そして緑がNe使いであることが自身の言葉で明確にされている箇所もあります。
「ねえワタナベ君、英語の仮定法現在と仮定法過去の違いをきちんと説明できる?」と突然僕に質問した。
「できると思うよ」と僕は言った。「ちょっと訊きたいんだけど、そういうのが日常生活の中で何かの役に立ってる?」
(中略)
「(略)~~。だからずっと無視してやってきたの、そういうややっこしいの。私の生き方は間違っていたのかしら?」
「無視してやってきた?」
「ええそうよ。そういうの、ないものとしてやってきたの。私、サイン、コサインだって全然わかってないのよ」
「それでまあよく高校を出て大学に入れたもんだよね」と僕はあきれて言った。
「あなた馬鹿ねえ」と緑は言った。「知らないの? 勘さえ良きゃ何も知らなくても大学の試験なんて受かっちゃうのよ。私すごく勘がいいのよ。次の三つの中から正しいものを選べなんてパッとわかっちゃうもの」
もちろん緑という女の子は行き当たりばったりのいい加減で能天気な若者などではなく、それどころか昔から同世代の女の子がしなくてもいいような苦労や努力を散々してきた尊敬に値する女性であることは本を読めば分かるのですが、ここだけ切り取ったらまるで違う印象を持ってしまいそうです(笑)。
「ワタナベ君ってよく見るとけっこう面白い顔してるのね」と緑が言った。
「そうかな」と僕は少し傷ついて言った。
「私って面食いの方なんだけど、あなたの顔って、ほら、よく見ているとだんだんまあこの人でもいいやって気がしてくるのね」
「僕もときどき自分のことそう思うよ。まあ俺でもいいやって」
「ねえ、私、悪く言ってるんじゃないのよ。私ね、うまく感情を言葉で表すことができないのよ。だからしょっちゅう誤解されるの。私が言いたいのは、あなたのことが好きだってこと。これさっき言ったかしら?」
あくまでも自分が知っているENFPの人たちに当てはまることですが、あの人たちは基本的に面食いで、またそれに値する自己肯定感の高さを有しています。引き寄せの法則、波動の法則でいえば実に理に適っていて、自分が発している周波数と同調するものが引き寄せられるというわけですね。
つまりこういうこと↓
イケメンか美人かといったものの基準は人によってある程度異なりますが、やはり発しているエネルギーのポジティブさというのは外見にも反映されるものなのでしょう。
「家なんか帰らないわよ。今家に帰ったって誰もいないし、あんなところで一人で寝たくなんかないもの」
「やれやれ」と僕は言った。「じゃあどうするんだよ?」
「このへんのラブ・ホテルに入って、あなたと二人で抱き合って眠るの。朝までぐっすりと。そして朝になったらどこかそのへんでごはん食べて、二人で一緒に学校に行くの」
「はじめからそうするつもりで僕を呼び出したの?」
「もちろんよ」
「そんなの僕じゃなくて彼を呼びだせばいいだろう。どう考えたってそれがまともじゃないか。恋人なんてそのためにいるんだよ」
「でも私、あなたと一緒にいたいのよ」
(中略)
「うまく行った?」と緑が訊いた。
「まぁ、なんとか」と僕は深いため息をついた。
「じゃあまだ時間も早いことだし、ディスコでも行こう」
「君疲れてるんじゃなかったの?」
「こういうのなら全然大丈夫なの」
「やれやれ」と僕は言った。
ワタナベの質問の鋭さにNiっぽさを感じるとともに、あまりに堂々としていて逆に面食らってしまいそうな緑の自供もまたNe-Fiっぽくていいなぁと。
ここではワタナベ側がややネガティブな感情となってはいますが
「はじめからそうするつもりで僕を呼び出したの?」
「もちろんよ」
という会話のキャッチボールをポジティブにできる相手こそ、本当に相性の良い人なのだろうと思います。
ここで少し話は逸れますが、監督:リチャード・リンクレイター、主演:イーサン・ホーク、ジュリー・デルピーの『ビフォア・トリロジー』三部作の真ん中にあたる名作『ビフォア・サンセット』で、主人公のジェシーとセリーヌの間でもこれに近い開き直りとからかいの台詞が飛び交うのですが、このふたりの相性こそ本当に抜群と言えるものでした。
