【社会の縮図】映画『プラットフォーム』レビュー①──層の数字、名前の由来、本、ダンテ、ゴレンとミハルの関係【結末の考察】

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トリマガシ(ISTP)

 主人公ゴレンがこの牢獄で最初に同室となった男、トリマガシ。

 自分よりも上の者には何も期待せず、自分よりも下の者を顧みず、今のこの状況下を生き抜き(またはやり過ごす)刑期を終えることのみを考えている老人。

 

 彼は生きるためにこの世界のルールに順応し、無事が約束された状態ではモラルのある人間でありますが、サバイバル環境では倫理観を捨て自身が生き延びることを最優先した非情な行動を取ることができる人間です。

 また彼はここのシステムが明らかに間違っているものであっても、それについて異を唱えるでもなくただ自分なりに従っているだけであり、ある意味で思考停止状態とも言えます。

 

 

 トリマガシが取った行動は私たちの目にはとても恐ろしいものとして映りますが、実はこのような人間はこの社会にはかなり多く存在しているのだろうと思います。まぁ日本とスペインとでは(というか日本とほとんどの海外諸国とでは)多少違うかもしれませんが…。

 それは大災害が起きたときの人々の行動を見れば一目瞭然です。大地震や対規模な停電が起きたときや、何かしらの問題で法の秩序(警察など)が機能しなくなったりする状況では、あっという間に暴動や略奪が海外の多くの国で起きるのをこれまで何度もニュースで見させられてきました。

 ヨーロッパの先進国などではあまり見ない光景かもしれませんが、それはあくまでそういった未曾有の大災害が起きていなかったり、治安維持の組織が機能しているから、というだけだと私は思います。もちろん略奪行為をしない人も大勢いるでしょうが、良くも悪くも自主性に欠け悪目立ちすることを怖れる日本人と比べると、そういった行為に簡単に走ってしまう人間が多く存在するであろうことは容易に想像できます。別の価値観・宗教観を持った民族も多数暮らしていますしね。

 とにかく、トリマガシは現実世界でかなりの割合で存在するであろうタイプ(普通に生きられる状況下ではまともだが、危機的な状況に陥ると生きるために何でもする)を代表するような人物──と考えられます。

 

 

イモギリ(ISFJ)

 ゴレンが2番目に同室になる女性。彼女はこの謎の空間を管理するシステム側にいた者であり長年そこで働いてきたが、このシステムが抱える問題や正しい情報を知らずにいた。そのため自分がどのようなことに加担していたのか(このような恐ろしいところに人々を送り込む仕事をしていたこと)も知らなかった者。

 

 現実世界では政府関係の仕事や役人、世界を動かす大企業などに所属し「社会の上層部が行っている悪い部分」を知らず(または意識せずに)に働いている人のメタファーでしょうか。

 

 

 彼女は自身が末期がんであることを知り、正しく機能していないここのシステムを変えようと自ら牢獄へ入ります。人の善意とモラルから連帯感が生まれることを信じて説得を続けるも、それが無理であることを知って絶望し最後は自ら命を絶ってしまいます。

 彼女はここへ来た初日に「自然に連帯感が生まれる」と言っていましたが、下の層の人間は言うことを全く聞こうとせずゴレンの脅しによって初めて下層の者たちが言うことを聞いたことにショックを受けていました。(ゴレンはイモギリに「変化は決して自然には起こらない」と言い、実際に彼は後に変化を自らの手で起こします)

 そして死んでから幻影としてゴレンの前に現れたときには一変し「連帯感はクソ」と言います。これは33層でゴレンが「言うことを聞かなければ全ての食べ物をクソまみれにするぞ」と脅したことにかけているのもありますが、のちにバハラトが顔に向かって脱糞される場面もあったりと、度々「クソ」という単語が出てきます。

 

 ※ちなみにスペイン語で「クソ」は「mierda」(ミエルダ)といい、文字通りの「糞」のほか、日本語での「あいつはクソだ」とか「くそっ!」なんていう場合に使われるのと全く同じ意味合いでこの「ミエルダ」が使われるので、スペインの映画を見ているとよく耳にする言葉でもあります(笑)。またバハラトが終盤で何度も言っていた「¡Joder!」(ホデール!)という言葉も「くそっ!」とか「ちくしょう!」という意味なのですが、こちらもスペイン映画などでよく耳にします。例えばシリーズ4作品が作られた大ヒットホラー映画『REC/レック』では何度も何度も出てきます(笑)。

 当サイトでは初歩的なスペイン語のフレーズを紹介していたりもしますので、スペイン語に興味がある方はそちらもぜひご覧になってください(宣伝w)

 

映画『●REC/レック』シリーズ①②【メデイロスとは何者だったのか?】
...

