【ビフォア三部作】映画『ビフォア・サンセット』──熱望していた続編が完璧だったという喜び

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気になったところといえば…

 前作では旅先で出会った若い男女が恋に落ちる物語だったこともあってその辺は控えめでしたが、今作ではとにかく下品というか、下ネタ系の話題がお互いに多すぎるのが気になりました。逆に言えば気になるのはそこだけなんですが、アメリカやフランスではあんな会話は普通なんでしょうか……んなわけないか(笑)。

 このお下品な会話の応酬は次作『ビフォア・ミッドナイト』でも繰り広げられます。まぁ次作は設定的に厳しい会話が飛び交うのは仕方ないとしても、今作ではとくにセリーヌのスレ具合がちょっと残念だったかなぁと、個人的には感じました。

 9年前に「神様は人と人の間の、そのわずかな空間に存在する」なんていうステキなことを言っていたセリーヌが、今では神や霊の存在も信じない「怒れる活動家」になっているのはちょっと寂しいところでした(笑)。もちろんそういった部分も後半からクライマックスへの展開とのコントラストとして効いているのかもしれませんが。

こちらは次作『ビフォア・ミッドナイト』のチラシ(表)

 

「常に対等な会話」

 ふたりの間で交わされる会話は、9年前と変わらず「常に対等である」というのがこのふたりの相性の良さを表す特長のひとつです。どちらか一方が博識というわけでもなく、またどちらかが話の主導権を持とうとするようなこともなく、それぞれの得意な分野で話を進めつつ頃合いの良いところで自然に相手にバトンタッチされます。こういう台詞の流れも練りに練った脚本ならではなのでしょうね。

 ちなみにジェシー役のイーサン・ホークとセリーヌ役のジュリー・デルピーはともに「共同脚本」としてもクレジットされています。

 

分別ある大人

 9年の歳月を経て、ふたりはウィーンで一晩中語り歩いたあの時のような、自由で希望に溢れる怖いもの無しの若者から、それぞれ社会のなかで様々な経験をし、分別のある大人というやつになっていました。

 本を書いてしまうほどあの日のことをずっと忘れないでいるジェシーは、まだ再会出来た喜びをストレートに表現していますが、セリーヌのほうはというと「常連の本屋でジェシーの写真を見て知った」「本のことは書評を読んで何となく気にはなっていた」「あの夜のことは頭にしまい込んで忘れてしまった」などと、再会できたのは嬉しいけれどジェシーほどではないといった様子…。さらにジェシーが空港へ行く時間をやたら気にして、再三提案されるお別れの引き延ばしにもとりあえず断ってみたり。

 ですがそれはセリーヌの本心ではないことが、後半に進むにつれて徐々に明らかになっていきます。自身のその後の恋愛経験も理由のひとつではあるのでしょうが、最大の理由はセリーヌの言葉をそのまま借りれば

 

「結婚してるくせに少年の心でパリにきた。最低よ」

 

 とにかくこれに尽きるのでしょう。そりゃ分別ある大人の対応をするしかないでしょうよ。。

 そしてもちろんジェシーにとっても、この9年後の再会は何よりも嬉しいものであると同時に辛さやもどかしさのようなものがあります。既婚者で子持ちであるジェシーに、もう9年前のような感情をそのまま行動に移せるような自由さはないからです。

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