映画『ラッキー』──すべてのものは、いつかなくなる【日本人としての意見も】

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「独り」(alone)の語源は「みんな、一人」(all one)

 これもラッキーがエレインの店で語った言葉です。

 ちょっとググってみたらどうやらこれは本当のことみたいですね。

 

「人はみな生まれる時も、死ぬ時も1人だ」

 

 これもよく言われている言葉です。そして聖書の中にも

「わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきた。また、何ひとつ持たないで、この世を去っていく」

 という言葉があります。これも先の「現実主義」の話とも繋がってくるような、真実そのものといったものですね。

 物質主義に生き、物や財産、名声などにどれほど固執しても、結局は何もあの世には持っていけません。今後どれだけ科学が進歩したとしても、この事実が変わることはないのです。

「この宇宙には人間より偉大なものがある」

 自身の今後のため、遺言について弁護士と相談していたハワードが、いなくなったリクガメ“ルーズベルト”のことで熱くなって語った場面での台詞です。

 

「君たちはリクガメをのろまだと思うだろうが、私は彼の背中の重荷を思う」

「身体を守るものだが、やがては彼の棺となる」

 

「生涯、あれを背負うんだぞ」

 

「この宇宙には人間より偉大なものがある」

「リクガメもそのひとつだ」

 

 身を守るために備わっている亀の甲羅ですが、それは同時に、亀は生まれたときからずっとその重い甲羅を背負い、人間よりも長い年月を生き続ける運命を持っている──ということになります。

 水中で生きるウミガメなどと違い、リクガメはその重い甲羅のためもあってか、動きがとてものろい生き物です。

 ときに人間はそれを揶揄して馬鹿にしたり、ノロマ扱いしがちですが、リクガメは生まれてから死ぬまでずっとあの重い甲羅を背負って生きているという事実を考えたことがある人が、はたしてどれだけいるでしょうか。

 

 人がノロマだと笑うその生き物は、本当に人から笑われるような存在なのでしょうか。

 

 中国神話に「宇宙を構成する根源的な力(陰と陽)の子どもである盤古(ばんこ)が、宙に浮いた巨大な岩から天と地と万物を、のみと手斧で作り出した」という伝承があるのですが、それを表す絵のなかに描かれている生き物は、龍と鳳凰、そして亀です。

 

 またヒンドゥー教の「宇宙」は、巨大な蛇のとぐろの上にが乗り、その甲羅の上に乗っている4頭の象に支えられた半球状の世界──という姿で描かれています。

 

 さらに私たちにも馴染み深い、方位を司る4つの霊獣、青龍・朱雀・白虎・玄武のうちの「玄武」は、蛇と亀の姿をしています。

 

 ハワードがそんなリクガメに尊敬と愛情の念を抱くのも、不思議なことではないのかもしれません。

 八百万の神の国に生きる私たち日本人にとっては少数派だと思うのですが、

 

「この宇宙には人間より偉大なものがある」

 

 なんていうセリフが出てくる時点で、この世の中には人間こそがこの世界の支配者、人間こそが地球の頂点に君臨する偉大な存在だと考える人が、まだ多いということなのかもしれませんね。

 そしてこの何もない砂漠の田舎町で、リクガメに宇宙の神秘と生き物に対する畏敬の念を見出したハワードは、最後に“ルーズベルト”に対する愛情を最良の考え方で昇華させることとなるのでした。

「執着を手放そうかと」

 “ルーズベルト”の行動を考えると、彼は逃げたのではなく「大切な用事で出かけたのだと気付いた」と話すハワード。

 これまで自分が彼の邪魔をしていたのだ、だから捜すのはやめた──と。

 

 そしてハワードは続けます。

 

「縁があれば、また会える」

「私はいつでも門を開けておくだけ」

 

 ハワードにとっての“ルーズベルト”に対するこの思いを人間に置き換えて

自分もあの人に対して、そう考えるべきだったのかもしれない──

 という気持ちになる相手がいたな……という方は、けっこう多いのではないでしょうか。

 

 もしくはその対象は人ではなく、ハワードと同じように動物であったり、仕事や金銭、地位や名声、人からの賞賛、といったものだったりするかもしれません。

 