 

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 彼女は人の正しい生き方を提唱し、説得することで社会を変えられると思っていた人でした。これもトリマガシ同様、現実世界で多く存在するタイプです。

 先にも書いたように彼女はある程度の特権を持つ立場の人間で、この世界には格差があり日々を生きるのにも苦労する人間がたくさん存在することも知っていたが、所詮それはある程度の豊かさがある安全な場所から遠巻きに見て「知識として知っていただけ」であり、自身が経験して知ったことではないので本当の苦しみや怖さを理解できてはいなかった人。

 そんな彼女は末期がんという病によって「死と隣り合わせになる人間の気持ち」を理解し覚悟も持ってここへ来たつもりでいましたが、実際にはこの世界の真の姿や過酷な状況で生きる人の心の醜さを全然分かっていなかったことに気付き、絶望します。(最下層は200層だと聞かされていたが翌月に自分が202層にいて、そこよりもさらに下の層がずっと続いていることを知ります)

 

 

バハラト(ESFP)

 黒人として、差別される側の人間。6層に来た当初の彼は信仰を語っていたが、実際には自分が助かることだけを考えていた男だった。しかしゴレンの説得に乗り、最後まで一緒に革命を起こそうと戦い続ける。

 その姿勢の陰には、バハラトがかつて会った車いすの賢人・Mr. Brambang※の存在も大きいのかもしれない。

※ゴレンとバハラトのふたりに革命への正しい道を説く。彼の役名はジャワ語でエシャロットを意味する「brambang」に由来。なおこの賢人も黒人である。(INFJ)

 

 

 6層に来た当初は完全に浮かれていて、自分が上に行ってここから出ることだけを考えているやや利己的な男に見えましたが、5層のふたりに酷い扱いを受け、そこからは人が変わったように厳しい顔でしゃがみ込んでしまい、翌日の食事もほとんど手をつけようとしませんでした。

 下の層で地獄のような経験をしてようやく6層という、社会に置き換えればかなりの豊かさを得られる位置に来たものの、その上にはクソみたいな人間(女には実際に顔に脱糞される)がおり、結局この位置でも心の安らぎは得られない──という現実を突きつけられたからです。

 しかし自分の横にいる男が

 

「一緒に降りて下の者たちに食べ物を行き渡らせよう、一緒にこのシステムを変えよう」

 

「下まで行ったら台座に乗って上まで上がろう、上に行きたいんだろう?」

 

というまさかの提案をしてきます。

 理想を持った男がここにいた──その事実がバハラトの心を動かしました。

 

 

 ゴレンと共に降りていった先では、賢人を含めてバハラトを知るものが何人か出てきますが、それらの人々の発言からバハラトがまともな人間性を持った男であることが分かります。

 自分が最初に動くリーダー型の人間ではないものの、バハラトもまた行動によってこの世界のシステムを変えることが出来ると信じられる人間だったようです。トリマガシをはじめとする多くの者たちが「この状況を受け入れ(従うという意味ではなく諦めという意味で)ここで生き抜くことしか自分には出来ない」という考えしか持っていないこととは対照的です。

 

 

 彼のキャラクターは、現実世界では俗っぽさもありながらも(6層からズルをして上に上がろうとする)現実をよりよいものに変えられる可能性を信じていて、社会の底辺も知っていてさらに差別される側でもありながら可能性への希望を失ってはいない──という人物像を表しているように見えます。

 そしてバハラトは、ゴレンが持ち込んだ本『ドン・キホーテ』の主人公ドン・キホーテによる騎士道精神を取り戻す旅に同行するサンチョ・パンサのメタファーでもあるように感じられ、ここにも『ドン・キホーテ』との関連性が見て取れます。

comment

  1. てち より:

    FACTFULNESSという本を読んだばかりだったので映画の階層の表現に深く感慨を覚え、さらにこちらの考察を拝見して深まりました。内容はもちろん、話の流れがわかりやすかったです!MBTIを混ぜてるのもわかりやすかったです。他のレビューも参考にさせて頂きます!

