【人生というゲームの】自分の人生の決定権を他者に委ねない【ルールとルートをバグらせる】

OTHER
スポンサーリンク

<2024年1月21日追記>

 残念ながらこの記事は最初のページで脱落してしまう方が多いのですが、重要なのは2ページ目のほうなので、なんでしたらこのままスクロールして次のページから読んでみてください。そちらはほぼ書籍に書かれていることを引用して紹介する内容となっております。

<追記終わり>

 

 思うに私たち現代人は「科学的根拠」「その分野のエキスパートによる見解」「一般論」「世間の常識」「過去の経験・データ」といったものをあまりにも無条件に受け入れ過ぎているように思います。

 もちろん、それらの全てが間違っているという意味ではありません。本来は自分自身に最終決定権があるはずのことまでもそういった他者の基準や考えを受け入れ優先してしまうことで、本当に大事な決断を他者の意見に委ねてしまうのはどうかと思う、ということです。自身のアイデンティティや尊厳に関わってくるようなことまでも簡単に他者の意見に同意して決断してしまって本当によいのでしょうか。。

 

 

 自分の体と心は自分のもので、それをどうするかの最終決定権は自分にしかありません。

 また自身の長所や短所、得意不得意、好き嫌い、やりたいこととやりたくないこと、自分とはどういう人間・どういう存在なのかといった根本的なアイデンティティも自分だけのものです。誰かに作ってもらったものでもなければ誰かに管理されるものでもありません。

 

自分が受け入れたものが「自分」であり、受け入れないものは「自分」ではないはずなんです。

 

 それなのに私たちはあまりにも簡単に上に書いたような外部の意見を受け入れてしまい、それを自分に当てはめてしまっています。そしてほとんどの人はその自覚すらありません。それくらい当たり前になっているからです。

 

病院に行って医者から「あぁ、これは体質だから治らないね」「手術しても後遺症が残るでしょう」などと言われたことを全面的に受け入れてしまう(→そうかもしれないが、そうじゃないかもしれない)

 

誰かから「うわ、ぶっさ」と言われたら自分はブサイクなんだと受け入れてしまう(→それを言った人の意見でしかない)

 

親から「お前は勉強が苦手なんだから」と言われ続けて自分で自分のことを頭が悪い人間だと定義してしまう(→学校の勉強が好きか嫌いかということと頭が良いか悪いかは関係ない)

 

MBTIの診断でINTJとかINFJという結果が出た人は自分が運動能力に劣る人間だと認識し、そのような生き方を受け入れてしまう(→INTJやINFJとされるアスリートや武道家はたくさんいる)

 

 科学的根拠があるとか、統計ではこうであるということや、これまでの経験や蓄積ではこうなると予想される、といったことなどは、可能性としては高いものなのかもしれませんが、決して絶対的なものではありません。自分がそれを受け入れればそうなるし、断固としてそれを受け入れず、決定権は自分にあると決めればその「高い可能性」の鎖は断ち切ることができるはずです。

 

 

 でもそうは言っても病気は病気でしょ、先天的な性格は変えられないでしょ、という考えも出てくると思います。

 ですが一番大事なのは「自分がどうありたいか」「自分はどうしたいのか」「自分は何をしたいのか/何をやりたくないのか」です。そしてそれらは全て自分が決めることです。

 医者からこう言われたから仕方がないと諦める必要はないし、この業界じゃそんなの通用しないよと鼻で笑われたとしても自分がやりたいと思ったらやればいいんです。

 自分の人生に責任を持てるのは自分だけで、医者も先生も社長も先輩もSNSで絡んでくる人も、それぞれ忠告やアドバイスはしてもそれによって生じた結果に対して一切責任を負ってはくれません。つまり結局のところ自分以外のことはみな他人事だということです。

 私はずっとデザインの仕事をしていますが、中度の色覚異常持ちです。東京の地下鉄路線図の色分けは役に立ちませんし、マーカーのオレンジと黄色と黄緑は非常に区別しづらく、発光ダイオードのオレンジ、赤、緑の違いがほとんど分からないので一部の機器は確認方法を諦めています(全部並べて点灯させればなんとか区別はつきます)。

 学生時代にパースの絵を描いたときはフローリングを緑色に塗り、木々を描くと葉っぱと幹の色がおかしいことになったりしたものです。さすがに葉っぱと幹が同じ色だとは思っていないものの、それが何色なのかというのが分からないのです。葉っぱが緑だということは色を見て分かるというよりは知識として知っているから緑だと認識できますが、では幹の色は?というと「えーと、濃い緑とか?」みたいな。こげ茶とか濃い茶色と深い緑の違いが全然分からなかったりするんですね。

