【考察】映画『ミッドサマー ディレクターズカット版』──見ていて不安になる要因、ラストのその先、5つのエレメンツ【MBTIの話題も】

ENTERTAINMENT
スポンサーリンク

スポンサーリンク

ダニーはあの後どうなるのか?など、いくつかの考察

 ラストシーンでのダニーの笑顔は「自我を保てるラインを越えてしまった人」が浮かべる笑顔といった感じで、新世紀エヴァンゲリオンの旧劇場版でサードインパクトが発動したときに自我が崩壊してしまったシンジ君の笑顔を一瞬思い出してしまいました。

 Wikipediaのほうにもこのように書かれているので、あれはやはりそういった極限を越えたところから生まれた笑顔なのだろうと思います。

 

 

本作のラストシーンについては様々な解釈がなされているが、アスター監督は「ダニーは狂気に堕ちた者だけが味わえる喜びに屈した。ダニーは自己を完全に失い、ついに自由を得た。それは恐ろしいことでもあり、美しいことでもある」と脚本に書き付けている。

 

 

 さて、映画はこのダニーの笑顔で終わりますが、私たちにはひとつの謎が残されました。それは

 

 

ダニーはあのあとどうなったのか?

 

 

 という疑問。

 

 ホルガでは近親交配を避けるために定期的に「新しい血」を入れることが必要になる、という話でした。今回その役割に選ばれたのがクリスチャンとダニーで、クリスチャンは男性として種付けの役割を担い、おそらくダニーはホルガの男性との子を授かる役割を担うことになるのでしょう。

 

 

 夢ではひとり取り残されてしまったダニーですが、それは違う形で現実のものとなってしまいました。

 皆が殺されてしまう中でダニーだけが生き残り、メイクイーンとして祝福される存在となりましたが、果たしてダニーはこのホルガという村で(もしくはその後「巡礼」として外の世界に出たとしてもこのコミューンの一員として)幸せに暮らしていく者となるのでしょうか。

 熊の皮に詰められたクリスチャンの姿と、全身を花に包まれて山のようになっているダニーの姿はまるで両極の対関係のようでしたが、これは何を意味するのでしょうか。ホルガの人たちに邪悪な存在とされている熊は命を捧げる対象とされ、美しい花は幸せに生きることとなるのでしょうか。

 

 

 個人的な解釈になりますが、私はそうは考えていません。それには幾つかの理由があります。

 

 まず、クリスチャンは種付けの役割を終えたので生け贄として捧げられましたが、ダニーはまだその役割を果たしていません。子を産むどころか身籠ってもいません。全てはこれからです。だから少なくとも1年〜数年は無事であると思われます。

 あのダンスでダニーが最後に残ったのも、他の女の子たちが意図的に脱落していったのかもしれません。というかその可能性のほうが高そうです。

 また彼らが寝床にしていた建物には、かつてのメイクイーンたち30人の写真が飾られていました。これを見てもメイクイーンを選ぶ催し物は(何年単位かまでは不明ですが)ある程度頻繁に行われていることが分かり、少なくとも90年に一度の大祝祭でのみ行われるというわけではないことだけは確かなようです。毎年やっているのかもしれません。

 

 

 写真の中には白黒のものもあればカラーの写真もありますが、古いものでもそこまで露光時間を必要とするような大昔のものではなさそうです。

 このような村でポートレート写真が撮れる時代ということを考えると、古く見積もっても7~80年くらいが最も昔のものなのかもしれませんが、それでも念のためもっと古い時代を設定して1900年だと仮定してみます。(写真の歴史についてざっと調べましたw)

 スウェーデンやアメリカで映画が公開された2019年、日本での公開が2020年なのでその時代での出来事とした場合、ざっくりとした仮定での計算でも約120年の間に30回このメイクイーンが選ばれたことになり、均等割すると4年に一度行われていることとなります。実際には2年か3年に一度なのかもしれませんし、先ほど書いたように毎年行われているのかもしれません。

 

 なおダニーにこの写真のことを訊ねられたペレは「そう、君たちもそのために来た」と答えていました。

 

 

 ここで気になる点が出てきます。

 

 映画の中では「過去のメイクイーン」とされる人物がひとりも出てきませんでした。この写真の中だけです。このシーンがあるのだから、どこかで「この人が前回のメイクイーンです」というような描写がどこかにあっても不思議ではないはず。ですがそういったものは全くありません。(唯一関わってくる可能性として考えられたのは同じ建物で寝ていた赤ん坊がいたこと)