 自分の元から離れていった人や物事に固執して思い悩むのは辛いものです。

 それに対する執着を手放し「縁があったらまた会えるさ」と思えるようになることが、きっと正しい生き方なのでしょう。こういった思想も仏教的なものですね。

「すべてのものは、いつかなくなる」

 この言葉は上のハワードの話のあとで語られるラッキーの台詞ですが、これは昼間にダイナーで出会ったフレッドという元海兵隊員の老人との会話によって、ラッキーが抱えていた死に対する不安が取り去されたことからくるものでした。

 

「すべてのものは、いつかなくなる」

「無になり、空(くう)になるだけ」

 

 無になったら? その後はどうなる? というエレインたちの問いに

 

「無になったら、微笑むだけさ」

 

 と静かに笑うラッキー。

 

 「状況をありのまま受け入れる」という現実主義、「人はみな生まれる時も、死ぬ時も1人だ」という事実、そして「執着を手放す」という姿勢。

 そこから導かれる「全てのものはいつか無になり、ただ“空(くう)”になるだけ」という、人生の意味と答え。

 

 死後の世界や輪廻転生といったことについては全く触れられていないものの、ここで語られることは仏教の思想そのものです。

 

全ては「無」であり「空(くう)」である

 

 そしてこれはスピリチュアル系やオカルト、陰謀論界隈でも共通に語られる概念の

 

この世界は自分自身の意識の投影である

この世界はマトリックスであり、現実ではない

 

 といったこととも実は繋がっていることなのです。

 

元々、何もなかったのです。

 

スピやオカルト界隈の人たちが言うことだけを聞くと「アホか」「イカれてるw」と一笑に付す人が多いのかもしれませんが、その根底にあるものは同じです。

 

 個人的にここでさらに興味深いなと思ったことは、こういった思想や概念に辿り着くために、必ずしも現代のような整ったインターネット環境であったり、たくさんの書物を読むことができる場が必要、というわけではないということ。

 こんな砂漠しかない田舎町に暮らす人たちでも、その尊い答えに辿り着くことが出来るのだということに、ちょっとした勇気をもらえたような気がします。

 

 あれもない、これもない、といったように足りないもの・不足にばかり目を向けて

「だから自分は○○することができない」

 と考えるのではなく、何もないようなところにも必ず真理を見出せる何か、答えに辿り着ける何かがある。

 そう考えて生きてみると、きっと人生は違ったものになるのではないかと思います。

フレッドとの出会い

 ある日ダイナーに海兵隊員として第二次世界大戦を経験したという男、フレッドがやってきます。

 海軍の一員として同じく大戦を経験しているラッキーは、彼の隣に座り当時のことについて話しを廻らせます。

 この町には多くの友人・知人がいるラッキーですが、90歳という年齢から、大戦時の思い出などを語り合う人は周りにはもういません。

 人生の終わりというものを意識し、怖れを感じるようになっていたラッキーにとって、死というものが最も身近にあった戦争時の体験を共有できる男の出現は、大きな意味のあるものでした。

 

 軍艦で調理兵として従事し、当時は戦地で陸に上がることのなかったラッキーとは違い、フレッドには日米間での激戦地となったキリバスのタラワ、そして沖縄で戦った経験がありました。

 そして彼は、そこで出会ったある少女の話をするのでした。

米兵に殺されるよりは自決することを選び、子ども共々崖から身を投げた日本人──

肉片が飛び散り焦土化した地獄のような場所で出会った少女は、自分たち米兵に向けて満面の笑みを浮かべていた──

 自分たちを見て喜んでいるのか? と不思議に思ったフレッドは衛生兵に尋ねると、衛生兵は

 

「彼女は仏教徒だから、殺される運命を受け入れて微笑んでいるんだ」

 

 と答えました。

 

恐怖の真っただ中で運命を受け入れた少女が見せたあの笑顔こそ、叙勲に値するものだ──

 

 この映画のこの場面で伝えたいことは、おそらく次のようなことでしょう。

 

 死というものを意識して怖れを抱いているラッキーは、フレッドがかつて出会った、死の恐怖の中で笑顔を携えた敵地の少女のことを聞き、「死を受け入れる」という生き方・選択に触れたのだった──

 

 それは解ります。映画の中でそういう設定が登場することもあるでしょう。

 

 また実際に多くのアメリカ人が今でも大戦時の日本について、私たちとは全く異なった認識や考え方(もちろん問題なのは明らかに事実とは違うことを事実だと信じていること)を持って、何かあるごとに耐え難い罵りを吐くこともあるのを知っています。

