【社会の縮図】映画『プラットフォーム』レビュー①──層の数字、名前の由来、本、ダンテ、ゴレンとミハルの関係【結末の考察】

ENTERTAINMENT
スポンサーリンク

ミハル(ISTP)

 月に一度、台座に乗って下へ降りる(らしい)謎のアジア人女性。その目的は息子を探すためだと噂されている。

 

 このミハルというキャラクターについての解釈は、333層にいた女の子との関連も含め、映画を1~2回見ただけでは正直言って分かりませんでした。彼女の存在が物語の中で重要な役割を持ち、そしてラストの解釈にも大きく関係しているだろうことは何となく分かるのですが……

 そのように、ミハルという女性の目的や映画の中での役割が何なのか自分で考えただけでは答えが出なかったので、英語やスペイン語で発信されている動画やブログ記事を調べてみたところ、ようやく個人的に納得できる考察に辿り着くことができたのでした。

 

 

 まず、ミハルが登場した場面と彼女に関する情報は以下の通り。

 

①ゴレンが48層に収容されて4日目(映画内で省略していなければ)に台座に乗ってミハルが降りてくる

②ミハルは「息子を探すために」月に一度、台座に乗って下へ降りてくる(トリマガシやバハラトによる情報)

③降りる前に同室者を56す(トリマガシによる情報)

④ゴレンは怪我をしているミハルを心配し「助けたい」と言う

⑤刃物らしきものを持っていて、降りた先で自分を襲ってきた者を56す

⑥171層でゴレンがトリマガシに足の○を削がれ叫んでいるときに台座に乗ったミハルが降りてくる

⑦ミハルはトリマガシから「サムライ・プラス」を奪い、彼の○を切る

⑧ミハルはゴレンを解放。「サムライ・プラス」を渡されたゴレンはトリマガシを何度も刺して56す

⑨目を覚ましたゴレンはベッドに寝ており、足には布が巻かれ手当されている

⑩ミハルがトリマガシの肉を切って○べている

⑪ゴレンが目を覚ましたことに気付いたミハルがトリマガシの肉をゴレンに○べさせる

⑫むせて吐き出してしまったゴレンにミハルは手に水を汲んで飲ませる

⑬ゴレンは「ありがとう」とお礼を言うとミハルは口に入れていた肉をちぎってゴレンに○べさせる

⑭「息子の名前は?」とゴレンが聞くとミハルは何も言わずにそこを離れ、台座に乗って下へ降りていく

⑮171層から33層に移った日、ゴレンはミハルと裸で抱き合いキスをする夢を見る

⑯33層で台座の上に倒れているミハルを見つけたゴレンはイモギリとともに彼女を助け介抱する

⑰ミハルを自分のベッドに寝かせ、ゴレンは真ん中の位置でしゃがんで寝る。その夜ミハルはイモギリの愛犬・ラムセス2世を56す

⑱翌日ミハルは下へ降りていく

⑲202層から6層に移った日、ゴレンは同室となったミハルに襲われ「サムライ・プラス」で刺される夢を見る

⑳99層~146層までのどこかの層で2人の男に襲われたミハルが56される。ゴレンとバハラトはなんとか男たちを56すが、ふたりとも重傷を負う。

㉑333層でふたりはアジア人の小さな女の子を見つける。ゴレンはこの子がミハルの娘だと考える

 

 

 さて、ミハルの存在とは一体何だったのかについてですが、それはゴレンの解説のところで書いた

 

「もうひとりの聖書に登場する人物のメタファー」

 

 であると考えることができます。この解釈は

 

・彼女は本当は何の目的であのような行動をとっているのか

・この映画の中での彼女の役割とは何なのか

・「息子を探している」という情報と「彼女はひとりでここへ来た」というイモギリの言葉、そして333層にいた子どもが男の子ではなく女の子だったという、辻褄の合わないことの意味は何なのか

 

 といった謎への答えを見つけ出せないでいた私にとって、この考察はかなり腑に落ちるものとなりました。

 