会話が途切れることがなく、またその内容も下心から相手を褒めたり話を聞いてあげようというものでもなく、お互いに何を信じどういうものに興味や生きがいを持って生きているのかを話し合い、そして共鳴していくという大変意味のあるものとなっています。
ちなみにこの映画のふたりの性格タイプですが、ジェシーは現在ENTP説が最も票を集めていますが以前はENFJとされていました。対してセリーヌはINFJやENFPという意見もあるようですが、今のところINFPとされています。ENFJとINFPも鏡像関係で相性の良い組み合わせということを考えると、これもまた納得がいくところです。
話を戻します。
「ずいぶん回復が早いね。さっきまで青くなってふらふらしてたのに」と僕はあきれて言った。
「わがままが聞き届けられたからよ」と緑は言った。「それでつっかえがとれちゃったの。でもこのピツァおいしいわね」
ここでもまた一切全く悪びれることなく言い放っていますが、自身の感情に忠実に生きていてそれが即座にフィジカルに反映されるところも外向型ならでは。エネルギーを取り戻し肉体的にも元気になるまでにはそれなりの時間を要する内向型(とくにINタイプ)からしてみたらこれは非常に羨ましい能力です。
そして先ほどのピスタチオと同様、またしても会話の中でいきなり別のものに意識が向いてしまうNe-domらしい飛躍がここでもみられます。まるで同じ話を続けているかのように滑らかに、そして間髪入れずに目の前の食べ物へと意識が飛んでしまう面白さ。
ここからはMBTI云々というよりは単に男と女の根本的違いからくる衝突(正確にはワタナベの迂闊な発言によって緑がキレる展開)かもしれませんが、考察的にも面白いのでいくつか取り上げてみます。まぁキレるといっても緑はエキセントリックなキャラに反して意外と大人で包容力がある女性なので怒りつつもいじらしいことを言ったりするところが魅力なのですが。
「一人で旅行しているときずっとワタナベ君のことを思い出していたの。そして今あなたがとなりにいるといいなあって思ってたの」
「どうして?」
「どうして?」と言って緑は虚無をのぞきこむような目で僕を見た。「どうしてって、どういうことよ、それ」
「つまり、どうして僕のことを思いだすかってことだよ」
「あなたのことが好きだからに決まっているでしょうが。他にどんな理由があるっていうのよ? いったいどこの誰が好きでもない相手と一緒にいたいと思うのよ?」
「だって君には恋人がいるし、僕のことを考える必要なんてないじゃないか」と僕はウィスキー・ソーダをゆっくり飲みながら言った。
「恋人がいたらあなたのことを考えちゃいけないわけ?」
「いや、べつにそういう意味じゃなくて──」
「あのね、ワタナベ君」と緑は言って人さし指を僕の方に向けた。「警告しておくけど、今私の中にはね、一ヵ月ぶんくらいの何やかやが絡みあって貯まってもやもやしてるのよ。すごおく。だからそれ以上ひどいことを言わないで。でないと私ここでおいおい泣きだしちゃうし、一度泣きだすと一晩泣いちゃうわよ。それでもいいの? 私はね、あたりかまわず獣のように泣くわよ。本当よ」
「でもあなた知らないでしょ、ワタナベ君? あなたと会えないことで私がこの二ヵ月どれほど辛くて寂しい想いをしたかということを?」
「知らなかったよ、そんなこと」と僕はびっくりして言った。「君は僕のことが頭にきていて、それで会いたくないんだと思ってたんだ」
「どうしてあなたってそんなに馬鹿なの? 会いたいに決まってるでしょう? だって私あなたのことが好きだって言ったでしょ? 私そんなに簡単に人を好きになったり、好きじゃなくなったりしないわよ。そんなこともわかんないの?」
「それでどうしたの?」
「彼と別れたわよ、さっぱりと」と言って緑はマルボロをくわえ、手で覆うようにしてマッチで火をつけ、煙を吸い込んだ。
「どうして?」