 はっきりとは確認できませんが、写真の中の女性たちは皆金髪の白人女性のようです。笑顔を見せていたり楽しげなポーズをとっている女性もいることからホルガの女性が選ばれることも普通にあったのだろうとは思います。全てが全て、外部から連れて来られた女性がメイクイーンになるというわけではないでしょうし、もしかしたらダニーが最初のよそ者のメイクイーンとなった可能性だってゼロではないかもしれません。

 でもそれなら尚更、過去のメイクイーンが今ここにいない(描写が全くないので少なくとも「いる」とは言えない)ことに違和感を覚えます。メイクイーンとなった者は子どもを産んだのち、本人がその役割を終えたときにクリスチャンたちのように生け贄とされてしまう運命なのでしょうか。

 老人が身投げするのを見てショックを受けたダニーを慰めようと(実際には洗脳しようと)やってきたペレが気になることを言っていました。

 

僕が幼い時、両親は炎の中で死んだ

両親は炎に包まれて死に──僕は孤児になった

 

共同体が僕を育てたんだ

それがここのやり方だ

でも僕はいつも守られていた

家族の手で

本当の家族の手で

みんなもそうだ

 

君もだよ

 

 そういえばペレはイングマールをダニーたちに紹介するとき、彼のことを「兄弟」と呼んでいました。「赤ん坊の頃からの親友だ」とも。そしてイングマールは今回、志願して炎に焼かれることとなりました。

 ホルガの人たちは人の命の「循環」を信じているので、もしかして彼らは初めからそうなる運命だったのでしょうか。

 今回はイングマールが生け贄となりましたが、ダニーが子どもを産んだあとはペレも自身の親と同じ運命を辿ることになるのかも……。そうなるとダニーと子作りするのはペレなのでしょうか。女王になったダニーに思いっきりキスしていたところも気になっていましたが。。。

 

 

 ですが、この悪夢のような逃げ場のないサイクルが起こらない可能性──というのも存在するように思えます。

 それは身投げした老女の顔がダニーに非常によく似ているという点、そして最初に書いたように熊に詰められたクリスチャンと対の関係のように見える花に詰められたダニーの姿から、ホルガのコミューンの一員としてダニーは生き続けることになるのかもしれない──そう考えることもできるのではないかと、個人的に解釈しています。

 

咲いて散り、枯れ、種が芽吹いて成長し、また花を咲かす──という生のサイクルになぞらえて、ダニーもまた人生のサイクルが終わる72歳まで生きていくことになるのかもしれない……

 

 一応そういった希望的観測もあるのでは、ということで。もちろんどちらかは分かりませんけど。。

 

キャストについて少しだけ

 映画を見るまで、主人公たちも全員スウェーデン(もしくは近隣諸国)の人という設定なのかと思っていて、それゆえにキャストも世界的にはほとんど有名ではない人たちなのだろうと勝手に想像していたんですが、実際にはダニーたち4人はアメリカ人ということで普通に大作・ヒット作に出演している人たちのようでした。

 といってもマーク役の人やダニー役の人が出ている有名作などを自分が見ていないこともあってとくに書けることもないのですが(笑)、ジョシュ役の人がジム・ジャームッシュ監督、アダム・ドライヴァー主演の映画『パターソン』で恋人とモメていてバーで銃を出して騒動を起こしてしまう男役の人だったり、クリスチャンが『シング・ストリート 未来へのうた』で超カッコいい(生き様的に)主人公の兄ブレンダン役の人であることなどは個人的に「おぉ!」という感じでした。いやー、あのブレンダンとこんな煮え切らない男(でも悪党でもないので可哀相)が同じ中の人だったとは(笑)。

 

【改訂版】映画『パターソン』──ふたつのものが同時に存在する意味は(双子・白と黒・バスでの会話など)
...

 

映画『シング・ストリート 未来へのうた』【ジョン・カーニー監督:音楽3部作③】──“すべての兄弟たちに捧ぐ”
...

