三崎町三丁目通信

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【ビフォア三部作】映画『ビフォア・サンセット』──熱望していた続編が完璧だったという喜び

投稿日:2019年3月18日

 

 1995年公開の前作『恋人までの距離<ディスタンス>』(以降は『ビフォア・サンライズ』と表記します)から9年、日本での公開はそれからちょうど10年後の2005年、ついに待ちこがれていた続編『ビフォア・サンセット』が公開されたのでした。

 

 いやー、完璧。そして最高。オープニングのカットから「あぁぁ~っ!」と高揚させられ、あんな最高なエンディングがあっていいのかと、心の中では拍手喝采の鳴り止まないスタンディングオベーションでした。

 

 

前作からここまで

 「結局、ふたりはどうなったのか」を描かず、観る者の判断に任せるような終わり方をする恋愛映画は、それが良作であればあるほど結末を知りたくなるものです。

 恋愛ものに限らずですがヒットした作品の続編というのは難しいもので、そのハードルはぐっと高くなります。そして変なテコ入れがされたりキャストが変更されたり急に世界観がデカくなってしまったりと、明後日の方向へ行ってしまうことも……

 ですがこの所謂『ビフォア三部作』に関しては、監督のリチャード・リンクレイターと主演のふたり、イーサン・ホークジュリー・デルピーの3人で『ビフォア・サンライズ』の撮影当時から続編について話し合っていたそうで、前作の公開後もメールでジェシーとセリーヌの台詞について1年くらいやり取りを続け、ジュリー・デルピーが40ページにも及ぶ台詞を送ってきたことをきっかけに本格的に企画が始動した、というような経過を辿って作られた作品──というところからして他の映画とは軸の太さが違います。

 つまり監督と主演の3人とも、ジェシーとセリーヌをずっと自身の中に残していて、そのふたりから生まれる言葉や物語を(本人たちによって)大事に育ててきた作品、ということになるので間違いようがないのかもしれません。

 役者にとってこういったキャラクターは数多く演じた役の中でもきっと特別で、ある意味で自分の一部分であり自身の物語でもあったりするものなのでしょうね。

 

 今回書きたいことが多くて長くなったので、監督のことや個人的に大好きなジュリー・デルピーについての思い入れなどは割愛しました(笑)。一応ジュリー・デルピー出演作は現時点では『トリコロール 白の愛』について感想を書いていますので、よろしければそちらもどうぞ。

当時のチラシ(表)

 

 

ストーリーや展開面でみた前作との比較

 『ビフォア・サンライズ』は、ユーロトレインの車内で知り合った旅行中の若きアメリカ人新聞記者ジェシーと、ブダペストにいる祖母のお見舞いからパリへ戻る途中のソルボンヌ大学へ通う女子大生セリーヌが、一緒にウィーンで途中下車し、翌朝までの一日を街を歩きながら一緒に過ごす──という物語。

 フィーリングが合うふたりはそこで沢山の会話を重ねることで、お互いを知り距離を詰めてゆき、恋に落ちたのでした。別れのとき、半年後にここでまた会う約束をしてふたりは別れ、映画は終わります。

 半年後にどうなったのかは分からないまま…。

 また「ふたりは結局その夜セックスしたのか、それともただ一緒に朝を迎え、そして別れたのか」ということも当時議論になりましたが、それも明らかにはならないままでした。セリーヌがワンピースの下に着ていたカットソーが翌朝にはなかったことが気になりつつ……。

 

 それから9年後。小説家になったジェシーは、そのウィーンでの一日を書いた小説のプロモーションのためにパリの有名書店“シェイクスピア・アンド・カンパニー”を訪れると、そこにセリーヌが現れる。

 あの夜ふたりは誓いを破ってセックスしたのか、そして半年後にふたりは会うことが出来たのか──といった、長い間皆が知りたかったことが9年ぶりに再会したふたりから溢れ出る会話によって判明するとともに、その後のお互いの人生がどんなものであったのか、今は幸せでいるのかなどが語られてゆく。

 9年前はお互いに若くお金もなかったため、ふたりが一緒に過ごせる時間は翌朝までの14時間しかなかった。そして今回はジェシーが飛行機に乗ってパリを離れるまでの、たったの85分しかふたりには時間がない。もちろん今のジェシーにはそれをキャンセルするお金くらいあるのだが、今のジェシーとセリーヌのそれぞれの立場や、大人であることの分別がそれをさせない…。

 

 長い会話のやり取りの末、お互いの今の状況と気持ちを確認し合ったふたりはどうするのか──前作とは異なるクライマックスへと物語は進んでいくのでした。

 

当時のチラシ(裏)
スキャンによるモアレが酷くて恐縮です

オープニングのカットについて

 オープニングの、主人公たちがいないパリの様々な風景がパン・パンと次々切り替わって映し出されていくあのカット、私は劇場でこれに気付いたときに声を上げたいくらいにテンションが上がりました(笑)。

 これは前作『ビフォア・サンライズ』で、主人公たちが別れたあとの「ふたりがウィーンでの14時間の間に訪れた様々な場所」の現在の様子を、切ない余韻とともに映し出していく印象的なカットと同じ手法です。今作ではそれが逆になっていて「これから」ふたりが一緒に過ごす様々な場所として最初に映し出しているというわけです。10年待たされて、最初のカットがこれですよ。そりゃテンション上がらないはずがないです。。。