「どうして?」と緑は怒鳴った。「あなた頭おかしいんじゃないの? 英語の仮定法がわかって、数列が理解できて、マルクスが読めて、なんでそんなことがわかんないのよ? なんでそんなこと訊くのよ? なんでそんなこと女の子に言わせるのよ? 彼よりあなたの方が好きだからにきまってるでしょ。私だってね、もっとハンサムな男の子好きになりたかったわよ。でも仕方ないでしょ、あなたのこと好きになっちゃったんだから」
僕は何か言おうとしたが喉に何かがつまっているみたいに言葉がうまく出てこなかった。
とことんまでしくじるワタナベ(笑)。三回目にはついに怒鳴られてしまいます。
※これらのワタナベの「どうして?」という発言は一応理屈として間違ってはいないのですが、ここではそういう背景は無視してふたりの会話のみを抽出して現実の世界に落とし込んで語っていくことにします。
いやだからなんでそこで「どうして?」なんて訊くんだよw と突っ込みたくなる人もいるかもしれませんが、自己肯定感が高くない男というものは、女性の心理というものが分かっていようといまいと、そういうことが自分の身に起こるとは思えないしそれを信じられないため、割と素で「理由を訊いてしまう」という最悪の選択をすることが結構あります。
「人が誰かを好きになる」という現象は、これこれこういう経験や手順(職場や学校などで何度も顔を合わせるようになって話もするようになって親しくなって…とかグループで遊びに行って仲良くなって…とか)を経て生まれてくるものだという固定観念を持っていたりすると、それと合致しない場合に「いやまさかそんなはずは…」と脳内でエラーが発生してしまうのですね。そうやってせっかくのチャンスを棒に振ったり、またはここでの緑のように相手を怒らせたり悲しませたりしてしまう、という。
このような感じでMBTIフィルターを通して『ノルウェイの森』のふたりの会話を改めて考察してみましたが、いささか現実味に欠けたエキセントリックで奔放な女の子──という印象が強かった小林緑というキャラクターに対して、予想外に現実的な親しみや共感を覚えることとなって個人的にはよい発見となりました。
Pdbでの他の村上春樹作品の項目もなかなか面白いので、村上春樹の小説が好きという方はぜひ一度読んでみることをおすすめします。世界中にファンがいる村上作品だけにコメント欄もなかなか面白くてきっと楽しめることでしょう。
長編で項目があるのは『羊をめぐる冒険』以降ですが、たしか以前に見たときは『ダンス・ダンス・ダンス』の項目もあったはずなのに今見たらなくなっていたのは少し残念です。記憶が間違っていなければアメがISFPでユキがINFPだかINFJのどっちかだったような。。違ったっけかな…。とりあえずユミヨシさんはSJタイプで間違いないでしょうけど。
最初に『ダンス・ダンス・ダンス』を読んだのはたしか高校2年のときで当時は自身の年齢的にもユキに対して魅力を感じていたものですが、大人になるとたとえ浮世離れした美少女であったとしても所詮ユキは子ども──という認識しか持てなくなり、逆にユミヨシさんに対して生身の女性が持つリアルな魅力に気づかされていったりしたものです。
『ダンス・ダンス・ダンス』は個人的には一番最初に読んだ村上春樹の本ということもあってすごく好きな作品なのですが、80年代の雰囲気がこれでもかというくらいに溢れ出ていて同じミステリーのくくりで比べても他の作品とは結構いい意味で異質だったりします。バブル期の日本の明るさと虚しさみたいなものが感じられて非常にPOPな印象を受けるのが特徴です。関係ありませんが藤木直人をテレビで見たときに「五反田君を演じられるのはこの人しかいない!」と勝手に思ってました(笑)。
ここ最近国内外でシティ・ポップが再ブームとなっていますが、そういった楽曲をBGMに読まれてみるのもよいのではないでしょうか。まぁ小説内で登場する音楽は全然違うジャンルなんですけど(笑)。
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