 

ゴレンがイエスのメタファーであったならば、ミハルはマリアのメタファーだったのです。

 

 

 ミハルが探していたのは「息子」です。それは嘘ではありませんでした。「息子」とはすなわち「イエス=ゴレン」のことで、この世界を救う(変える)ために立ち上がるゴレンを探していたのです。

(※もちろん、イエス・キリストや聖母マリアをこのような暴力的な人間と同様に見ている、というわけでは全くありません。あくまでもメタファーであり、一部分の要素を登場人物に投影させているというだけなので誤解のなきようお願いします。またミハルがそれを自覚してやっていたかという話ではなく、映画の登場人物に割り当てられた役割、という意味での話です)

 

 ゴレンは初めて会ったミハルを助けようとしました。その後49層で襲ってきた男たちを56したあと、さらに下へ降りるミハルはずっと彼を見つめていました

 

 そして171層ではミハルはゴレンを助け、人(トリマガシ)の肉を食べさせます。それは生き残るためでもあり、ゴレンに生きる術を教えているようにも思えます。またゴレンがトリマガシを何度も何度も刺すところをじっと見つめていたのも印象的でした。

 イモギリはミハルのことを「架空の息子を捜すイカれた殺し屋」と言っていました。たしかにミハルは降りた先で人を56し、その○を食べて生き延びています。ですがミハルが単に頭のおかしい○人鬼ではないことは、171層でゴレンを助けたときの様子を見れば分かります(⑨~⑬)

 

 

 最初にゴレンの口に肉を持っていったとき、ゴレンは口を開くことも出来ませんでした。それを見たミハルは肉をさらに小さくちぎり、ゆっくり口へ運びます。

 おそらくは何日もまともに水も飲ませてもらえなかったと思われるゴレンは、肉を口に入れられても喉を通らずむせてしまいます。(もちろん初めて口にする○肉に対する拒絶反応もあったでしょう)するとそれを見たミハルはすぐに水を両手に汲んで飲ませます。

 水を飲んだゴレンはミハルに「ありがとう」と言うのですが、それを聞いたミハルは何かを見つけたような、何かを確信したような表情をみせます。そして今度は自分の口で噛み砕いた肉をゴレンに食べさせるのでした。

 

 

 人を56したり、56した○の肉を食べたり食べさせたりといった行為自体は異常そのものですが、その恐ろしい部分を抜きにすればミハルが行っていた行動は「母から子への行動そのもの」だったように思えます。

 そしてその次の⑭も意味深です。息子の名前を聞かれて答えないミハル。この考察になぞらえるとこのシーンにも意味があるように思えてきます。

 また⑮のシーンには、ミハルがゴレンを抱きかかえているように見える描写も見られました。この姿はまさに母が子を抱きかかえるような、もしくは傷付いた息子を抱きしめて癒す母のような構図にも見えます。つまりここで抱き合っているのは男女のそれではなく母子の愛によるものであり、どこか宗教的なものを感じさせる絵面だった──ということです。

 

 

 重傷を負ったゴレンが血反吐を吐いてうなだれながら下へを降りていく様子は、自らが架けられることとなる十字架を背負ってゴルゴダの丘へと歩いてゆくイエスを連想させます。そしてこのときに画面にオーバーラップしてくるのがゴレンのことを「救世主」と言ったイモギリの顔と、そしてミハルがゴレンを抱きかかえているこの映像なのです。

comment

  1. てち より:

    FACTFULNESSという本を読んだばかりだったので映画の階層の表現に深く感慨を覚え、さらにこちらの考察を拝見して深まりました。内容はもちろん、話の流れがわかりやすかったです!MBTIを混ぜてるのもわかりやすかったです。他のレビューも参考にさせて頂きます!

