ウー・グアタイの行為はセーフ? アウト?
さて、時間が止まった世界でウー・グアタイはヤン・シャオチーを連れ出して(他の乗客もろともw)勝手に思い出の一日を過ごしたわけですが、彼のこの行為はアウトなのでは? という重箱の隅をつつくような考えを持った方もいたかもしれません(笑)。
いや映画なんだからそこに突っ込むなよw と言われれば身も蓋もありませんが、一応自分の意見を言うならば
スレスレだけどギリセーフ
だったかなと。まぁもし自分が女で、意識がなく時間も止まっている間に誰かにあんなふうに連れ回されていじくり回されたとしたら、間違いなくアウトー! と言うしかないんですけど。。。
そういえば「主人公(今作では主人公ではありませんが)の男以外の時間が止まる」という設定には『フローズン・タイム』なども連想させられましたが、こういう設定での男の行為というものはまぁだいたいアウトですね(笑)。
で、今作でのウー・グアタイのあの行為がそれでもギリセーフだと思った理由ですが、それは
です。そして
という点に「彼が望んでいたのは何だったのか」が表れているからなんですね。
普通の大人だったらこういう心は持ち得ないでしょうし、ウー・グアタイがもし大人になってから(もしくは高校時代でもいいけど)ヤン・シャオチーと出会って好きになったのであれば、たとえ彼であってもこうはならなかったはず。(ま、理想論では何とでも言えるのでしょうけど…)
ですがウー・グアタイにとってのヤン・シャオチーは、今でも
「子どもの頃に両親を亡くしてどん底にいた自分を救ってくれたかけがえのない人」
であり、彼はその想いを高校時代の再会を経てアラサーになった今もそのままの形で心に抱いているので彼女に対する想いには曇りがないんですよね。
もし自分だけが動けて他の全ての人の時間が1日止まった世界がやってきたら何をしますか? お天道様の下でやましさが一切ない1日を送る自信がありますでしょうか。私には100%そう断言できる自信なんてありません(笑)。
ちなみにパンフレットにはチェン・ユーシュン監督へのインタビューの中に次のような一節がありました。
もし監督の身に、グアタイのような奇跡が起こった場合はどのような1日を過ごしますか?
面白い質問ですね!グアタイのような状況になった場合、僕だったら、まずはお金を取りに銀行へ行って、そのお金で映画を撮ると思います(笑)。
※このインタビューで監督は今作のアイデアは20年くらい前に思いついたものの、当時の台湾映画界が不景気だったため資金の調達が出来ずに今まで眠らせてあったことが語られており、それを受けてのこの回答だったようです。
「お金を取りに」って書いてあるけどこの場合の「取る」の意味は………
テレビドラマのような軽さ
中盤くらいまでは何と言うか、いい意味でも悪い意味でも「人気ドラマの2時間スペシャル」みたいなスケール感といった印象で、笑いの要素の表現とかにテレビっぽい軽さが感じられました。
今の時代の若者向け映画って、台湾だけじゃなく日本でもやっぱりこういう感じなのかなぁ…なんて考えながら見ていたのですが、だからといって別にガッカリしたわけでもなく、それはそれで普通に楽しめていました。
そんなふうに「まぁそこそこの映画でした」なんていう感想を書くことになるかな〜なんて舐めていたらあら大変(笑)。中盤までのコメディ的要素の軽さは後半からの畳み掛けるような種明かしとのギャップとなり、そのコントラストは映画の世界により一層引き込まれる絶妙の仕掛けとなっていたのでした。前半で軽く舐めてなかったら最後の最後であんなふうに唐突に涙腺を刺激されたりはしなかったでしょうから。。。
あと物語の中で割と重要な役割を担っていたラジオ番組のディスクジョッキー(名前は「DJモザイク」)が、妄想時に窓の外に何度か出てきましたが、その都度顔にモザイクがかけられていたのには軽く笑えました(笑)。ラジオのDJって基本的には顔の見えない人だからこんな設定になったんでしょうかね。そういうところも細かいなぁと思いましたw
で、ちゃんと確認できなかったので気のせいかもしれませんが、その時々によってモザイクの位置が違っていたような…w(目が隠れていたり、逆に鼻から下が隠れていたり)
それとやっぱり忘れてはいけないのがタイエビブロックチェーン。
この男の最初の登場時は「なんかわかんないけどめっちゃ陽気」なダンスに加えて「なんだよその歌詞はw」という、アホっぽさ全開のキャラ具合が自分がイメージする台湾人とは違ってエラく能天気っぽい印象だったので、てっきりそのまんまのタイ人なのかと思っていたんですが(タイ人がアホという意味ではもちろんなく、やたらポジティブでノリノリなところが南国のユルさを感じただけですw)、どうやらそういうわけでもないみたいです。
結局こやつは何人の設定なのかは分かりませんでしたが、演じている役者は香港出身とのこと。まぁ役名もリウ・ウェンセンと普通に中華系の名前っぽいのでやっぱり香港か、東南アジア出身の華僑(華人?)という設定なんでしょうかね。頑に台湾人設定を受け入れない理由はなんだ、って感じですがw
