三崎町三丁目通信

映画・海外ドラマのレビューや外国語学習についてのブログ

© 2003 Focus Features

映画『ロスト・イン・トランスレーション』──マニックスのPV、そして『TOKYO-POP』。

投稿日:2018年12月29日

 

 今からおよそ15年ほどの東京を舞台とした、2003年公開(日本では2004年)のソフィア・コッポラ監督作品『ロスト・イン・トランスレーション』──

 撮影・公開時からは想像もできないほど多くの外国人が日本を訪れるようになった今、改めて見てみると、当時と今とでは東京の街並みも雰囲気も結構変わっていることに気付かされるとともに、主人公たちの心境なども以前よりも理解できるような気がします。

 ここではそういった「当時と現在の違い」「改めて気付いたこと」、そして素晴らしいサントラよりシューゲイザー好きにはたまらない2バンドの楽曲について、さらに今作の前に存在していた「『ロスト・イン・トランスレーション』っぽさ」を感じるマニック・ストリート・プリーチャーズのPVと、80年代に公開された田所豊(ダイヤモンド☆ユカイ)主演の映画『TOKYO-POP』についても触れていきます。

 

 

映画の中の「東京」と「日本」

 スカパーなどで放送されるごとに見ているのでとくに久しぶりといった感覚もないのですが、それでも数年おきに見ると、その度にこの映画の中の東京が「今とは違う、少し昔の東京」になっていき、少しずつ今から遠くなっていくような気がします。

 そして、ここで描かれている「日本」については誇張している部分も結構あるわけですが、それでも大部分はその通りといった感じです。少なくとも外国人(ここではソフィア・コッポラ)の目にそう映ったのであれば、それは彼らにとっての事実なのでしょう。

 そして「恥ずかしいから日本のそんな部分を映画に出さんでくれ」「そんなところに気付かないでくれよ…」という面も映画の中にたくさん出てきてしまうわけですが、それらも実在する(した)ものなので仕方がないとしか…(笑)。マシューも別にこの映画用に作られたキャラではなく、当時そのまんまあれをやっていましたし、英語が分からない人が相当数いるのは当時も今もほとんど変わっていないでしょう。

 また、外国人が撮る「現在の日本」はとかくトンデモ系になりがちですが、ソフィア・コッポラのすごいところは、そういったトンデモ系によくある「“日本ってこういうところなんだろう”という思い込みが抜けないまま日本にやってきて、そのフィルター越しに日本を見てしまう」という残念な部分が全くなく、自身が日本に居たときの経験を余計なフィルターを通さずに引き出していることだと思います。

 年月がだいぶ経ってしまって、2018年現在ではどうしてもリアル感が薄れてきてはいますが、それでも日本をよく知らない外国人に「東京ってこういうところだよ」と説明するツールとしても非常に優れた“記録”となる作品なのではないかと…。

 まぁ今だったらYouTubeに外国人旅行者&居住者が撮った日本の動画がいくらでもUPされてるのでそれで事足りるのでしょうけどね(笑)。

 

 あと何度見てみても、やはり今作でのスカーレット・ヨハンソンは素晴らしい…。まずその若さにクラクラするのと(笑)、有名俳優であるボブや、カメラマンの夫(とその取り巻き)などの“業界人”たちと違い、大学を出たての一般人という役なので、普通の人っぽく見えるように演じるその仕上げ方はさすがだな、と。メガネとかのアイテムに頼らないところもいいです(笑)。

 

© 2003 Focus Features

映画『LUCY/ルーシー』【ざっくり感想版】

   正直に申しまして、なんとなく観に行った映画でした(笑)。で、見終わった感想も控えめに言って「やっぱり今イ ...

