さらに言えば、私は“三つの物語”にも興味がある……。
クシシュトフ・キェシロフスキ
(パンフレットより)
ポーランドのクシシュトフ・キェシロフスキ監督が『ふたりのベロニカ』の次に(そして最後に)撮ったのは、フランス国旗の三色である「青・白・赤」と、それぞれの色が意味する「自由・平等・博愛」をテーマにした「トリコロール三部作」と呼ばれる3本の映画。
その第一弾がこのジュリエット・ビノシュ主演の『トリコロール 青の愛』です。
あらすじ
交通事故により、愛する夫と娘を一度に失い、自分だけが生き残ってしまったことに絶望するジュリーは、家族と暮らした邸宅を離れパリのアパートで世捨て人のように暮らしている。
一度は自ら死ぬことも選んだ彼女は、その絶望から解放されるべく、家族を思い出すものは青いガラスのモビール以外すべて手放し、人との関係も断つが閉ざした心が開くことはなかった。
そんな生活が続くなか、かつて手放したものや人たちと今一度向き合うこととなり、それらの「放棄したもの」や「関係を断った人」を受け入れることで、逆にジュリーは絶望から解放され、再生していく。
愛する者を突然失い、居場所を無くしただ彷徨うだけ──
どこへも行けず、苦しさが留まるだけだったジュリーの閉ざされた心の「解放と再生」。そしてようやく辿り着き、手にしたのは“行き場のない愛の苦しみ”からの「自由」だった──
青の世界
レオス・カラックスの「アレックス三部作」の真ん中にあたる『汚れた血』は、夜の闇のなかに浮かび上がる原色の鮮やかな色彩とジュリエット・ビノシュの美しさが非常に印象的でしたが(『汚れた血』のもうひとりのヒロインは『トリコロール 白の愛』のジュリー・デルピー)、今作での彼女の世界は「青」に包まれています。美しく気高いが、他との交わりを拒絶するような強い色。映画の中でこの「青」に最も近づき馴染んでいるのは「黒」でした。これは続く『白の愛』『赤の愛』でも同じことが言えます。
『白の愛』では色彩自体が極端に少なく、冬のポーランドの街もモノトーンのように見えます。そして葬儀での「黒」と、夜の闇。白と黒とはどちらも無彩色であり、対極であり、同等(平等)です。
『赤の愛』は最初から最後まで、これでもかというくらいに「赤」が画面に登場し、そしてやはりここでも「赤」と「黒」の組み合わせは非常に美しいものとなっています。
ポスタービジュアルやパンフレットもそうでしたが、色の組み合わせとして「青・白・赤」の3色全てに調和(邪魔せず、そして負けない)できる配色は黒以外にありません。
共演者、そして次作とのクロスオーバー
ジュリーが暮らすアパートに住む娼婦・リュシールを演じていたのは、今作の前年である’92年のエリック・ロメール監督による「四季の物語」シリーズの2作目『冬物語』で主人公フェリシーを演じたシャルロット・ヴェリー。くりっとした大きな瞳が特徴の、個人的にかなり好みの顔の女優さんで、このときすでに三十路を過ぎているとは思えない可愛い顔をしています。これを書いてしまうと違う印象を持たれてしまいそうですが(笑)、『ターミネーター』(1作目)の頃のリンダ・ハミルトンにちょっと似ている気がしないでもない…ような。しつこいですが1作目の、です。
またこの「トリコロール三部作」では、他の作品の主人公がちらっと登場し、物語に一瞬だけ入ってくるという仕掛けがされています。
『青の愛』では、裁判所のシーンで次作『白の愛』の主人公ドミニク(ジュリー・デルピー)が、自身の離婚裁判をしている場面で登場します。もうひとりの主人公カロルは後ろ姿だけの登場。
さらに名前が与えられている役ではありませんが、ジュリーがぼんやりと眺めている腰の曲がった老婆も『白の愛』に登場しています。また同一人物ではありませんが、同じ行動を取る腰の曲がった老婆は『赤の愛』にも登場します。
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