人間・カシエルの始まりと終わり
この世界に偶然なんてものはない、とよく云われます。全ては必然で、起きること全てに意味があるとされています。
では「本来この世界に人間として存在するべき者ではない」カシエルが天使から人間となってこの世界にやってきたことにはどのような意味があるのでしょうか。
天使カシエルはその翼でどこへでも瞬時に移動することができましたが、その能力を使い人間へ干渉することは許されていません。
しかしライサがバルコニーから転落したとき、カシエルは思わず助けてしまいます。
その結果カシエルは翼を失い、人間となりました。
ライサの命に関与してしまったカシエルは、今度は人間「カール・エンゲル」として、ライサの、そしてライサの家族たちの人生を正しいほうへ導く宿命を負うこととなります。
失敗や挫折を繰り返しながら、カシエルは人間として自分がすべきことは何かを知り、それを為すことで人間としての命が終わることを悟るのでした。
始まりと終わりが対になっているんですね。
ハナとトニーの再会、トニーの更正
幼いころに戦争によって引き離された兄と妹。
兄は父親とともにアメリカへ渡り、妹は母とともにドイツに残るも、のちに母は行方不明に。戦後ドイツは東西に分かれ、東側にいる妹とアメリカにいる兄は完全に音信不通となる。
そしてベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツが再統一した1990年、兄は再びドイツへやってくる──
これだけであれば、探偵を使って行方を探す兄が妹と感動の再会を果たす、という結末で終わりそうですが、現実はそううまくは出来ていなかったようです。
アメリカで事業に失敗してドイツへ戻ってきた兄・トニーは裏稼業に手を染め、商売敵から命を狙われるようになっていました。トニーの身の危険は同時にハナとその娘ライサにも振りかかってきます。
また兄妹が引き離された日のことと現在の兄の仕事に繋がりがあることは、パンフレットの文面から知ることができます。
そこでまず注目されるのは、ロケ地の選定である。ヴェンダースは<壁崩壊>以前から、「東ベルリンに行けば<本当のドイツ>に会える」「東ベルリンの美術館にいると安らぎを覚える」といった発言をしていたが、『天使の詩』では西ベルリンの<壁>付近の一帯が主要舞台とされていたのに対して、『時の翼にのって』のほとんどは東ベルリンで撮影されている。しかもそれは、「美術館島」を中心としてブランデンブルク門からアレクサンダー広場に至る、ちょうど『天使の詩』の地域とは<壁>を挟んで対峙していた東の中心地が多い。<西>が映される例外としては、地下が倉庫となっているという設定のテンペルホーフ空港がある。もちろんこの空間は、半世紀前にベッカー博士がナチのフィルムを手にアメリカに旅立ったのと同じ場所を、今では息子が俗悪ヴィデオと武器の貯蔵庫として使用している、という複雑な意味でここに登場を要請されたものであろう。
この兄妹が別れることとなった運命の場所は、のちにふたりが再会するきっかけとなる場所ともなったのですね。問題はそのきっかけが穏便なものではなかったということですが。
カシエルはこの兄妹が引き離された日のことも知っており、さらに当時幼かったハナはコンラートが運転する車の中でカシエルの姿を見ています。
そしてハナが母ゲルトルートと同じくらいの年齢となり、娘のライサが当時の自分と同じくらいの年齢となったとき、兄が自分たちを見つけ、娘は天使に命を救われるという急展開を見せるのでした。これも全て大いなる時の流れによる、運命づけられた摂理というものなのでしょうか…。
コンラートという男
先ほど「当時幼かったハナはコンラートが運転する車の中でカシエルの姿を見ています」と書きましたが、前作から続く設定として子供の純粋な目には天使の姿が見えるようです。(見たことは覚えていないようですが)
それももちろん大変素晴らしいことなのですが、個人的に心に刺さったのはコンラートと天使たちに関する部分です。
コンラートは初めて会う、名前も知らない男カシエル(カール)を見て、彼が
ことに気付きました。
コンラートは、戦争そして戦後の分断されたドイツを東側で見てきた歴史の生き証人のような存在としてこの物語に登場します。
