映画『トゥモロー・ワールド』──“神”を見た人々の反応、人が持つ“役割”の違い、宗教的メタファーなど【セオの靴】

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セオの足と彼の履物の変化について

 子供が生まれない世界になって18年後に現れた奇跡を目の当たりにした人々や、その奇跡である「人類の子供」を守るために迷いなく自らの命を懸けて行動するセオたちの姿が印象的に描かれる今作は、多くの面で宗教的なメタファーのようなものを感じずにはいられませんが、セオの足と彼が履いているものについての描写が個人的に気になりました。

 

 まず序盤でジャスパーの家を訪れたときに、部屋で会話しているときのセオの足の裏をアップで捉えるカットも意味ありげですし、その後の事態が急展開してからのセオの履物の変化も何かを暗示させるものがあったように思えます。

 

 これは完全に個人的な解釈なのでまるっきり的外れである可能性も十分あることをご了承ください。

 

 フィッシュのメンバーが共謀してジュリアンを殺害し、キーとその子供を自分たち組織のために利用しようとしていることを知ったセオはキーとミリアムを連れてアジトから脱出します。そのときセオは靴を履いておらず、靴下だけでした。

 その後ジャスパーの家で彼の靴を履いてみるものの、足に合わず裸足にビーチサンダルを履くことに。

 

 収容所でキーが出産した翌日、赤ちゃんを奪おうとする男から逃れたときに瓦礫を踏んで足を怪我してしまい、そのあとで身を寄せた老夫婦の部屋でスニーカーをもらい、それを履いて最後の脱出を図ることになりました。

 

 突然運命の荒波に放り出されたかのような急展開で、セオはまだ自身の果たすべき役割を認識しておらず、とにかく進んでいくしかない彼の足元は靴下だけという頼りないものでした。

 ジャスパーの家で靴を履こうとするものの自分の足には合わずにサンダルで間に合わせたのは、この時点でもまだ完全に「自分は何をするために今ここにいるのか」というある種の“覚醒”をしていないので、以前よりは力強く踏み出せるが、まだ途中段階にいることを暗示しているように思えます。

 そしてキーの出産に立ち会い、奇跡を目の当たりにして「今自分が何をしなければならないのか」をはっきりと自覚し、一切の迷いがなくなったセオにようやく、自分の足に合う靴が与えられた──ということなのではないか、そう解釈しました。

 

 また最後に履く靴を与えられる前、怪我をした足を洗面器の水に浸けている描写もイエスが弟子たちの足を水を入れたたらいで洗う、という聖書の記述を連想させます。

 

イエスは彼に言われた、「すでにからだを洗った者は、足のほかは洗う必要がない。全身がきれいなのだから
(ヨハネによる福音書13-10)

 

 もはや自身の役割に一切の迷いがないセオは、すでに清い存在となっていた──ということでしょうか。

 

 そしてその他にも宗教的な意味合いを持つ描写には次のようなものがありました。

 

セオとの会話でキーが言った「私は処女よ」というジョーク

→聖母マリアの処女懐胎

 

キーがセオに自身が妊娠していることを伝えた場所は牛小屋

→イエスは馬小屋で生まれた

 

収容所に着いたときにミリアムが大天使ガブリエルの名前を口にする

→マリアの夫ヨセフのもとへ天使ガブリエルが受胎告知に現れる(マタイによる福音書より)

 

キーが収容所の物置小屋のような部屋で出産する

→馬小屋でのキリストの降誕

 

ジャスパーがキーに対して言った「シャンティ、シャンティ、シャンティ」という言葉

→「シャンティ」とはサンスクリット語で「戦争」の対義語としての「平和」もしくは「内面的な平穏・内なる平和」を意味する言葉であり、これを三唱するマントラは「体」「心」「スピリッツ」を平和に導くものとされている(Wikipediaより)

 

 あとこれは宗教と関係するものではありませんが、セオの従兄で文化大臣のナイジェルと食事をする場面で後ろにある壁画がピカソのゲルニカというのも、軍隊による難民への厳しい弾圧で国の秩序を保っているこの世界の異常さを象徴しているようでした。

 

 その他、細かいことですが

 

子供が生まれなくなって18年──

 

 という「18」という数字も「18=6+6+6=666」もしくは「18=3+6+9=369」であり、意味深な数字です。3・6・9という数字が持つ法則についてはYouTubeでちょっと調べると分かりやすいものがいろいろ出てきますので気になる方は検索してみてください。

 

数字のマーキング

 3・6・9の法則を知ってからは、何かにつけて「その数字が3か6か9で割り切れるかどうか」を調べる・そしてこだわる癖がついてしまった私ですが(笑)、今作の公開日を見てみると、

 

英国では2006年9月22日(2+0+0+6+9+2+2=21)

米国ではクリスマスに公開されたようで2006年12月25日(2+0+0+6+1+2+2+5=18)

 

 となっていました。この映画はイギリスとアメリカの合作ということでなるほどね…という感じです。

 では日本ではどうだったかというと、同年11月18日の公開で同じように数字を足しても3・6・9のどれかで割り切れる数字にはならなかったのですが(とはいえ公開日にしっかり「18」というマーキングがされていますが)、DVDの発売日が2007年3月21日(2+0+0+7+3+2+1=15)になっていました。

 …んなもん1/3の確率じゃねーかw という野暮なツッコミはなしでお願いします(笑)。

 数字については、エンディングで流れるジョン・レノンの『Bring On The Lucie(Freda People)』の歌詞にも「666」が出てきます。

 

 またジュリアンが率いていた反政府グループの名前が「フィッシュ」というのも気になるところでしたが、聖書に出てくる「魚」についての描写で

 

すると、イエスは彼らに言われた、「舟の右の方に網をおろしてみなさい。そうすれば、何かとれるだろう」。
(ヨハネによる福音書21-6)

 

シモン・ペテロが行って、網を陸へ引き上げると、百五十三びきの大きな魚でいっぱいになっていた。
(ヨハネによる福音書21-11)

 

 というものがあります。

 獲れた魚の数は153匹(1+5+3=9)なんですよね。

 なお、この「153」という数字にはもっともっと深い意味があるようですので、気になる方は調べてみてください。

最後に

 今作『トゥモロー・ワールド』は、映画のスタート時点での世界がそもそも絶望的なものであるうえに主人公も最後に死んでしまう結末、そして「トゥモロー号」が現れるもキーと赤ちゃんにとって、また人類にとってそれがハッピーエンドとなる保証は全くない、というエンディングとなっていることもあって代表的なディストピア映画のひとつと言っていいような作品ですが、いろいろな意味で現実世界での未来を暗示させる何かが含まれているようにも思えました。

 ですがそれは決して悪いことばかりではなく、ディストピアな世界だからこそ気付くもの、失い削ぎ落とされてはじめて見えてくる尊いものもあるように感じます。

 

 私たちは利他的に生きることが出来るでしょうか。

 

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