    • ありがとうございます!そのように言っていただけてすごく嬉しいです。
      この映画に関しては海外の動画やブログなどの考察をかなり参考にさせてもらいましたが、そういうのを見ては「よくもまぁそんなところに気がつくもんだ」と感心してばかりでした。
      自分はINFJなので隠された意味だとか何のメタファーなのかといったことについ目がいってしまうのですが、思考タイプのような知識量も頭も良さも持っていないので全て自力で書き上げるのは難しかったみたいです(笑)。

  2. 通行人 より:

    昨日Amazonプライムで観て消化不良部分を解消したくてここにたどり着きました。
    この映画、非常に面白かったです。
    私の感想だと結末の可能性は3に近いです。
    ・女の子は存在した(管理者が意図的に入れた)
    ・人を殺しても上の層には行けない(下層に刀を持った荒くれ者がいるので成立しない)
    ・ミハルの子ではないが彼女は子供を保護していた(野蛮な男の餌食にされないため)
    ・女の子の存在を知ったのは偶然かもしれないし、管理者の意図かもしれない
    ・あの施設は刑務所であり実験所でもある
    ・犯罪者だけでは事態が動かないので一般人も参加させられるようになる
    ・自分の好物または1皿分だけ食べれば生き残れる(または2日に1度とか3日に一度に減らす)
    ・人を殺したものが上の層に行けるのではなく試練(生きる努力をするとか?)
    ・毎回ミハルが上から下りてきたのは最下層まで行ったから
    ・最下層まで行ってすべてを見た者が上層に行けるルール(天国から地上に生まれた神の子イエスの再現)
    ・0層のパンナコッタシーンは料理だけ残しても理解されないって言う暗示
    ・何故なら施設の内情は知らされていないから(イモギアも知らなかった)
    ・女の子はパンドラの箱の希望(子供は参加できないルールなので0層で気づいてもらえる)
    ・希望なので最悪気づいてもらえない可能性もあるがゴレンが起こした一石で変化は起きるかもしれない。
    ・ゴレンは333層で死んでいる(十字架で磔刑になったキリストと同じ)
    ・最後は希望を胸に死んだゴレンの魂の世界というか幻想
    もっと時間をかけて情報収集していたら協力者も増えて生きて期限を終えられたのだろうか?・・・

    • 大変興味深い考察、ありがとうございます!内容の良し悪しはもちろんのことですが、見る側に考える余地を多く与えている映画は色々な解釈ができて面白いですね。
      いただいたコメントを読んで、この映画が私たちが暮らすこの社会を投影していることと、その世界にキリスト教の解釈が大きく関わってくるストーリーになっているということを改めて感じさせられました。

      > ゴレンが起こした一石で変化は起きるかもしれない。

      というポジティブな可能性を見出す考察は完全に同意します。きっとそこが映画の重要なポイントのひとつなのでしょうね。

      <以下は完全に蛇足です>
      あとこれを書いた時点ではそれほど現実味がなかったことですが、現在世界中で騒がれている食糧危機の問題やグレート○セット後の世界なんかも何気に投影しているような気もしますし、さらに調子に乗ってオカルト的要素とか聖書予言、はたまたマッドフラッド界隈の考察も交えて考えてみると「地下に何かある/いる」という暗示も含まれていたりするのかも……なんてふと思ってみたり。。。

      • 通行人 より:

        興奮冷めやらないままに書き込んでしまい恥ずかしい限りです。
        見た直後に浮かんだのは、地獄の餓鬼道の話し。
        御馳走がたくさんあっても食べられないんだけど、長いお箸でお互いに食べさあうって言う。
        仏教的な考えは制作側には無いだろうとすぐ忘れましたが(苦笑)

        地下にあるもの、地下資源(海洋資源)くらいしか思いつきませんでした。
        いろいろ考えさせられる映画ですね。

        • そんな、とんでもないです〜。
          映画を見てから結構経っていることもあって今イチ的を得ない内容になってしまいほとんど削除してしまったのですが、当初はかなり長い返信を書いてしまったくらいですから。なのに削除して付け足したのが一番わけのわからない怪しげな内容というダメさ加減…。大変失礼しました(笑)。

