【トリコロール三部作】映画『トリコロール 赤の愛』──“博愛”が3つの物語を包む【ROUGE】

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パンフレットからの引用

 三部作最後を飾る作品の、最後の最後にこのような“それぞれの物語の交差”が仕掛けられていて「なるほど、そうきたか…」と思わされましたが、この辺りについて、パンフレットの解説のまとめ部分が役に立ちそうですので引用して紹介します。

 

引用

解説より

 映画は、このお話の結末をつけるばかりでなく、3部作の幕を引くラストに至ります。ここに至って初めて、キェシロフスキがどんな想いで3つの話を成立させたのか、が明らかになるのです。パリ、ワルシャワ、ジュネーヴで、3つの愛のかたちを紡いだ人たちが一堂に会したとき、彼のヨーロッパの現代に対する把握が見えてきます。“どんなに現実が映像に映り込もうとも、私は人間の心の現実を描きたいだけで、意図はない”と、キェシロフスキはいいきりました。しかし、その言葉とはうらはらに、この3部作を見ていくと、ヨーロッパの現実が浮き上がってくる。このラストは彼の願いの現れといえます。愛は絶対に死ぬことはないのです。

 

 

最後に

 主人公たち以外に、それぞれの映画に共通して登場した人がいます。(といってもこの『赤の愛』では別の国、別の街なので同一人物ではないようですが)

 そう、大きなゴミ箱に瓶を入れようとする腰の曲がった老婆です。『青の愛』のジュリーはぼんやりと老婆を眺め、『白の愛』のカロルは、なかなか瓶を入れられない老婆を嘲笑するように見つめていました。

 そしてこの「博愛」がテーマの『赤の愛』のヴァランティーヌは、老婆の元へ駆け寄り手助けするのでした。この前2作の流れがあったあとのヴァランティーヌの行いに、暖かい気持ちになれた方も多いのではないでしょうか。

 ですがひとつだけ悲しい点がありました。失恋のショックで一度は棄てられたオーギュストの愛犬が、大切そうに抱きかかえられてフェリーに乗り込む姿が映し出されていました。7名が救出されたときのニュース映像に、その愛犬は映っていません。

 結局どうなったかは不明のまま映画は終りますが、オーギュストとともに助けられたという情報がどこかにあったらよかったのにな…と思いました。

 

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