映画『グッバイ、レーニン!』は日本では2004年に公開された作品。今見てみるととにかく主演のダニエル・ブリュールが若い! という印象ですが、内容的にもこの映画の背景にあったものを知ってから見てみると、より作品に対する深みが増してくる良作であることがわかります。
本国ドイツでの公開が2003年、製作が2002年とのことで、サッカー好きの方でしたら「あぁ、あの頃か…」と、想像がつきやすいのではないでしょうか。
日韓W杯が開催された2002年に製作され、4年後の2006年に東西統一後はじめての母国開催となるW杯ドイツ大会を控えた時期に公開された今作。
気にはなっていたものの、ずっと未見だった今作をいま見てみようと思ったきっかけは2つありました。
ひとつは一昨年にネットで知り合って以来ずっと交流を続けている方が旧東ドイツ地域の人であること。直接会うことができないからなのか、むしろリア友よりも頻繁に連絡を取っている関係だったりします(笑)。
そしてもうひとつが、ベルリンの壁崩壊から昨年でちょうど30年となり、テレビでも関連する番組が色々放送されたのを見て、以前はそれほど関心がなかった「東と西のドイツについて」というものに興味が出てきたことでした。
やはり多少なりとも「東西のドイツ」について知ってから見ると受け取り方もだいぶ違いますね。今回このタイミングで見てよかったと個人的には思いました。
あらすじ
まだドイツが東西に分裂していた頃、東ドイツのベルリンで母クリスティアーネと姉アリアネとの3人で暮らしていたアレックス。
父ローベルトはアレックスが子どもの頃に家族を残して西側へ亡命して以来音信不通で、母は父がいなくなったショックで8週間入院。退院してからは父のことを忘れようとするかのように祖国の社会主義にのめり込むこととなった。
その熱心な活動に対し国から勲章を授かるほどの親を持つアレックスだが、ある日彼は反体制のデモに参加し警察に身柄を拘束されることに。そしてこのとき警官に取り押さえられるアレックスの姿を偶然目撃してしまったクリスティアーネは、ショックから心臓発作を起こして倒れ、そのまま昏睡状態となってしまう。
それから8ヵ月後にクリスティアーネは奇跡的に意識を取り戻すが、昏睡状態だった間にベルリンの壁は崩壊し、社会主義国家だった東ドイツには西側のモノや人、文化が大量に入ってきており、時代は急速に変化していたのだった。
医師から母が再び発作を起こさないよう、くれぐれもショックは与えないようにと告げられていたアレックスは、姉アリアネとその恋人のライナー(西ドイツ出身)、デモに参加した夜に知り合った看護師のララ、そして自身の再就職先の同僚で自主映画を作っているデニスたちの協力のもと、かつての東ドイツでの生活が変わらずに続いているかのように偽装工作をするのであった──
感想
コメディチックな内容ではあるものの、母との別れや父親の亡命の真相、時代の変化によって生まれた光と影といった部分も描かれており、EUの中心国として大きな存在感を持つドイツの“少し前の姿”を、こういった「東側の視点」で作られた映画によって知ることができるのはとても興味深いことだと思います。
どうしても私たちは(もちろん詳しい人は除いて)ベルリンの壁が崩壊し東西ドイツが統一されたことで、
といった印象を持ってしまいがちですが、やはり全てがそうだったというわけではなかったようです。
この辺はあとでまた触れますが、大きな変化に取り残された人たちや、西側の文化や社会に飲み込まれていくなかで失ってしまった大事な何かについて、この映画は教えてくれているように感じます。
また映画の終盤までは、アレックスの父は「家族を捨てて西側の女と一緒になるために亡命した男」とされていましたが、実は全く違った理由で本人の意に反してひとりだけでの亡命となったこと、そして母にずっと手紙を送っていたことなどが明らかになりました。
アレックスは母に東ドイツが健在であると嘘をついていましたが、その母も実は子どもたちに父がいなくなった本当の理由を隠していたのでした。
アレックスが父親を母がいる病院へ連れてきたとき、アレックスの恋人ララが母クリスティアーネに本当のことを話していたシーンがあります。
そこでの母は、ララの言うことに納得せず言い争っているように見えましたが、このララとのやり取りの場ではなくても、どこかのタイミングで母はララが話した事実を受け入れていたのではないでしょうか。
元宇宙飛行士のイェーンに偽の放送演説をさせた映像を見せられたとき、うまくいったと思って満足げなアレックスの後ろで、彼を優しく見つめる母クリスティアーネの表情から何となくそんな様子が伺えます。
クリスティアーネは息子が自分のことを考えてこのような偽装をしていることを知っていて、気付いていないふりをしたまま亡くなったのではないか──そんな気がしてきます。
もちろん実際どうだったのかなんてことは分かりませんし、アレックス自身は「母は東西ドイツの統一を知らずに亡くなった」と思っているので、実際にそうなのかもしれません。ですが私は「母を想って演じ続けた息子」と「息子の想いを知って騙されたふりを続けた母」だったのではないかと思っています。
そしてこのアレックスの「母を想っての行動」は、途中からその方向性に変化が生じます。
最初のうちは母のためにわざわざ東ドイツで売られていた食品を探したり、今では着なくなっていた昔のダサい服を身につけてうまく騙していましたが、途中で母が脱走(笑)し、街の様子が大きく様変わりしていることに気付いたことで
という、事実とはほとんど逆の説明をすることになりました。
これは、かつては自由と未来を求めてデモに参加したアレックスが、壁の崩壊後に生まれた多くの失業者や、ないがしろにされ急速に失われつつある自分たちのアイデンティティを大事に思う気持ちが重なっているものと思われます。
母に見せていた偽りの現実は、アレックスが「こうあってほしい」と考える現在のドイツの姿だったのかもしれません。
そしてこのことは、昨年再放送されたNHK-BSプレミアムの番組『プレミアムカフェ「旧東ドイツ 激動の日々」(初回放送2009年)』を見たことでより理解できたことでもあります。(このあと説明します)
あとこの映画では、東ドイツの宇宙飛行士・イェーンに憧れるアレックスがお手製のロケットを打ち上げるシーンが序盤とラストにあり、憧れだったイェーンと偶然出会い、後に偽の番組に登場させるなど、ロケットと宇宙飛行士が象徴的に描かれています。
アレックスはかつての憧れ、ヒーローだった男がタクシーの運転手をしているのを見たことで「東ドイツの終わりとそれがもたらした現実」を知り、母クリスティアーネは吊り下げられたレーニン像がどこかへ運ばれていくのを見たことで「自分が身を捧げてきた社会主義の終わり」を知ったのでした。
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