【MBTI】ちょっとだけgiverという状態が一番楽なINFJ、そして自愛のススメ【自己啓発っぽい話③】

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 後半のほうに書いている「自愛」については、前回書いたことと同じような内容も多少含まれています。ですが自愛というのは本当に大切で、特に周りのことばかり気にして自分のことを低く扱いがちなINFJにとってはきっと役に立つはず、と思いましたのでしつこいようで恐縮ですが今回も続けさせていただきました。

 

 なんか急に書きたいことがいろいろと出てきたので少しずつ書き始めていたのですが、INFJのgiverの度合いに関することが急に頭に浮かんで一気に沸き出してしまったので、それまで書いていたものを全部すっ飛ばして今回はこの話題で進めることにしました。

 

 

 INFJに限った話ではないとは思いますが、少なくともINFJの方ならほぼ間違いなくそうだろうなと確信を持って言えるのが

 

全ての人をgiverとtakerの2種類に分けるとすると、INFJはgiverに属するタイプ

※giverは与える人。「give & take」のgiver。逆に取る人、受け取る人はtakerです。

 

 ということ。

 ですが私を含め大部分のINFJは、圧倒的なgiverというわけではないと考えています。そこまで利他的になれるほどの人の良さも持っていない、というのもありますが(笑)、それよりも「都合良く利用される」ということに対してとても敏感なのですぐそれに気付いてしまい、平等でないことに憤りを感じてしまうからです。

 「みんなが平等である状態が理想」ということにやたらとこだわるのがINFJです。それがいわゆる理想主義者とされる所以なのかなとも思うのですが、これは平和主義というものとは全く異なり「誰かだけが楽をしたり得をしたり、逆に誰かが然るべき理由もなく辛い思いをしたり損をしたりするという不平等が許せない、そんなことはあってはならない」という考えから来ているものなので、どこかで道を誤ると闇落ちしてしまう可能性もはらんでいるように感じられます。ってか私の中にも多少の闇は常に存在しています(笑)。

 「みんなが幸せである世界を望む」のが平和主義者だとしたら「幸せでない人がいない社会、取りこぼされて悲しい思いをする人がいない世界を望む」というのが理想主義者なのかなと。似ているようで全然違いますね。後者はちょっと思想的に危険なんですよね……フォーカスしているのが結果ではなくジャッジメントのほうなので。

 

 

 みんな平等であるということは、当然良いことだけではなく大変なことや面倒なことも同じように平等に引き受けるということでもあります。そうなったときINFJは利他の心のセンサーが働きます。「それだとなんか悪いから自分がもう少し持つよ」というふうに、人よりも少しだけ大変さを背負おうとします。

 「利他の心」と書きましたが、これは私たちが必ずしも善人であるとか利他的であるという意味ではありません。ではなぜそうするのか──それは、

 

そのほうが気分的に楽だから

 

 ただそれだけなんじゃないかと思います。自分のせいで誰かに苦労を背負わせてしまうということにものすごく居心地の悪さを感じてしまうので、この状況というのは誰にも迷惑をかけず、さらに人よりもちょっとだけ苦労を背負っているということで「ホラ私これだけ背負ってますよね?誰も私に文句言えませんよね?」という、完璧なガードポジションをとっているとも言えます。

 そんなわけで、こういった「ちょっとだけgiverである状態」が私たちにとっては心理的に一番楽な状態なんですね。

 また先ほども書いたように、INFJは圧倒的なgiverとなることは好みません。不平等だからです(笑)。そして自がそういった立場になったときに、その不平等さに気付いて手を差し伸べる人が周りにいないことも知っています。なぜなら他の人たちは基本的に私たちよりもそういうことを気にしていないので、敏感に感じ取ってその辺のバランスを取ろうとはあまり考えない、という人がほとんどであるからです。

 

 

 もしくは、私たちのような小狡い理想主義者(ごめんなさい)ではなく、本物の利他の心で人がやりたがらない大変なことを進んで背負う人が周りにいることもあるかもしれません。

 そういった人を前にすると、今度はそのような人と同じくらいの苦労ができない自分をまるで人間失格であるかのように考えたりすることがあります。

 そんなとき、自分もその人たちを手伝って仲良く頑張ったりすることもあれば(あくまでも「手伝う」というスタンス)、同じレベルで背負えるほどのバイタリティがないので(Se劣等だからかも…)見て見ぬ振りをしてしまうこともあります。

 

「あの人ほどじゃないけど自分だっていろいろ抱えてるんだから他の楽してる人たちがやればいいじゃない!」

 

 といったことを考えながら(笑)。悪人ではないけど、崇高な善人というわけでもない、ということなのでしょう…。

 こういったことを踏まえて「社会生活を送る中でそれぞれが何かを引き受ける」という観点で見た場合に、私たちINFJがやるべきことは次の3つかなと考えました。

 

・一番気分的に楽な状況(ちょっとだけgiverの状態)をうまく作ること

・自分よりも背負っている人を助けられないときに、絶対に自分を責めないこと

・自分が真の意味での利他主義者ではないこと、実は自分はそれほど善人ではないことを認め、それを受け入れること

 

 自分が一番楽な状態がそれなのだから、「人よりもちょっとだけ背負う」ということを受け入れて、その状況をうまく作れるように頭を働かせる(笑)、ということがまずひとつ。まぁわざわざ言われなくても自然にやっていることだとは思いますが。

 そして大事なのが2番目の「自分よりも多くのものを背負っている人と比べて、自分が同じことが出来なくても絶対に自分を責めない。卑下しない」「そういった人の存在を知ったのに見て見ぬふりをしてしまったとしても、それでも絶対に自分を責めない」ということ。

