今となってはかなり懐かしい「ミレニアム」という単語をそこかしこで耳にした1999年の終り頃。
現在の世界の勢力分布の基礎…というかヨーロッパの人々(またはキリスト教)が海を渡り世界中を支配しようとしてから初めてのミレニアム(千年紀)を迎えようとしていたこの時期は、ノストラダムスの大予言に代表されるような「終末論」も結局起こらず何とか無事に2000年を迎えることになりそうだ──という安堵感と妙な高揚感みたいなものが世間に広がっていたように記憶しています。
この『エンド・オブ・デイズ』はそんな現実の世界と同じように、お祭り気分で浮き足立っている1999年末のNYが舞台となっています。
新世紀を迎えようとしているその裏で、千年前から計画されていたサタンの地上進出が刻一刻と迫る中、鍵を握る重要な役割を持った若い女性を巡り、彼女を手に入れ計画を実行しようとするサタンと、彼女を殺すことで計画を阻止しようとするバチカンの神父たち、そして彼女を守ろうと奮闘する元刑事のジェリコによる三つ巴の戦いが繰り広げられる──というストーリー。
主人公のジェリコには、SF系の作品には多く出演しているものの、このようなキリスト教由来の世界観による「人間(または神)vs悪魔」モノの映画への出演は珍しいイメージがあるアーノルド・シュワルツェネッガー。
そして物語のキーパーソンである運命の女性クリスティーン・ヨークは、ドラマ『メンタリスト』シリーズのリズボン捜査官役でおなじみのロビン・タニーが演じています。
『コンスタンティン』との類似点
キアヌ・リーブス主演のダークヒーロー映画のヒット作『コンスタンティン』のレビューでも書いていますが、どちらも地獄から悪魔がこの地上の世界にやってくるのを阻止する戦いを描いた作品で、この『エンド・オブ・デイズ』も『コンスタンティン』と同様に日本でも大人気の俳優が主演を務める「人間vs悪魔」モノ作品として非常に面白い映画です。
そしてこの両作品には類似する点がけっこう多いのがまた興味深いところでもあります。
改めてこちらでもその類似点を並べてみます。
「自己犠牲」
主人公の自己犠牲により悪魔がこの世に出現して支配することを阻止する。
※ただし『コンスタンティン』のほうは自己犠牲で救ったのはイザベルの魂であり、世界の終末を止めたのはジョンではない
「媒介となる存在」
悪魔がこの世へやってくるには媒介となる人間が必要で、それは計画されてこの世に生を受けた者であったり、または特別な霊力を持つ者が選ばれる。そしてどちらの場合も若い女性である。今作の場合は前者。
「キリスト教由来」
当然といえば当然ですが、基本的な世界観はキリスト教的思想の「神と悪魔」「天国と地獄」そしてその中間に位置する「人間、人間界」がベースとなっている。
「相棒・仲間の存在と喪失」
どちらも一緒に戦ってくれる仲間や相棒がおり、重要な役割を果たすも悪魔の犠牲となってしまう。
「主人公のイニシャル」
主人公のイニシャルはどちらも「J・C」で、イエス・キリストを連想させるものとなっている。
ジーザス・クライスト=Jesus Christ
ジェリコ・ケイン=Jericho Cane
ジョン・コンスタンティン=John Constantine
「ヒロインとの関係」
どちらの作品も「選ばれし者」である女性を命懸けで助け、彼女とそして世界を救うことに成功しますが、その女性と恋愛関係にはならない。
『エンド・オブ・デイズ』において、この「ヒロインと恋愛関係にならない」という点はストーリー的に良い結果になっていたように感じました。
主人公のジェリコは元々篤い信仰心を持っていたが、仕事で留守にしている間に最愛の妻と娘を強盗に襲われ殺されてしまったことにより信仰を捨て、その辛さにより自殺願望に駆られ苦しんでいる男。
その彼が命懸けでクリスティーンを守り、最後に自らの命を犠牲にすることで悪魔に打ち克ったそのとき、光とともに妻と娘が自分を迎えにやってきて、ついに彼は苦しみから解放され魂が救われたのでした。
そして(サタンのための)運命の子としてこの世に生を受け、これまで幻覚で恐ろしい悪魔の姿ばかり見させられていたクリスティーンにとっても、命懸けで自分を守ってくれた男が最期に愛する家族とともに天国へ迎え入れられるという美しい姿を目にしたことで、ようやく悪魔ではなく神に祝福された人の姿を見ることができた彼女も、また救われることとなったのでした。
かなり宗教色の強いこの映画にとって、こういう形のエンディングは至極妥当なものであったように思います。まぁそもそもジェリコとクリスティーン(二十歳の設定)がデキてしまったら年齢差的にいろいろ言われそうですしね(笑)。ジェリコ役をもっと若い俳優が演じていればまた違った展開もありえたのかもしれませんが…
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