【Netflix】映画『ROMA/ローマ』──タイトルの意味、そしてメキシコ人にとっての『ROMA』とは

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 勉強も兼ねてスペインをはじめ、メキシコを含む中南米の人や情報系アカウントのツイートをさらっと見ているんですが、12月14日にNetflixにてストリーミング公開された『ROMA/ローマ』という映画について、かなり多くの方が話題にされていたので気になって見てみました。

 メキシコ出身のアルフォンソ・キュアロン監督の自伝的作品と言われる今作『ROMA/ローマ』は、1970年~1971年のメキシコシティが舞台の白黒映画。絶賛の声が多数あるなかで、こういった作品をあまり見ない若者世代や、ルーツ的に今イチ共感ポイントが感じられないという人などにとっては「つまらない」「意味が分からない」といった反応もそれなりの数で出ているようです。それだけ普段こういった映画を見ない層にも多く見られた作品ということなのだと思われますが、もちろんNetflixでの公開ということも関係しているのでしょう。

 

 で、映画を見て感想を書くにあたり、「自分がこの映画を見てどう感じたか」よりも「メキシコの人たちはこの映画を見てどう感じたのだろうか」ということのほうが気になってしまったので、ここではそういった方向性で書いていきたいと思います。

 

 

まずはじめに

 どうしても私たちの感覚(日本語を母国語的に話す唯一の国の人間という意味で)だと、同じ母国語で陸続きの中南米諸国について、それぞれの明確な違いみたいなものは今ひとつ分かりにくかったりします。

 ですが、自分が直接知ってる範囲でメキシコ人とその他の中南米諸国の人たちとを比べてみると、個人的な印象ですが、彼らはやはり他の中南米の人たちとはちょっと違う部分があるように感じています。簡単に言うと「自分たち」に対して強い誇りを持っているというか。

 「そんなもんどこの国の人でも普通そうでしょ」と言われそうですが、メキシコ人はとくにそういった印象が強いイメージがあります。メキシコよりも小さい国・豊かではない国の人の中には、意外なくらいに控えめに自国のプレゼンをする人もいますし…。まぁ、もちろん人によるのでしょうし、心の中には自国への誇りはちゃんと持っているのでしょうけど。

 そして多くの日本人にとって、メキシコという国は「中南米の国のひとつ」という程度の認識なのかもしれませんが、彼らは当然全く違う感覚を持っています。私たち日本人はどうしても「アメリカ合衆国から見たメキシコ」の印象というものに引っ張られがちですよね。。

 アメリカ(USA)と他のラテンアメリカ諸国の間に位置し、超大国アメリカと陸で繋がる唯一のラテンアメリカの国として、良くも悪くも北(USA)と南(ラテンアメリカ諸国)からの影響や双方の問題、歴史などを受け止め、抱えてきた国。──北米でもあり中米でもあり、そしてアメリカが持つメキシコの印象と、他の多くの中南米諸国が持つメキシコの印象が大きく異なるという特異性を持った国(つまり多くの中南米諸国から見たメキシコは「アメリカと隣り合う大国」で、アメリカから見たメキシコは……ということ)──それがメキシコという国なのではないかと、個人的に推測しています。

 この認識のギャップがかなり大きいため、日本人が普通にひとつの映画(洋画)を見る感覚でこの『ROMA/ローマ』を見ても、彼らほどのエモーショナルな感情はなかなか湧いてきません。逆に言うと、今作に対する向こうの人たちの反応はこちらが想像する以上に大きいということでもあります。

 アメリカで活躍するメキシコ人・アルフォンソ監督の、17年ぶりとなる母国を舞台としたスペイン語の映画であり、昔から現在まで続いている問題(階級格差や階級差別、社会における不寛容、女性の尊厳など)を、自身がかつて体験した“家族”の愛の物語に乗せて描いたこの『ROMA/ローマ』という作品が世界中に発信されることの意味は、メキシコ人にとって大きいものがあるのでしょう。「アメリカ側から見たメキシコ」というフィルターがかかっていないところも重要なポイントではないでしょうか。

 

@ Netflix

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