 

 あと身投げする老人男性を、ルキノ・ビスコンティ監督の『ベニスに死す』に出演し「世界一美しい少年」と言われたスウェーデンの俳優ビョルン・アンドレセンが演じているというのもなかなか興味深いものがあります。世界一美しいと言われた人の顔をカチ割るという……

 昨年ドキュメンタリー『世界で一番美しい少年(The most Beautiful Boy in the World)』が発表されたときの記事を読んで、やはりショービズ界は光が強い分だけ闇もまた深い──ということを改めて知らされた思いでした。いやホント、つくづく人の人生を狂わせる世界なんだなぁと。

 自分も昔はそういう世界の隅っこで仕事をしていたので、華やかな世界の裏側をほんの少しですが見聞きする立場におりました。

 最初こそ憧れとか楽しさ、そして今までは見ているだけだった世界にメディアの隅っこの一員として関わることへの優越感みたいなものを感じたものの、ある程度いろいろ見えてくると、INFJでありHSPでもある自分にとってあの業界は深く関わるべき場所ではないな…と思ったのでした。自分がやっている仕事は人の役に立つ良いものを作る機会ももちろん多くありますので、それ自体はやりがいもあって好きなのですが。

 

 

 と、ここで唐突にMBTIの話題を出してしまいましたが(笑)、データベースサイトを見てみるとペレやイングマールはENFJとされていました。マークはもちろんESTP。清々しいほどのESTPですね(笑)。

※MBTIについてご存知ない方はこちら(「MBTI」のタグがついている記事一覧)でそれ関連の記事を見ていただければ分かるかと思います。ユングの心理分析を元にして作られた16パターンに分類される性格診断のことです。これはとても興味深く、私は昨年の夏に初めて知って以来すっかりハマりました(笑)。

 私はINFJというタイプで、心理機能的にはENFJと似ているのですが(それぞれの第一と第二が逆、第三と第四が逆という組み合わせで使っている4つは同じ)性格自体は相当違うと思っています。Feの使い方が大きく違うな…という印象ですし、ENFJがNiをどういうふうに使っているのか現時点では今イチよく分かりません。

 ペレはFe(外向的感情)という心理機能の特徴である「目に見えて分かる優しさを用いた他者への共感」を悪用して相手の懐に巧みに忍び込み、洗脳していくということをしていましたが、このように「他者への気遣い・共感」を相手の感情や都合をあまり考慮せずに積極的に踏み込んでいくところが実にENFJらしいFeの使い方だな…と個人的には思いました。少なくともINFJの自分はこういうことはまずしないし、出来ません。

 INFJのFeは、10代頃から発達して自然に働くようになると言われる第二機能の位置にあるので、もちろんFeは自然に身についています。ですがENFJのように第一機能(子どもの頃から発達して当たり前のように働かせている機能で、その人の長所となっているもの)ではないので使い方に少し距離感があります。INFJは第一機能が内向的直観なので、根本・本質は意識が内側に向かう性質を持っています。

 ですので同じ「他者への気遣い・共感」であっても、一歩引いて控えめにそれを行う場合が多く、相手がその気遣いや共感を喜んでくれるのか、それとも迷惑だと感じているのかを見極めながら慎重に(悪く言うとビビりながら)行うので、ペレのように深く傷付いた相手の懐にずけずけと入ってくるようなことは出来ない性格なのですね。

 

 

 データベースサイトのコメントに、ペレのENFJとしてのFe-dom(Feが主機能)らしい他者への接し方・近付き方に対して「危険だけれども魅力的」みたいなことを書いている人がちらほらいて正直驚きました。

 INFJからすると誰かがFeを洗脳に使っている場合、すぐそれに気付く(補助機能としてFeがあり、さらにNiが主機能だから強い直観とそれを補助する共感によってそのことに気付けるのかも)ので、ああいうタイプには魅力どころか嫌悪感を抱いてしまいます。誤解のないように言うと、これはあくまでもペレに対してのことであってENFJに対してという意味ではもちろんありません(笑)。

 

 

 「INFJに教祖タイプが多い」と言われる所以は、このように他者に洗脳されにくいからなのかもしれません。そのかわり自分が洗脳する側になる人もいて、そういう人が教祖になるのかも。またENFJが教祖タイプと言われないのは主要機能がNiであるINFJのようがより宗教・オカルト色が前面に出ているからなのかもしれません(笑)。やっぱりグイグイくるタイプよりもちょっと近寄りがたいタイプのほうがミステリアスな印象を持たれて勝手に箔がつくんでしょうかね(笑)。

comment

タイトルとURLをコピーしました