『ONCE ダブリンの街角で』のジョン・カーニー監督による音楽3部作(勝手に命名)の第2作『はじまりのうた』は2013年のアメリカ映画(他の2作には入っている“アイルランド映画”のクレジットが今作にはありません)、日本では2015年に公開されました。
私が住んでいる地域ではたしか3月下旬あたりからの公開で、自分は4月5日に観に行ったのですが、もう最高でした!
寒い冬がようやく終わり、春がやってくるワクワク感と相まって何か楽しいことがあるかもしれない、何か新しいことを始めてみようかなっていう前向きな気分にさせれくれる、そんな映画でした。
物語の舞台もキャストも華やかに
前作『ONCE ダブリンの街角で』は、アイルランドのダブリンを舞台とした物語で(次作『シング・ストリート 未来へのうた』も舞台はダブリン)、監督の元バンド仲間でプロのミュージシャンであるグレン・ハンサードと、当時はまだ10代だったシンガーソングライターのマルケタ・イルグロヴァという、ともに役者ではない二人が主人公でした。
それに対し、今作『はじまりのうた』は、主演のグレタ役にキーラ・ナイトレイ、ダン役にマーク・ラファロ、グレタの恋人デイヴ役にマルーン5のアダム・レヴィーン、そしてダンの娘バイオレット役には、今やすっかり売れっ子のヘイリー・スタインフェルド(個人的には“テイラー・スウィフト一派”という印象が強いものの、この映画のおかげで好感度は上がってきています。 笑 ※別にテイラー・スウィフトが嫌いという意味ではありません。あの派閥感がちょっと…というだけです 笑)といった豪華な顔ぶれとなっています。
また物語の舞台が夏のNYということで、人も街もエネルギッシュで、活気に満ちています。夜のクラブ界隈も、昼のダウンタウンも、幾つもの公園も、地下鉄のホームも、眺めのいい屋上も、どこもかしこも素敵に見え、何かが起こりそうな、何かがはじまりそうなワクワク感があるところが前作と大きく違うところです。
前後作がともに(少なくとも本人にとっては夢を叶えられる街ではない)ダブリンでの話なので、コントラストの違いで尚のことキラキラして見えます。オープニング・クレジットが入る場面、ダンが車を走らせているときの映像だけで気分が上がってきます。
魔法を信じるかい?
グレタとダンが出会う重要な場面(バーでグレタが歌うところ)が計3回出てきます。
最初は客観的視点としてオープニングに。
2回目はダンの視点。最悪の一日を過ごしたダンが、夜にバーへやってきてグレタの歌を聴くまでを。
この、ダンがグレタの歌を聴くシーンはカーニー監督お得意の「魔法」ですね。
そして3回目はグレタの視点で。メジャーデビューするミュージシャンの恋人・デイヴと共にNYへやってきたものの、彼の浮気が原因で滞在していた高級アパートを飛び出し、旧友で売れないミュージシャン・スティーブのところへ転がり込んだグレタが、夜にバーのステージで歌うスティーブと一緒にバーへ出かけたことで、なぜか自身が歌うことになる──というところまでを。
この流れは、同じ地点(グレタが歌うところ)にダンとグレタの二人が、どのようにして辿り着いたかを説明するためのものでしたが、その切り替わりや繋ぎが実に自然で、まどろっこしさとか中弛みするようなことは全くありませんでした。ダンのシークエンスからグレタの回想に入っていくあたりはむしろ巧いなぁ~と。
先ほど書いた監督お得意の「魔法」についてすが、『ONCE ダブリンの街角で』と『シング・ストリート 未来へのうた』の2作については、それぞれのレビューのほうに書いていますのでよろしければそちらもほうもぜひ読んでみてください。


ジョン・カーニー監督の映画でとにかく素晴らしい!と思うシーンは、何と言っても、ギター1本で静かに始まった「歌」が、少しずつバンドの音が重なってきてひとつの「曲」になっていくときの高揚感でしょう。
これぞ「音楽の持つ魔法」といった感じで、3作通してこれらのシーンは個人的に叫びたくなるくらいに盛り上がります(笑)。
今作では、傷心のダンがグレタの歌う『A Step You Can’t Take Back』に引き込まれ、頭の中でバンドサウンドのアレンジが再生されていき、ドラム→ピアノ→チェロ→ヴァイオリン…と音が次々重なっていくシーン──がそれで、映画を見ていてこの場面に突入したとき(だいたい上映から20分くらい)、「あぁ、この映画は間違いないわ」と確信したのでした。
またダンとグレタがお互いのiPhoneに入れているプレイリストを、スプリッターを通してそれぞれのイヤホンで同時に聴きながら、夜のNYを練り歩くシーンも非常に素晴らしく(というかこの映画は素晴らしいところだらけなんですが 笑)…。
最後に二人が腰を下ろしてダンが「音楽の魔法」について語る場面では、カメラは“そこにいる者”の目線となり、人が誰かと外で話しているときの視線みたいに、横切っていく色々なタイプの人にピントを次々と移していきます。
NYという街の持つ多様性──
人の数だけ違った人生があり、どの人生にも音楽は寄り添っていくもの──
といったことを表現しているような気がして好きな場面です。
警察官と連行されていく男、電話しながら歩く若い女性、BMXに乗る若者、インド風?の服を着た3人組、ヒョロッとした背の高いメガネの若者、どの人たちもこの街の中の一部であり、自分たちと同じく今この瞬間を生きている誰か、です。
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