          そう言われてみるとあの空間で繰り広げられていることはまさに修羅道や餓鬼道の世界観といった感じがしますね。。

  3. 映画考察初心者 より:

    すごく面白く考えさせられる映画だったんですが、パンナコッタと女の子と、途中の管理者がパンナコッタを持って怒鳴ってる場面が結び付かず、悶々としてたところたどり着きました。

    最後の二人の満足そうな笑顔は、私も涙しましたし、「革命への勝利」に同意です。
    「ゴレンは死に、女の子は存在せず、パンナコッタは0層に届けられた」このフレーズがすごくしっくりきました。

    読ませていただいて、もう一度物語を振り返ると、こちらも気になってたんですが、ゴレンがもらえるはずだった「認定証」は「救世主の認定証」なのでは?と。

    人は昔から生きながらにして神を目指そうとして上を目指しては蹴落とされ、蹴落とされてはのし上がるという輪廻転生を繰り返し(階層が変わる)、革命を起こした二人がたどり着いた先は、欲望のない心=純真無垢な子供(女の子)。子供が1番神に近い存在だが、残酷にもゴレンは同時に最期を迎える。結局のところ生きながらにして神に近づく事は不可能(ゆるされない)だと伝えられてるようにも感じました。
    ここの囚人は、罪というよりは我欲を落としていくこと、我欲を無くせば自然と神に近付くという人生そのものをあの狭い空間で描いてるように感じ圧巻。

    ※試練というか、何か(弱い者)を守るために命を投げるという行為の先に称号のようなものが与えられるようなところが「パンズラビリンス」と近いものを感じました

    そうなると、人間の思考(好きなものを聞かれても食べたいだけ食べて残らないことや、ゴレンたちが分け与えるために守り抜いたことも)と神(0層)の意図とズレが生じてるからこそ、途中のパンナコッタに付いていた髪の毛のシーンも描写されてるのかな、、なんて。

    キリスト教を知らないと、シュールな囚人同士のざん〇つ映画だな、と思いましたが最初から最後まで考えさせられる映画でした。

    こちらに辿り着くことが出来たおかげで、自分の中の考察も広がりました。

    ものすごい細かなところまで調べてまとめてくださってありがとうございます。

    • すごく考えさせられる考察、ありがとうございます!
      コメントをいただく方々の考察は皆とても面白くて、私も新しい気付きを得られて嬉しい限りです。

      たしかに人はこの世で高みを目指してもがくものの、根本的なやり方やそもそもの目指す姿を間違えてしまう生き物なのでしょうね。人間の思考と神の意図とのズレ…全くもって仰る通りだと思います。
      また「たどり着いた先が純真無垢な子供」という解釈も、すごく腑に落ちます。崇高な目的(とふたりは思っている)を達成するために人を威嚇し傷つけて333層までやってきたふたりにとって、あの女の子がいわば最終試験のようなものだったのかもしれませんね。書いていただいたように、ゴレンが欲しかった認定証が何なのかが説明されていなかったことにも繋がってくるんだとしたら本当に深い作品なんだなぁと…。
      通行人さんのコメントにあった「ゴレンが起こした一石で変化は起きるかもしれない」といった「その後に起きることの可能性」などの考察と合わせてまた新たな視点を教えていただけて、本当にありがたく思います。

      そして『パンズ・ラビリンス』!あれも本当に切ない映画でしたが、最期にあちらの世界(天国?)に迎え入れられて全てが報われたと信じたいです。

      仏教とか神道の世界観が浸透している日本と違って、西洋はキリスト教に基づく倫理観とか死生観がベースになっているのかもしれませんが、現実社会はそれこそ矛盾と不道徳だらけで、自分たちもそれをよく解っているからこそ、そのことに心が囚われているのかもしれないですよね。

      こちらこそ、より深い考察を教えていただきありがとうございました!

タイトルとURLをコピーしました