 

 

 振り返れば高校の進学先を決めるときから始まり、今の仕事に就くまでの私は大切な進路をこの色覚異常持ちということを理由に、本当に進みたい道を諦めてばかりの人生でした。

 でも最後に「そんなの知らねーよ!いい加減にしろっつーの」と、全部無視して飛び込んだら望んだ仕事に就くことができました。法律とか業界のルールとかにNOと言われることもなく。運も味方しましたが、その運を引き込んだのは自分が自分の願望通りの決断をしたからかもしれません。

 もちろん健常な色覚を持っている他の人であればしなくていい苦労みたいなものが全くなかったとは言いませんし、それなりに悩みもしました。若い頃にはもうこの仕事を辞めたほうがいいのかなと思ったこともありました。

 でもその当時勤めていた会社の社長から言われた

 

「お前のその色覚異常はひとつの個性なんだから自信を持ちなさい。お前は他の人が見ることができない色彩の世界を見ているんだから」

 

 という言葉に勇気付けられ、現在までずっと仕事を続けることが出来ました。今もなんとかこの仕事をしていられるのはこの社長のおかげです。

 また、私は数年前に手術をして内臓の一部を摘出したのですが、それは全く必要のない手術でした。健康診断を受けた検診センターの医者と、そこで紹介された病院の医者に言われた「ガンになる可能性」という脅し文句に乗せられてしまったからです。

 ですがその原因となったふたつの異物のうち、ひとつは手術前に消えてなくなっていました。だから少なくとも急いで手術する必要は全くなかったはずなのですが、その手術が比較的簡単なものであり若い医師に経験を積ませるよい機会となることから、消えていたことを私は知らされないまま手術が行われたのでした。術後にそのことを報告されたときは唖然としたものです。

 その時は何も分からなかったので流れに乗せられて手術する流れになってしまいましたが、もしそこで自分が感じた違和感を信じていたら、もしくは自分の体が発するサインをもっと信用していたらこんなことにはならなかったのだろうと思います。

 このときは健康診断時で診てもらった医師の紹介で大きな病院に行ったのですが、検診センターでやったものと同じ検査をしてその結果が出たあとで診察室に呼ばれて入ったところ、そこの病院で偉い立場にいるらしい医師からいきなり

 

「…で、いつ手術する?」

 

 と言われました。受診したいきさつはおろか検査の結果すら告げられずに、です。さすがに意味が分からなくて反論しましたが、最終的には「ガンになる可能性」という脅しに負けてしまいました)

 これらの経験などから、自分の人生の最終決定権を安易に人に委ねてはいけないということを身をもって知ることとなったのでした。(もちろん医者のいうことを全部信用するなという意味ではありません)

 まぁこのムカつく医者のおかげで「自分の体がサインを出していなければ余計なことはするな」ということを学べたので、その後は内科を受診することは一切なくなり、健康診断もその2年後くらいからは行かなくなりました。さすがに骨折したときは整形外科に行きましたが、それでも大したことはされなかったので行かなくてもよかったと今なら思えます。

 数年前に歯医者で麻酔を打たれたのを最後に、自分の体に針をさされることもなく現在も健康に過ごせているんだから感謝するべきなのかもしれませんね。(献血は2010年から2019年の初めくらいまでずっと欠かさずやっていましたが何故かことごとく失敗されるようになってやめました)

 

 

 夢だったことを諦めるとか、人生で手にする資格がある幸せを病気のために諦めるとか、容姿や性格が周りの基準ではパッとしないから自分はダメだと諦めるのは簡単なことだと思います。良い悪いの話ではなくて、諦めるというのは簡単なんです。

 でもその結果の責任を取れるのは自分だけで、あとでどれだけ後悔することになっても誰も責任を取ってはくれません。ですからもし少しでも「全否定されたけど…でもやっぱり納得いかない」と思うのなら、外側の意見ではなく「自分がどうしたいのか/自分はどうなりたいのか」ということを判断基準にして最終的な決断をする──そういうスタンスでいてほしいと思うのです。

 でもそうは言っても……と思われる方に、少しでもその手助けになるように幾つかの本に書いてあった「実際にあった出来事」を引用して紹介します。

comment

タイトルとURLをコピーしました