映画『エンド・オブ・デイズ』──『コンスタンティン』との類似点、666と369、そして死後の世界について【シュワちゃん】

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獣の刻印

 『コンスタンティン』のほうにもキリスト教的思想でいうところの「獣の刻印」とされる「666」という数字が、ところどころにこっそりと使われていましたが、こちらでは隠すことなくセリフの中ではっきり言っていました。

 世紀末ということで、666を逆さまにした999が象徴とされ、1999年の終わりにサタンがやってくる──ということになっていました。

© 1999 Beacon Communications LLC
「次の停車駅はトレーダー分岐点〜」

 

 さて、「666」と言えば私のような中年世代にとっては、映画『オーメン』での「666は悪魔の番号」という刷り込みによって子どもの頃からそう信じさせられてきた数字ですが(もちろんキリスト教を信仰しているかどうかに関わらず)、あくまでもキリスト教的思想のなかで語られているものであり、昨今では陰謀論者や都市伝説テラー、さらにはスピリチュアルに関する情報を発信している人々によって全く別の解釈が提示されていたりします。

 もうご存知である方のほうが多いとは思いますが念のため軽く説明しておきますと、666という数字は本来邪悪な数字ではなく、むしろその逆で世界の真理に通ずる数字、特別なエネルギーを持つ数字である──という説があります。「あります」というか、西洋の宗教観が全てだと思っている方以外にとってはその説のほうが正しいと考えたほうが自然なほどです。

 天才発明家ニコラ・テスラの「3・6・9の法則」に照らし合わせても「666」はイコール「369」であり、また「369」とはつまり「みろく」=「弥勒」=「弥勒の世」のことでもあります。なお「みろく」とは「3つの6」と読むことも出来るので、「666」そのものがイコール「弥勒」でもあるわけです。

 言うまでもなく「弥勒の世」というのは、弥勒菩薩がこの世に降臨されて全ての衆生を救うとされる未来の世のことであり、テスラの「3・6・9の法則」のえげつなさと、全く別の世界観や文化であるはずの仏教思想のなかの「弥勒」がこのように繋がってくることも、いよいよ「666」が悪魔の番号などではないということの信憑性が高まってくるというもの。

 なお弥勒菩薩がこの世に降臨されるのは釈迦の入滅から56億7千万年後とのこと。56億7千万……567=369です。しかも567と書いてミロクと読むということについても動画やブログなどで数多く説明されていますので、気になる方は調べてみてはいかがでしょうか。56億7千万年というと気が遠くなるほどの未来で自分たちには関係のない話…と思ってしまうかもしれませんが、「567」とは今年世界を混乱に貶めて現在も全く解決しないまま続いている「あれのこと」ではないのか、という話も聞きますね。

 オカルトやスピに興味がある人たちの間では2020年は大きな変革(ネガ・ポジどちらかはともかく)が起こる年であると何年も前から言われていましたので、こういう説を目にしてもあまり驚くこともないというか。

 またスピリチュアルの観点から見てもゾロ目の数字は「エンジェルナンバー」とされていて、それぞれにポジティブな意味が含まれています。こちらも決して「666」がネガティブな意味とはなっていません。

© 1999 Universal Pictures

 

 キリスト教を信仰されている方々、とくにプロテスタントの方々からは怒られるかもしれませんが、個人的には「聖書の多くの箇所は創作と古い伝承からの引用である」という説は正しいと思っています。

 

 キリスト教という宗教を利用して自分たちにとって都合のよい世の中にするために、あとになって人間が改ざんしたものが現在の聖書となっていて、正しい部分ももちろんある

「イエスを神としている点」
「輪廻転生を否定し“復活”という概念を取り入れている点」などなど
本来のイエスの教えとは違うことを神の言葉とした宗教に変えてしまった──

 というものです。

 これはキリスト教が誕生した後で起こった世界の歴史を振り返れば納得できるのではないでしょうか。

 

 悪魔祓い系の映画などでも度々耳にする

 

「父と子と精霊の御名において」

 

 という祈りの概念である「三位一体」という言葉については、様々な思想や宗教で様々な言葉に置き換えられて表現されていますが、キリスト教の「三位一体」についてはどうしても腑に落ちないというか、整合性を取るには無理があるように感じていたのはこういうことだったのか…と、上記の説を聞かされてようやく納得できたのでした。

 誤解のないように言っておきますが、イエス・キリストを否定するのではありません。人の手によって変えられた教えの辻褄の合わなさを受け入れられなかった、ということです。

 

 私は一神教の宗教を信じていませんが、それでもイエス・キリストという存在は信じますし、イエスが説いた教え(例えば「汝の隣人を愛せよ」など)そのものは正しいと思っています。なぜならもし本当に全ての人が「汝の隣人を愛する」世の中になったら戦争なんておきるわけがないと思うからです。

 どの宗教が正しいとか間違っているとかいうことよりも、自分が子どもの頃から持っていた「良心」というものを判断基準にして生きること、大事なのは宗教ではなくて「自身の良心に従って正しい生き方をする」ことが最も大事で、結局はそれが出来るようになるまで人は輪廻転生を繰り返すのではないか──と私は考えています。

 

 つまりこの世は試験や修練のための世界で、この世が魂にとってのメインの場ではなく、あくまでも死後に行く世界が本来の世界ということです。

 そして死後、その本来の世界で魂レベルが高い者が生きる世界、より良い次元に生きるために、この世で正しく生きられなかったことや間違った行いをやり直すことで魂のレベルを上げていく──というのが、私たちがこの世にいる目的なのだろうと。…そう考えるとまるでゲームみたいですが、この世界はある意味ゲームであり仮想現実だと言われることとも繋がってきます。

 いわゆる「カルマの解消」というやつですね。

※「嫌なことや辛いことを我慢して生きるのが人生」ということとはまた違います。

 

 そういう解釈で考えると、世界中のいろいろな宗教やネイティブ・アメリカンやアボリジニをはじめとしたアニミズム(もちろん八百万の神の国、神道の国である日本もアニミズムの国であるといえます)の教えで伝えられていることなどと矛盾なく繋がってくるものが多く、さらには宇宙人の存在や、霊能者やチャネラー(まぁこれは玉石混交だとは思いますがw)が言う「高次の存在」などの話とも整合性がとれる部分がかなりあることに気付きます。

 そんなわけで「666」=「369/弥勒」であるという説明からだいぶ長くなってしまいましたが、こういった理由から西欧文化圏・キリスト教文化圏での「666は獣の数字、獣の刻印」という考え方はあくまでも「あちら側の人たちの考え方」でしかない、と私は考えています。

 ただし、これまでの長い歴史で作り上げられてきた「神と悪魔」といった概念や思想は強力なエネルギーを持って具現化されているので、本質ではないとはいえ侮ってはいけません。逆に言えば人間の想念から発せられるエネルギーにはそれほどの力がある、ということにもなるのでしょうが…。

 っていうか昨今ようやく色々なところで「歴史の真実(かもしれないという説)」が語られるようになり、

・最初の人間、最初の文明、最初の言葉はどこで生まれたか
・日本語の持つ力とその意味とは
・日本人とはどういう存在なのか

 といったようなことが人々の目と耳に触れられてきているのに、なぜ此の期に及んでもまだ自分たちの歴史や受け継いできた文化や宗教観、DNAよりも西洋由来のほうが正しいと思ってしまうのか…。西洋コンプレックスという言葉だけでは片付けられない根深い洗脳があるのでしょうかね。

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