 

 「ジャップ」という言葉なんていくらでも聞きますし、スポーツの試合、それも女子の試合でさえもそんな罵り言葉はたくさん見聞きします。

 

 たとえば2011年のワールドカップ女子サッカーでアメリカを倒して優勝した日本が、翌年のロンドン五輪で再びアメリカと決勝で対戦したとき、Twitterではアメリカ人による本当に本当にたくさんの「パールハーバー」という単語が飛び交っていました。もちろんその多くは汚い言葉も一緒に、です。

 そういった人たちがいなくなることはありませんし、認識の違いが埋まる日は来ないかもしれません。そしてそれについて憎しみで返しても何も変わらないことも知っています。

 

ですが私は日本人です。

 

 だから自分の感情としてというより、かつて日本人として生きた方々のためにこれだけは言っておきたい。

 

なんだよそれ。

 

勝手な物語を作るなよ。勝手な解釈で美化するんじゃないよ。

何が「彼女の勇気こそ殊勲に値する」だよ。

 

 ほんのひと言でもいいから戦争の虚しさや悲しさ、勝とうが負けようが戦争は正当化してはいけないということを言ってくれてたら全く違ったものになるというのに、これじゃ戦後何年経とうが、どれだけ年を重ねて人生経験を積んでこようが何も変わっていないじゃないか。

 もちろん、アメリカ人である彼らには彼らの立場での視点や経験があるわけだし、彼ら自身もまた単なる一兵卒でしかないのだから、そこを責めても仕方がないのは承知しています。

 でもだからこそ、自分が日本人の立場でしかこの映画を見られないのも、また仕方がないことだと思っています。責めはしませんが。

 

 私はこの映画が好きだし、いい映画だと思いました。

 ですが日本人であることに無責任・無頓着であるわけにもいかないとも思っています。

 

 …というわけで映画の話に戻ります。

 

 ちなみにこのフレッドを演じたトム・スケリット『トップガン』で教官“ヴァイパー”役だったあの方です。

 さらにハリー・ディーン・スタントン本人も、実際に第二次世界大戦時に海軍で調理師をしていたとのこと。

 

 そしてもうひとつ、この映画で第二次世界大戦と関連づけられるものといえば、ハワードが飼っていたリクガメの“ルーズベルト”

 フランクリン・ルーズベルトは、第二次世界大戦時の大統領だった男。(なお終戦時の大統領はトルーマン)

 そのルーズベルトの前の大統領であるフーヴァー

「日本との戦争は、戦争を起こしたいという狂人(ルーズベルト)の欲望によるものだった」

 と厳しく批判している(Wikipediaより)とのこと。

 

 このように主人公ラッキーを演じるハリー・ディーン・スタントン自身の人生も反映しているようなこの映画で、最後に流れる2曲

 

「I STOLE THE RIGHT TO LIVE」

「THE MAN IN THE MOONSHINE」

 

 が、ハリー・ディーン・スタントン自身と、彼がこれまで演じてきた役柄のことを歌っているような歌詞でグッときます。油断していると泣かされます(笑)。

 彼が亡くなって間もない時期に公開された映画ということもあって、リアルタイムで劇場で見た人の中には思わず泣けてしまった…という人もいるのではないでしょうか。

 

女を傷つけ 放浪の旅に出て

ほったらかした

 

鏡の前に立つのは やせたブレない男

ああ ご慈悲を

神よ あわれみたまえ

ただ旅しているだけ 帰る場所のない旅を

 

 「I STOLE THE RIGHT TO LIVE」より

 

ハリー・ディーン・スタントンにマンハッタンを一杯

月明かりに輝く男に

 

あの懐かしい「レポマン」に

曲を聴かせてやってくれ

月明かりに輝く男に

 

パリからテキサスへ

ケンタッキーから劇場へ

月明かりに輝く男に

 

月明かりに輝く男に

 

 「THE MAN IN THE MOONSHINE」より

※ハリー・ディーン・スタントンはケンタッキー州の出身

 

 オープニングで映る山の向こうから昇る朝日の美しさ、そして出かけようドアを開けたラッキーに目一杯射し込む太陽の光の神々しさ──

 こんな素敵な映画で役者人生を締めくくれたハリー・ディーン・スタントンもまた、幸運(ラッキー)であったのかもしれませんね。

 

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