 

再会の場面の巧さ

 書店でのイベントで作品についてジェシーが語る場面で、たびたび前作の映像が差し込まれるのも見ている側からすると嬉しいところでした。

 こういうのって同じ監督・同じ役者で作られる続編じゃなければ出来ない演出ですから、当たり前のようで実は有り難いことですよね。(今年最初に劇場で観た映画が『ドラゴン・タトゥーの女』の続編『蜘蛛の巣を払う女』だったので余計にそう思います 笑)

 

 

 また続編について聞かれたときの回答で「ポップソングが1曲流れている間に起きる物語」というのも、2回目に見ると思わず「ふふっ」となるところだったりしますね。

 そして話の最中、またも前作の映像がジェシーの回想として映し出された直後、なんの前触れもなければ「来るぞ来るぞ~」的な演出(例えば歩いてくる足やバックショットが映るとか)も全くなく、他のイベント参加者を捉えるのと同じような自然さで画面にいきなり現れるセリーヌ。もう本当巧いですよねー、こういうの。ジェシーじゃなくても「えっ!?」となりますわ(笑)。

 ようやく再会して言葉を交わすも、ともに余裕ぶった大人な振る舞いで「コーヒーでもどう?」とか「でももう発つんでしょ?」などと大したことでもないように話すふたり。ですが出かける前、運転手のフィリップが名刺を探してポケットをまさぐっている間のジェシーのソワソワっぷりから、本当はそんな軽い再会ではないことがわかります。

 

 

気になったところといえば…

 前作では旅先で出会った若い男女が恋に落ちる物語だったこともあってその辺は控えめでしたが、今作ではとにかく下品というか、下ネタ系の話題がお互いに多すぎるのが気になりました。逆に言えば気になるのはそこだけなんですが、アメリカやフランスではあんな会話は普通なんでしょうか……んなわけないか(笑)。

 このお下品な会話の応酬は次作『ビフォア・ミッドナイト』でも繰り広げられます。まぁ次作は設定的に厳しい会話が飛び交うのは仕方ないとしても、今作ではとくにセリーヌのスレ具合がちょっと残念だったかなぁと、個人的には感じました。

 9年前に「神様は人と人の間に存在する」なんていうステキなことを言っていたセリーヌが、今では神や霊の存在も信じない「怒れる活動家」になっているのはちょっと寂しいところでした(笑)。もちろんそういった部分も後半からクライマックスへの展開とのコントラストとして効いているのかもしれませんが。

こちらは次作『ビフォア・ミッドナイト』のチラシ(表)

 

「常に対等な会話」

 ふたりの間で交わされる会話は、9年前と変わらず「常に対等である」というのがこのふたりの相性の良さを表す特長のひとつです。どちらか一方が博識というわけでもなく、またどちらかが話の主導権を持とうとするようなこともなく、それぞれの得意な分野で話を進めつつ頃合いの良いところで自然に相手にバトンタッチされます。こういう台詞の流れも練りに練った脚本ならではなのでしょうね。

 ちなみにジェシー役のイーサン・ホークとセリーヌ役のジュリー・デルピーはともに「共同脚本」としてもクレジットされています。

 

分別ある大人

 9年の歳月を経て、ふたりはウィーンで一晩中語り歩いたあの時のような、自由で希望に溢れる怖いもの無しの若者から、それぞれ社会のなかで様々な経験をし、分別のある大人というやつになっていました。

 本を書いてしまうほどあの日のことをずっと忘れないでいるジェシーは、まだ再会出来た喜びをストレートに表現していますが、セリーヌのほうはというと「常連の本屋でジェシーの写真を見て知った」「本のことは書評を読んで何となく気にはなっていた」「あの夜のことは頭にしまい込んで忘れてしまった」などと、再会できたのは嬉しいけれどジェシーほどではないといった様子…。さらにジェシーが空港へ行く時間をやたら気にして、再三提案されるお別れの引き延ばしにもとりあえず断ってみたり。

 ですがそれはセリーヌの本心ではないことが、後半に進むにつれて徐々に明らかになっていきます。自身のその後の恋愛経験も理由のひとつではあるのでしょうが、最大の理由はセリーヌの言葉をそのまま借りれば

 

「結婚してるくせに少年の心でパリにきた。最低よ」

 

 とにかくこれに尽きるのでしょう。そりゃ分別ある大人の対応をするしかないでしょうよ。。

 そしてもちろんジェシーにとっても、この9年後の再会は何よりも嬉しいものであると同時に辛さやもどかしさのようなものがあります。既婚者で子持ちであるジェシーに、もう9年前のような感情をそのまま行動に移せるような自由さはないからです。

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三崎町三丁目通信の主筆・Kです(個人運営ですが)。映画の感想を中心に、趣味で続けているスペイン語学習(DELE A2取得で止まっています)と最近始めた英語学習のことなどを書いています。本業はフリーランスのグラフィック&エディトリアルデザイナー。びっくりするくらい将棋が弱いです。

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