ヴァチカンの不誠実さと仮面舞踏会の気持ち悪さ
フランケンシュタイン博士が造った人造人間である所謂「フランケンシュタイン」は、その生い立ち(または成り立ち)からどの映画でも悲しい存在として描かれていますが、今作でもその不気味な容姿とは裏腹に「ただただ、生きていたい」という純粋欲求のみを持った大人しい生き物で、それをすぐに見抜き「悪から生まれたものだが、悪ではない」として助けようとするヘルシングに対し、ヴァチカンは「人間ではない」という理由で殺すよう命じます。
今世紀に入ってからヴァチカンおよびカトリックの高官・司教たちのスキャンダルが次々と明らかになりましたし、さらに都市伝説や陰謀論界隈で
「なぜこのような(悪○崇拝的な)ものがカトリック教会に?」
といった不可解な点が多数取り上げられるようになった今となっては、ヴァチカンに対する世間の見方なんてまるっきり変わってしまったんでしょうけど、この映画が作られた2004年の時点でもこんな感じでさりげなくネガティブな描かれ方をされていたんですねぇ。
なおヴァチカンやカトリックの聖職者たちによる忌々しい蛮行、ということでいえば、スペイン発のホラー映画『REC:レック1&2』のレビューにて、原作(なのか後付けなのかは不明)のコミックで語られている「映画の事件の大元となった出来事」について解説していますので、もし興味がある方はそちらもぜひどうぞ。
そしてドラキュラ伯爵が開いたブダペストでの仮面舞踏会のシーンですが、こういった「シークレット・ソサエティ的連中による謎めいた儀式」風の絵面って、やはり都市伝説や陰謀論などに首を突っ込んでしまうと気持ち悪く見えて仕方がないんですよね…。
さらにS・キューブリックの映画『アイズ ワイド シャット』なんかも重ね合わせてみたりするともう完全に「そっち系」にしか見えないという…。
感想と疑問点
最初にこの映画を見たのはもうずいぶん前ですが(テレビで見ました)、そのときの感想は「とにかく可哀想」というものでした。
どうして目的を達成したあとでそんな結末になってしまわなければならんのか…と。
でも改めてまた見てみると、ヘルシングはどうやら狼男に噛まれる前から普通の人間ではないようなで(少なくとも400年以上生きている)、アナとはやはり住む世界が違うのかもしれませんし、アナのほうもヴァレリアス家の最後のひとりとなりながらも、先祖が誓った「ドラキュラを倒すまで我が一族は天には召さぬ」という神との約束をついに果たすことが出来、その恩人であり愛した男を狼男の呪いから救うことが出来たことで後悔はないはず。
この別れは悲しいものだけれど、いつかアナは生まれ変わってまたヘルシングのもとへ現れることでしょう──
と思うことにしました。あ…、でもキリスト教には輪廻転生の概念はないみたいだからアナも天に召されたままか……
あと細かいことを言えば、ドラキュラにせよ3人の花嫁たちにせよ、やられるときは割とあっさり死んでしまうので「あれれ?」と、少しだけ拍子抜けしてしまいました。でもそこはまぁ
「倒したほうがすごかっただけ」
と考えるようにしたのですが……でもやっぱり気になる。。。
なぜなら今作でのドラキュラ伯爵は
さらに銀の杭を刺しても死なない
という設定なわけですよね。それはつまり
「物理攻撃も神(またはカトリック)由来の武器も効かない」
ということになると思うのですが、天敵である狼男の牙や爪による攻撃で死んでしまうのは一体どういうことなのか……しかも最期はそれほど致命傷となるような一撃にも見えなかったし。。。それにそもそもの話…
それって思いっきり物理攻撃なのでは…!?
何なのでしょうかね。。その狼男が、人間であったころのドラキュラ伯爵を殺したヴァン・ヘルシング(=ガブリエル)であることが関係するのか、それとも
「うるさいっ! なんだか分かんないけどとにかくドラキュラは狼男に弱いの! 弱いったら弱いの!!」
ってことで押し通すつもりなんでしょーかw
あとはまぁ、他の多くの映画でもそうなんですが…
「敵キャラはぐだぐだ喋ってないでとっとと仕留めろよw」
このひと言に尽きますね。いい加減にしろ、と(笑)。
まぁ敵のグダグダさ具合と「いい加減にしろww」感で言えば、これ↓に敵うものはないと思いますがw
中世のヨーロッパが舞台といえばこちらも
ヴァチカンとローマ・カトリック教会のご都合主義はこちらでも
おしくらまんじゅう映画その1
おしくらまんじゅう映画その2
こちらはケイト・ベッキンセイル出演のコメディ
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