老いて人生の黄昏時を迎えたコンラートは、もう思い出せなくなった過去の人生での出来事や思い出について、そしてこれまで自分が歩んできた人生が、人として、男として正しいものであったのかを知りたいと思っていました。
そこへ現れたのがカール・エンゲルという、人間の姿となった天使カシエルでした。
人間となってからも天使だった頃の記憶を持つカシエルから、自身がもう忘れてしまった過去の美しい思い出を教えてもらう場面はとても感動的で美しいシーンです。
またこのときのカシエルの表情が優しく慈愛に満ちているものであったことも注目したいところ。散々苦境に立たされ、人間として厳しい現実ばかり経験させられて、すっかり険しい表情になっていたそれまでのカシエルの顔とはまるで違う、天使だったころと同じ穏やかな表情をしていたのが印象的でした。
さらにカシエルが眠ってしまったあとのコンラートの独り言と、それに答えるラファエラ(彼女はふたりの話を微笑みながら聞いていた)の言葉によって、あの日ベッカー博士たちを空港へ乗せていったあと、コンラートがどのような人生を送ったのかが判明します。
(カシエルに)正しく生きてきたか、教えてもらわねばならん──
たいして勇敢な男ではなかった──
几帳面ではあるが、勇敢では……
自惚れるわけにはいかない──
誰だって私の立場ならああしただろう
身寄りのない子だ──
でもあの時、違う意識が芽生えたわ
考えも変わった
すっかり別人になった
世界を説き明かす使命を果たす人
語り手になった
あれ以来、あなたには無数の物語が浮かんだ
太古から現在に至る人類の物語や
新たな始まりの物語
あなたは人を守り
そのお陰で守られた
今、一生が鏡に映り
あなたの中で
第二の人生が育ち始めた
あなたの中には
命の成長に必要なすべてがある
このラファエラとの場面、パンフレットを読むとヴェンダース監督がラファエラのこの語りに別の意味も込めていたであろうことが分かります。
コンラートを演じたハインツ・リューマンについて、パンフレットに次のような解説が載っていますので引用します。
それだけでも十分に感動的だが、観客の胸をもっと熱くさせるのは、老運転手としてのハインツ・リューマンの出演である。残念ながら現在では国際的にはほとんど無名の状態にあるが、彼こそはドイツ映画史上最高の喜劇俳優なのだ。リューマンは1902年生まれだから、撮影時点で90歳になっていたことになる。オールドファンの方なら、トーキー最初期の『ガソリンボーイ三人組』(30年)『狂乱のモンテカルロ』(31年)などでの彼をご記憶のことだろう。彼はナチ時代もドイツに残って多くの傑作を残し、戦後は人生の深みを表現できる「国民的俳優」として深く敬愛されてきた。つまり、ナチ時代を含めた「ドイツ映画史」を生きぬいてきた重要証人であり、あらゆる「ドイツの物語」を身にまとった人物なのだ。その彼が、ここで「歴史を乗せて運ぶこと」を仕事とする運転手を演じる。偉大な先輩へのヴェンダースの敬意というほかあるまい。
ラファエラの言葉には
「あなたが正しいことをしてきたのを知っています」
「あなたがその生涯を終えたあとに行くのは素晴らしい世界」
という意味が込められているようにも受け取れますが、これは撮影当時90歳だった「ドイツ映画史を生きぬいてきた重要証人である国民的な俳優」であるハインツ・リューマンへ捧げた最大級の賛辞なのではないかと、そう思えてなりません。
単に「歴史を乗せて運ぶこと」を仕事とする運転手という役(それだけでも重要な意味を持つ役ですが)を演じさせただけでなく、その役を通して“天使”からのメッセージを彼に捧げた──という感動的な場面なのではないかと。
ピーター・フォークやオットー・ザンダー、そしてブルーノ・ガンツが亡くなったとき、Twitterには『ベルリン 天使の詩』や『時の翼にのって』に絡めて彼ら「元天使」が空へ還っていったことを偲ぶツイートが溢れました。
ファンがそんなふうに出演俳優が演じた役になぞらえて哀悼の意を送るのはよくあることですが、監督は自分の映画を使って偉大な先輩が生きているうちにメッセージを贈る、なんてことが出来るんですね。。
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