映画『トゥモロー・ワールド』──“神”を見た人々の反応、人が持つ“役割”の違い、宗教的メタファーなど【セオの靴】

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人の役割はそれぞれ違っている

 以前から思っていたことですが、今回この映画を見て改めて感じたことがあります。それは

 

この世で何を為すために生まれてきたのか、その役割は人それぞれで違う──

 

 ということです。

 

 全ての人が“最善のゴール”へ辿り着けるわけではなくて「ゴールへ辿り着く役割」(キー)を持った人もいれば「自分はそこへは行けないが、誰かのゴールを助ける役割」(キーを助けた人全て)を持って生まれてきた人もいるのだろう、ということです。

 

 ほとんど全ての人はこの世界で主人公として生き、希望通りの幸せな人生を手に入れたい願います。

 

 ですがこの世界は全ての人がそうなるようには出来ていないようです。(もちろん「主人公ではない」という意味ではありません。言うまでもなく全ての人がそれぞれの人生の主人公ですから)

ゴールへ辿り着いて幸せを手にし、次の世代に命を繋ぐことがこの世で為すべき役割──

 という人もいれば、

ゴールへ辿り着かなければならない誰かを助け、それによって自分の人生が終わることになったとしても、その尊い行いこそがその人に課せられたこの世のカルマ・役割であり、それを果たすことによって救われる──

 という人もいるのでしょう。人が持つ今世での「宿命」や「運命」はそれぞれ違っていて、おそらくは最後のほうまで(もしくは最後まで)本人には分からないものなのかな、と。

「人類の子供」のための自己犠牲

人類は出産能力を失い、子どもが生まれなくなったディストピアな世界──

 ということ以外なにも前情報を入れずに見たので、どういう内容の映画なのかも全く分かっていませんでした。

 ですので反政府グループ「フィッシュ」のリーダーとして物語に深く絡んでくるものと思われたジュリアンがあんなに早い段階で殺されてしまったときは正直ちょっと驚きました。演じているのもジュリアン・ムーアですので当然もっと出番の多いキャラなんだろうと思っていましたし、死ぬ直前にはセオと笑顔でじゃれ合う幸せそうな場面も見られたので尚更です。

 ですが、それからまもなく辿り着いたフィッシュのアジトで、キーの秘密とジュリアン殺しの真実をセオが知って脱出し旧友ジャスパーの元へと向かったあたりで、この映画の展開がなんとなく見えてきました。

 

 これはキーと彼女の赤ちゃんを「トゥモロー号」へ乗せるという人類の希望のために、セオをはじめとした協力者たちが命を懸ける映画なのだと……。

 

 ジャスパーがセオたちを逃がす役割を果たして殺されるのも、キーとずっと行動を元にしてきた元助産師のミリアムがキーをかばい、頭のいかれた信者のふりをして連行されるのも、マリカがボートに乗らなかったのも、そしてトゥモロー号が来る前にセオが死んでしまうのも「そういう物語」なのだと思ってみると、腑に落ちるのでした。

 みんなの犠牲のもと、キーと「人類の子供」の未来は開かれる──というのがこの映画の大きなポイントのひとつであるように思えます。

 こういった「自己犠牲を伴う利他的な行動と、それによる救い」という展開にも宗教的な意味合いが含まれているのかもしれません。

 

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それぞれの役割と運命

 ここで具体的にキーを取り巻く主要人物たちの結末について確認していくことにします。

 

 今作はセオを主人公としてストーリーが進んでいきますが、セオの果たす役割は18年前に人類が生殖機能を失ってから初めて誕生した赤ちゃんとその母親・キーを、不妊症の治療を行っている「ヒューマン・プロジェクト」へ無事に送り届けることでした。

 映画では主人公として扱われますが、彼はいわゆる“Last man standing”ではありませんでした。収容所を脱出する途中で腹部を撃たれており、ボートで合流地点までキーを連れていったところで力尽きます。

 セオ以外の協力者の役割と結末(推測含む)は以下の通り。

 