続きを見る

 

今回気付いたところ・その①

 意思疎通が出来ず、異国の高級ホテルの中で迷子のようになったボブ(日本という異文化の国、言語の問題による直接的なコミュニケーションの断絶、人々の行動や習わしの大きな違い、25年連れ添った妻ともお互いの意思疎通が出来ていない→妻にとっては息子の誕生日を忘れる夫、夫にとっては仕事や時差など、こちらの都合を全く顧みずに自身の要求をただ投げてくる妻と映る)が、同じ孤独感を共有するシャーロットと親しくなっていきますが、中盤の街へ繰り出す前の部屋での会話などでも「意思疎通」できることの喜びが出ているように見えました。

 普段だったらいちいちそんな会話しないだろう、という「これ誰のCD?」「君の靴は?」「キーは?」「カバンは?」といった、極々当たり前の会話のキャッチボールが普通に成立すること、そして「背が高いわ」というシャーロットに「君が低すぎるんだよ」と返す軽口も、軽口としてのニュアンスを理解してくれることに安心し、喜んでいるように感じられました。

 また夜遊びの流れからのカラオケの場面、中年のボブにとっては少々しんどそうに見えるものの(笑)、ここでは二人がようやく発散出来て楽しんでるように感じられて、見ていて安心します(笑)。

 

 

今回気付いたところ・その②

 そしてもうひとつ気付いたところとして、ボブとシャーロットは「異国の都会の中で孤独を感じる者同士」という繋がりで親しくなっただけでなく、二人のインテリジェンスさ加減とかテンションの具合会話の中での距離の取り方などが非常にいいバランスでかみ合っていて、単なる「同じ境遇」だけではこうはならない相性の良さみたいなものがあったように感じました。

 これがもし映画のプロモーションで来日している女優のケリーのようなタイプだったら、間違っても親しくなっていないでしょうし(笑)。

 若いけど落ち着いていて知性があり、聞き上手であると同時に誘い上手(そりゃこの人に誘われたら誰だって断らんわ…というツッコミは置いといて)でもあるシャーロットと、地位も名声もあるけれども、そういったものへの執着や関心がなく、また歳を取っていても説教くささもなければガツガツもしていないボブは、お互い波長が合う居心地の良い組み合わせなのでしょう。

 

© 2003 Focus Features

最後にボブは何を告げたのか

 雑踏の中でのお別れとなるラストシーンで、ボブは何を言ったのかについて、どこかで語られていたりするのか全く分かりませんが、以前までは「お互いの連絡先も知らず、こういう距離のまま異国で出会って異国で別れるお話、っていうのも余韻が残っていいな」という印象で終っていましたが、今回もうちょっと細かいところも注目して見てみたら、ボブが囁いた内容によってシャーロットは寂しいながらも笑顔でお別れすることが出来ているところに目が行きました。

 何を言ったんだろう…。あの日本という異国の中でまたポツンとひとりになってしまうシャーロットが笑顔になれた、ボブのその言葉って何だったんだろう…。

 自分が最初にこの映画を見た2005年頃の若かった自分には、きっとろくな推測は出てこなかっただろうと思いますが(笑)、それから13年ほど経ち、歳を重ねた自分が改めてボブの立場になったとしたら、出てくる言葉はなんだろう…。

 その一時、シャーロットを安心させ喜ばせられるようなことを伝えるのが正解なのか、それとも哲学専攻だったシャーロットがポジティブに受け入れられるように、たくさんの経験を積んだ中年ハリウッドスターとして何か人生哲学のようなことを伝えるのが正しいのか。。。

 ここで出てくる自分の言葉や解釈で、どれだけ人生経験を積んだか(または積まなかったか)が分かるような気がして怖い気もしてきます(笑)。

 

次のページへ >

  • この記事を書いた人

三崎町三丁目通信

三崎町三丁目通信の主筆・Kです(個人運営ですが)。映画の感想を中心に、趣味で続けているスペイン語学習(DELE A2取得で止まっています)と最近始めた英語学習のことなどを書いています。本業はフリーランスのグラフィック&エディトリアルデザイナー。びっくりするくらい将棋が弱いです。

-ENTERTAINMENT
-, ,

Copyright© 三崎町三丁目通信 , 2019 All Rights Reserved.