レオス・カラックス監督による「アレックス青春三部作」と呼ばれる3作品のラストを飾る作品となった『ポンヌフの恋人』。91年の作品(日本での公開は92年)なので、ちょうど30年前の映画ということになります。いやいや、なんという時の流れの早さよ……
もともと映画自体は子どもの頃から好きなほうでしたが、東京で暮らすようになってからミニシアターでの映画鑑賞が趣味になったのはもしかしたらこの映画がきっかけだったかもしれません。
最初のうちは日比谷シャンテとか銀座~東銀座界隈の映画館に行っていたので、その界隈の映画館が好きだったんだろうと思います。ですがこの『ポンヌフの恋人』を観に行ったことにより、下高井戸シネマが自分の中では最も好きなミニシアターとなったのでした。
下高井戸シネマは昼間に子ども向けのヒーローものだか怪獣ものだかの日本映画をやっていたりしたので『ポンヌフ~』はレイトショーで観たのですが(というかお金がなかったのでだいたいレイトショーだったというだけですけどw)、映画の素晴らしさと劇場の雰囲気、そして帰りの世田谷線の非日常感も含めとても幸せな気分で帰路に着いたのを覚えています。
そしてそれ以降、カラックス特集として三部作のうちのどれかがリバイバル上映されたりする度に映画館に足を運ぶようになったのでした。
というわけで今回もちょっと長くなりましたので2回に分けました。後半はこちら↓になります。
リタ・ミツコのCDも2枚くらい買ったなぁ…このテーマ曲が入ったのを買うのは分かるけど何で他のアルバムも買ったんだろう(笑)
「アレックス青春三部作」について
カラックス自身の投影(レオス・カラックスの本名はアレックス・デュポン)とも言われる、ドニ・ラヴァン演じるアレックスという青年が主人公の3作品はそれぞれ全く別の物語であり、登場人物も含め全く関連はありません。
ですがアレックスの内向的な性格と世の中とのズレ、家族や恋人などとの断絶、死というものへのこだわりや執着、現実と幻想との境界線の曖昧さ──といったような点には共通するものがあり、また3作通して同じ人名・同じ名前のホテルや場所が度々登場したりと、レオス・カラックスの内側にある世界だけで作られた映画──という意味では、やはりこの3作品は「三部作」と呼べるものなのかもしれません。
『ボーイ・ミーツ・ガール』
カラックスが22歳のときに撮った『ボーイ・ミーツ・ガール』は、主人公アレックスのまるで白昼夢のような世界をモノクロの映像で描いた作品。
現実と幻想、そして誰かに向けて発する言葉と脳内での独り言との境界もどこか曖昧な、非常に内向的な映画といった印象でした。
何と言うか、アレックスが何かの箱の中から窓を通して外の世界を見ているような感じというか、もしくはどれだけ近くにいても目の前の現実に全く関与していないように見えるところが、現実と妄想との違いが曖昧に感じられる理由なのかもしれません。ただアレックスは最後に現実の世界(のミレーユ)に決定的な関与をすることになるのですが……
『汚れた血』
続く第2作の『汚れた血』は、内容も出演俳優も一気にスケールアップしていて、レオス・カラックスの名を世界に知らしめることとなった作品。3作通してこの『汚れた血』が一番、とする人もかなり多いのではないかと思います。
映画全体を通して「死」というものが主題としてつきまとうこの『汚れた血』は、父親の死の場面から始まります。主人公アレックスは薬(アヘン)によって胃をやられており、時折激しい痛みに襲われますが更に終盤にはその胃に……
「生き急ぐ」というよりは「死に向かって生きている」ように見えるアレックスですが、自身の中にある行きどころのないエネルギーというか衝動のようなものがアレックスを全力で走らせます。それはときには自身の足であったりバイクであったり。
そんなアレックスの疾走する人生は周囲の女性たちにも影響を与え、アンナもリーズもそれぞれの理由と手段で疾走するのでした。
『ポンヌフの恋人』
そして今作の『ポンヌフの恋人』は、それまでの2作とはいろいろな点で大きく異なった作品と言えるものでした。
まず何と言っても主人公たちがホームレスという、およそ男女の恋愛を描く映画の主人公とは思えない設定となっていて、ヒロインであるミシェルを演じるジュリエット・ビノシュも終盤までずっとボザボサの頭に小汚い格好、さらには片目にはアイパッチのような絆創膏が貼られた姿で描かれています。
前作『汚れた血』ではカラックスが「いかにしてジュリエット・ビノシュを美しく見せるか」を念頭において映画を撮った──とのことですが、夜の闇の中に浮かび上がる原色の鮮やかな色彩や、その中に映し出されるビノシュの美しさがとても印象的だった『汚れた血』と比べるとたしかにものすごい落差です。
なおもうひとりのヒロインであるリーズを演じたジュリー・デルピーはビノシュよりもさらに若く、撮影当時はまだ16〜17歳の少女でしたが(なおデルピー曰くカラックスとはあまり相性がよくなかったもよう)ビノシュのような鮮やかな色彩とともに画面に登場することはあまりなく、さらにバイクに乗るシーンではずっとバンダナで顔を覆っていたりと、見せ方にはかなり違いがありました。そういう点からもヒロインのアンナ(ビノシュ)を徹底的に美しく見せるために計算されていたのが前作なのかなと。
モノクロ映画だった『ボーイ・ミーツ・ガール』でも、カラックス監督の意味深でこだわりを感じさせるような映像は随所に見られました。
チェック柄、あふれる水、割れたガラス、欠けたコップや落として割れたグラス、すぐ側で何も言わずにじっと見つめる、などといったカットのどれもがどこか内向的で、それらは言葉の代わりとして意志や感情・意味を伝えているようにも感じられるのでした。
そのあたりを考えてみてもやはり今作は以前の2作とは大きく異なっており、表現方法が大変ストレートで分かりやすくなっていたというのが特徴的でした。
これはもともと過去作を見ていた人にとっては結構驚きだったのではないかと思います。私の場合は最初に『ポンヌフ~』を見てから後追いで過去の2作を見たのでそういう驚きを体験することはできませんでしたが。
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