 

 

 同じことは出来なくても、少し手伝ってあげたり声をかけてあげることは出来ます。その人はそれだけのことが出来るバイタリティとか根性がある人だからそれをやっているけど、自分が同じだけのものを背負ったらパンクしてしまいます(しつこいけどSe劣等だから…)。

 もし頑張りすぎてパンクしてその結果自滅してしまったら、INFJにとってはすごく重荷に感じることである「誰かに迷惑をかける」という状況を自ら作ってしまうことになります。それだと本末転倒ですよね。INFJは借りを作りたくないですから。違いますか?私はすごく嫌です(笑)。

 さらに、これは素直に受け入れられる人はもしかしたら少ないかもしれませんが、実はそういった人たちは

 

自らの意志でそうしている場合が多い

 

 ということを頭に入れておかなければなりません。私たちが自ら「ちょっとだけ背負う」ことを選択しているのと同じように、彼らも自らそれを選択しているかもしれないのです。たとえその人が辛そうに見えたとしても、です。(全ての人がそうだという意味ではありません)

 自己啓発とかスピリチュアルの界隈で、一生懸命取り組んでいるのにいつまで経っても自分が望んだ状態になれない場合、実はその人には

 

「望んだ状態にならないことで得られるメリット」

 

 というものが存在している可能性がある──ということがよく言われます。

 ひとつ例として、ある潜在意識活用系の本に書いてあった一節を引用します。

 

 

 私の知人に、長年リウマチを患っているイギリス人女性がいた。いつも膝をさすっては、「今日はリウマチの調子が悪いの。だから外出できなくてね。リウマチのせいで辛い毎日を送っているの」と言っていた。

 この気の毒な年老いた女性は、息子や娘、それに近所の人々からたくさんの気遣いをもらっていた。彼女は本当はリウマチであることを望んでいた。彼女が言う「辛い毎日」を楽しんでいた。この女性は、本当は幸福を望んでいなかったのだ。

 

 

 またダイエットをして奇麗になりたい、出会いが欲しい、彼氏がほしい、といった願望を持っていていろいろと行動も起こしているのにうまくいかない──という人の中には、

 

もし自分が痩せてスタイルの良い美人になって注目を浴びるようになったり、良い出会いに恵まれて彼氏が出来てしまったら周り(同性)から妬まれて攻撃されるかもしれない

 

もし周りの同僚・知人・友人たちよりも先に彼氏が出来て自分が幸せになったら陰でどんなことを言われるだろうか…

 

 といった心配事を心の奥底(無意識の領域)に抱えている人が結構多いのだそうです。そのため願望は実現されず、というか

 

現状維持することによって、波風が立たない「安全」な状態が“引き続き”実現される──

 

 というわけです。

 このような例と同様に、人よりもずっと苦労して多くのものを背負って毎日頑張っている人の中には、本人にとって「そういう状況でいるほうがいいと思える理由」がある人もいるのです。

 いつも仕事が多いことへの文句であったり、一緒に仕事している誰かへの愚痴をわめき散らして職場の空気を著しく悪くしているような人(主にベテラン世代)がよくいます。そしてそんな人に限って仕事はテキパキやるものだから周りも扱いに困っている──なんていうケースは結構あるのではないでしょうか。男ばっかりのガテン系の現場でも、ほとんどが女性という職場でも、両方あると思います。実際に私は両方目にしてきました(笑)。

 じゃあその人の文句や愚痴の元となっている原因を全部取っ払ったらその人は毎日穏やかに働いて幸せになれるのでしょうか。多くの場合、その答えは「No」です。

 

 

 そういう人たちはまた文句や愚痴を言うために他に新たな原因を見つけて(または作って)、結局は同じようにグチグチ言いつつもテキパキ仕事をし、自分のようにはテキパキと仕事が出来ない後輩に対して文句を言いながら、誰にも負けない仕事量とそれをこなせる自身の能力をアイデンティティとして日々を過ごすのだろうと思います。

 またいつも人から仕事を多く押し付けられて大変そうにしている人でも、その仕事自体はたしかに大変なんだけれども、本人にとっては(私たちがちょっとだけgiverである状態が楽なのと同じように)他の人よりも忙しくしているその状況に自分の居場所を見出しているのかもしれませんし、もしくはその人は本当に格の高い魂を持った人で、そうすることに意義や生きがいを見つけていたり、その状況を覚悟を持って受け入れている人なのかもしれません。

 こちらが善かれと思って介入したつもりが余計なお世話だったりすることもあります。また介入すること自体はいいんだけれども、もっと別の控えめな方法のほうが相手にとっては有難い、ということもあります。

 それだけならまだいいのですが、悪いときには助けたつもりが相手につけ込まれる形となって、沼に引きずり込まれるが如く自分が一番大変な状況に陥ってしまう、なんてことだってありえます。

 ですから自分よりも大変な状況ある人を見て何も出来なかったとしても、自分を責める必要はありません。もし何かしたい!と思うようであれば自分に出来る小さいことをやればいいんだと思います。何もしないことがいいという場合もありますし、直接的な介入じゃなくちょっとした息抜きや笑いを提供することが正解である場合だってあるはずです。

 もちろん、本当に手を差し伸べることが唯一の方法であることだってあるでしょうから、ここで書いていることが全てにおいて当てはまるという意味ではありませんが……。

 そして最後の「自分が真の意味での利他主義者ではないこと、実は自分はそれほど善人ではないことを認め、それを受け入れること」ですが、これはINFJが苦手としている(と私は勝手に思っています)「自愛」とセットで取り入れてほしいものだったりします。

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