 収容所で世話をしてくれたルーマニア人女性マリカの役割はセオとキー、そしてキーの赤ちゃんをボートに乗せて脱出させること。もしかしたら追手が来ないように、食い止めるために留まったのかもしれませんし、犬のことを案じて最後まで一緒にいるつもりだったのかもしれません。もしくは難民である自分の居場所はここだけだと思っていたからなのかもしれません。

 キーとずっと行動を共にしていたミリアムは、ジュリアンを通じてセオにキーを託すことと、無事に収容所までキーを辿り着かせることが彼女の役割

 ジャスパーから「ハッパ」を仕入れていた警官のシドは、セオたちを収容所に連れて行き、マリカに引き合わせる役割でした。

 このマリカとシドは、収容所が銃撃戦となったことと、セオたちがボートで脱出した後に収容所がミサイル攻撃を受けたことから、おそらくは収容所内で死んだのだろうと思われます。

 ミリアムについてはバスから引きずり出されて頭に袋を被せられていましたが、その周りには同様に袋を被せられ、手は頭の後ろに組んで膝立ちさせられている人が並んでいました。さらにそこからバスがゆっくり動き出すと、そのすぐ先では布で覆われた死体が並べられているのが見えます。このことから、ミリアムは翌日の銃撃戦よりも前にすでに亡くなっている可能性も考えられます。

 セオの旧友・ジャスパーはセオたちを収容所経由でトゥモロー号と合流させる手はずを整えてやることが役割でした。彼の役割はそこまでであり、家に残って追って来たフィッシュたちによって殺されました。

 ジャスパーの死の前に、彼の妻と犬が政府が提供する自殺薬でジャスパーの手によって安楽死させられたことは大変悲しいことでした。(たとえジャスパーが薬を飲ませなくてもあとでフィッシュたちに殺されていただろうことを考えればやむを得ないことだったとはいえ)

 新たに誕生した奇跡の生命と、それを守る側の奪われていく命とのコントラストが見ていて切なくなりますが、他の者たちは皆攻撃してくる者・赤ちゃんを奪おうとする者たちによって殺されてしまうのに対して、ジャスパーの妻(と愛犬)だけが違う理由で命を失います。

 セオの元妻・ジュリアンはキーをヒューマン・プロジェクトへ送り届けることがその役割かと思われましたが、彼女の役割はその任務を丸ごとセオに託すまでだったようです。気の進まないままこの計画に参加していたセオでしたが、彼女の死(そしてキーの妊娠を知ったこと)によって自身の使命に向き合うこととなりました。(ジュリアンにとっては仲間に殺されるという不幸な結末ではありましたが、たとえわずかな時間であっても20年間会っていなかった元夫と笑顔で話すことが出来たのはせめてもの救いです)

 結果としてみれば、彼らは皆それぞれの役割を果たす(そしてそれは同時に自身の人生の終わりに繋がる)ために、そこに至るまでの人生・境遇・環境が与えられていたことになるのでしょう。

 活動家だったセオとジュリアンが出会い、結婚して子供を授かったこと(セオに子供がいたという経験は大きな意味を持っていました)、ジャスパーがハッパを栽培していたこと、それを警官シドに流してシドはそれを収容所で売りさばいていたこと、その収容所にマリカがいたこと、ミリアムが助産師だったこと──その全てに意味があって、そしてこの結果だったのではないかと。

 もちろんそんなことは全部を俯瞰して見る者(ここでは映画を見る私たち)だけが知ることでしかありませんが、私たちも彼らと同様、自身の知らないところで大事な意味を持つ繋がりというものがあって、そして然るべき理由があって今の人生を送っているのでしょう。もちろん、今の状況・生活に満足できない人や辛い思いをしている人にとっては、それを受け入れるのは決して容易なことではありませんが……

 自分は「ゴールへ辿り着く役割」の存在なのかもしれないし、もしかしたらそうではないかもしれません。おそらくそれを知った(または悟った)ら最後、もう二度とぼんやりとした時間の過ごし方はできなくなるのでしょうね。

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