また女性をカモにして金を貢がせるというクズ男キャラをより一層際立たせるキーワードとして「仕事はブロックチェーン関係」というものがありました。かくいう私も数年前までは
「仮想通貨なんてダメだよ~。そんなん絶対浸透しないって」
なんて考えを持っていましたが、この1〜2年ですっかり自分の将来を懸けた投機の対象となっております(笑)。対象はビットコインではありませんが。
ブロックチェーン=仮想通貨、というわけではないものの、世間的はブロックチェーンといったらビットコイン、みたいなイメージなのではないでしょうか。台湾のIT大臣だったり向こうの仮想通貨界隈のインフルエンサーみたいな人なんかを見ていると、世間一般での認識という意味では台湾は日本より先を行っている感じがしますが、少なくともこの映画が作られた時点では世間全体の印象ではまだまだ「うさん臭い」イメージなんでしょうかね(笑)。「タイエビ」と「ブロックチェーン」のコンビネーションが相乗効果で怪しさを引き立てているのがまた素晴らしい(笑)。
プロフィールといえば…
役者のプロフィールといえば、パンフに書いてあった主人公のヤン・シャオチーと彼女の後輩ペイ・ウェンを演じていたふたりの経歴が気になりました。というかウー・グアタイ役の人とリウ・ウェンセン役(タイエビ)のふたりの男性陣も実績十分といった感じで、やっぱり海外の映画業界はこういったコメディタッチの映画であっても単に見栄えの良さだけで役を得られる世界ではないのかな、なんて考えたりもしました。いや知らんけどw
主人公ヤン・シャオチー役のリー・ペイユーのプロフィールの前半部分を引用するとこんな感じです。
1988年7月16日、台北出身。幼少期をニュージーランドで過ごし、大学時代はスウェーデンに留学。台湾の最難関私立大である輔仁カトリック大学織品服裝学部服飾デザイン学科を卒業し、19歳で広告モデルとしてキャリアをスタート。その後、イベントやTV番組の司会業に活躍の場を移し、その明るいキャラクターから幅広い層の支持を受ける。TV番組の代表作は「水下三十米(水中30メートル)」。世界各地を旅してダイビングにチャレンジし、その活躍によって第54回金鐘奨(台湾エミー賞)最優秀ライフスタイル番組司会者賞を受賞。同時に、俳優として多数の映画やTVドラマに出演。主な出演作品は~
受賞した賞が経歴としてどれだけの価値を持っているのかは全く分かりませんが、今作での地味めなアラサー女というキャラからは想像もつかない国際的なキャリアの方だったんですね〜。
そういえばタイエビに出会った日に総菜屋?でエビを一本だけ買っておまけのスープを大量にもらって帰ろうとし、お店の人に突っ込まれたら言葉が通じない外国人のフリをしていましたが(そしてその演技もお店の人にはバレているというw)、あれは世界中を旅するTV番組とやらの経験がこのシーンに活かされているとか、もしくはこの人が得意とする持ちネタのひとつだったりするんでしょうか…。まぁ、これは別にどっちでもいいんですけど(笑)。
そして職場の後輩、ペイ・ウェン役のヘイ・ジャアジャア。こんなふうにカタカナで書かれてもピンときませんでしたが、漢字での表記は「黒嘉嘉」さんです。
あれっ、この名前と顔は見覚えが…。と思ってプロフィールを読んだら超有名な囲碁棋士の方じゃないですか。Eテレの囲碁番組にも出てるそうで、おそらくはそれを見たことがあって記憶に残っているのかと…。
出身はオーストラリアで、父親がオーストラリア人で母親が台湾人だそうです。4歳から台北に移り住んで6歳から囲碁を学び始めたとのこと。うぅむ。台北の郵便局って高スペックな人材を揃えてるんだなぁ……違うか。
そんなわけで久しぶりに余計な詮索(裏の隠された意味だとかポリコレの押し付けとかw)をすることなく、純粋に楽しんで鑑賞できた、とてもいい映画でした。
もしかしたら自分にもこんなふうに記憶の奥底に沈んでしまっている大切な出来事や思い出があるんじゃないか──
そして身の回りにそれを思い出すヒントとなるようなもの、記憶が蘇るトリガーとなるような何かがあったりはしないだろうか──
なんてことを考えながら余韻に浸った夏の終わりでございました。もちろんそんなものはありませんでしたがw
あ、そういえば映画を見ていて強く思った大事なことを書くのを忘れていました。
こんな平和で当たり前だと思っていた日常をぶっ壊しやがったこのパンデミック。人も社会も分断させたこのパンデミック。
本当に、本当になんて罪深いことをしてくれたんだ、と。
この問題についての考えや怒りの矛先は人それぞれだとは思いますが、映画が面白くてハッピーエンドだったからこそ、余計にこんな当たり前で平和な世界が今は存在しないということがただただ悲しいですね。
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