偉大なる大英帝国様のお考え
監督をはじめとした製作陣のほとんどがニュージーランドの白人というこの映画に、一体どういう理由でこんな描写を入れてきたのか謎ですが、この映画で描かれる「ロンドン」の人間の行いや考え方は、かつての(と過去形にしていいのかどうか…)支配者であったアングロサクソンたちの思考と行動そのものであり、大航海時代から先の大戦まで、有色人種の土地や資源を虐殺によって奪い、原住民を奴隷とし、全てを支配しようとした悪魔のようなヨーロッパ人と何ら変わりありません。
「聖書には“人を殺してはならぬ”と書いてあるが“獣を殺してはならぬ”とは書いていない」
こういった考えのもとで行われた侵略と支配がどれほど凄惨で狂気じみていたものであったか、ご存知ない方はぜひ調べてみてください。想像しただけで吐いてしまうかもしれません。そんな悪魔どもが歴史の教科書では偉人扱いという事実…。
彼らには「和を以て貴しとなす」という、私たち日本人が持つ価値観は存在しないのでしょうか。
話し合いとか交易などは全く考えずに、欲しい土地・欲しい物は「戦って奪う」のが当然という価値観で生きているから、「ロンドン」の上層階で見ている住民もあのように大喜びしていられるのでしょうか。
そんな恐ろしい連中とは一体どんな野蛮人なのかと思ったら………なんとそいつらは皆、上層階に暮らす富裕層の「紳士・淑女」だったのです。
これはもう「私たちアングロサクソンとはこういう生き物なのです」とカミングアウトしているようなものではないですか。。。
そんな「ロンドン」の上層階に住む富裕層・支配層のクズさを清々しいまでに描いていることから、てっきりこの映画は
「私たちもそんな彼らに虐げられてきたのです」
という、有色人種側の目線に寄り添ったかのような視点で作られているのかと思いきや、どうもそうではないようで……
支配していた上層部連中は、壊滅し移動不能となった「ロンドン」から出てきて、今さっきまで征服しようとしていた東方の人たち(=アジア人)のところへ、しおらしくとぼとぼと歩いていきます。
するとどうでしょう。「楯の壁」の内側・反移動都市のクワン総督(仏教の高僧風)が手を差し伸べ、彼らを許し迎え入れたではありませんか。
これまで散々破壊し、奪い、飲み込んだ都市の人々を奴隷としてきた「ロンドン」の行いは、全て上層部・上流国民がやったことである。
その非情な行いを私たちは煽り喜びながら見てきたが、実際にやったのは彼らであって私たちではありません。
だから負けた私たちをあなた方(東方の者たち=アジア人)は好意的に受け入れなさい。
そうされることは偉大なる私たち大英帝国(移動都市ロンドン)の人間にとって当然の権利なのです。
とでも言わんばかりの厚かましさ(笑)。
しかもそんな「ロンドン」の住人の中に「正しい行いをする者」をちらほら混ぜておいて、最後に難民風情でとぼとぼ東方の街へ向かうときにその「正しい人たち」(サディアスの娘であるキャサリン・ヴァレンタインやチャドリー・ポムロイ博士など)に先頭を歩かせることによって、
さも受け入れてもらうことが正当の権利であるかのように描く
という姑息さまで持ち合わせていたりします。
いやいや、その後ろにいる連中は奴隷にして働かせてた人たちばかりじゃねぇだろ、っていう。
そういうのは虐げられた側の人たちが作った映画の中でやってこそ、初めて意味があるのであってね。
あんたらがやっても
「お前が言うなw」
ってことになるだろっつーの(笑)。
同じ人種間での上下関係なんて知った話じゃないけど、こういうところに出てしまうもんですね。アングロサクソンが持っている特権意識ってやつが。
いや、まぁこちらも彼奴らをアングロサクソンと一括りにしてしまっていいのかといえば、それはそれで問題かもしれませんけども。
反移動都市の人たちが正しい選択をして受け入れてくれた──っていう「アジア人上げ要素」を入れて誤摩化してるけど、お前ら結局誰も反省してないし報いも受けてねぇじゃねーか。
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