    • ありがとうございます!そのように言っていただけてすごく嬉しいです。
      この映画に関しては海外の動画やブログなどの考察をかなり参考にさせてもらいましたが、そういうのを見ては「よくもまぁそんなところに気がつくもんだ」と感心してばかりでした。
      自分はINFJなので隠された意味だとか何のメタファーなのかといったことについ目がいってしまうのですが、思考タイプのような知識量も頭も良さも持っていないので全て自力で書き上げるのは難しかったみたいです(笑)。

  2. 通行人 より:

    昨日Amazonプライムで観て消化不良部分を解消したくてここにたどり着きました。
    この映画、非常に面白かったです。
    私の感想だと結末の可能性は3に近いです。
    ・女の子は存在した(管理者が意図的に入れた)
    ・人を殺しても上の層には行けない(下層に刀を持った荒くれ者がいるので成立しない)
    ・ミハルの子ではないが彼女は子供を保護していた(野蛮な男の餌食にされないため)
    ・女の子の存在を知ったのは偶然かもしれないし、管理者の意図かもしれない
    ・あの施設は刑務所であり実験所でもある
    ・犯罪者だけでは事態が動かないので一般人も参加させられるようになる
    ・自分の好物または1皿分だけ食べれば生き残れる(または2日に1度とか3日に一度に減らす)
    ・人を殺したものが上の層に行けるのではなく試練(生きる努力をするとか?)
    ・毎回ミハルが上から下りてきたのは最下層まで行ったから
    ・最下層まで行ってすべてを見た者が上層に行けるルール(天国から地上に生まれた神の子イエスの再現)
    ・0層のパンナコッタシーンは料理だけ残しても理解されないって言う暗示
    ・何故なら施設の内情は知らされていないから(イモギアも知らなかった)
    ・女の子はパンドラの箱の希望(子供は参加できないルールなので0層で気づいてもらえる)
    ・希望なので最悪気づいてもらえない可能性もあるがゴレンが起こした一石で変化は起きるかもしれない。
    ・ゴレンは333層で死んでいる(十字架で磔刑になったキリストと同じ)
    ・最後は希望を胸に死んだゴレンの魂の世界というか幻想
    もっと時間をかけて情報収集していたら協力者も増えて生きて期限を終えられたのだろうか?・・・

    • 大変興味深い考察、ありがとうございます!内容の良し悪しはもちろんのことですが、見る側に考える余地を多く与えている映画は色々な解釈ができて面白いですね。
      いただいたコメントを読んで、この映画が私たちが暮らすこの社会を投影していることと、その世界にキリスト教の解釈が大きく関わってくるストーリーになっているということを改めて感じさせられました。

      > ゴレンが起こした一石で変化は起きるかもしれない。

      というポジティブな可能性を見出す考察は完全に同意します。きっとそこが映画の重要なポイントのひとつなのでしょうね。

      <以下は完全に蛇足です>
      あとこれを書いた時点ではそれほど現実味がなかったことですが、現在世界中で騒がれている食糧危機の問題やグレート○セット後の世界なんかも何気に投影しているような気もしますし、さらに調子に乗ってオカルト的要素とか聖書予言、はたまたマッドフラッド界隈の考察も交えて考えてみると「地下に何かある/いる」という暗示も含まれていたりするのかも……なんてふと思ってみたり。。。

      • 通行人 より:

        興奮冷めやらないままに書き込んでしまい恥ずかしい限りです。
        見た直後に浮かんだのは、地獄の餓鬼道の話し。
        御馳走がたくさんあっても食べられないんだけど、長いお箸でお互いに食べさあうって言う。
        仏教的な考えは制作側には無いだろうとすぐ忘れましたが(苦笑)

        地下にあるもの、地下資源(海洋資源)くらいしか思いつきませんでした。
        いろいろ考えさせられる映画ですね。

        • そんな、とんでもないです〜。
          映画を見てから結構経っていることもあって今イチ的を得ない内容になってしまいほとんど削除してしまったのですが、当初はかなり長い返信を書いてしまったくらいですから。なのに削除して付け足したのが一番わけのわからない怪しげな内容というダメさ加減…。大変失礼しました(笑)。

          そう言われてみるとあの空間で繰り広げられていることはまさに修羅道や餓鬼道の世界観といった感じがしますね。。

  3. 映画考察初心者 より:

    すごく面白く考えさせられる映画だったんですが、パンナコッタと女の子と、途中の管理者がパンナコッタを持って怒鳴ってる場面が結び付かず、悶々としてたところたどり着きました。

    最後の二人の満足そうな笑顔は、私も涙しましたし、「革命への勝利」に同意です。
    「ゴレンは死に、女の子は存在せず、パンナコッタは0層に届けられた」このフレーズがすごくしっくりきました。

    読ませていただいて、もう一度物語を振り返ると、こちらも気になってたんですが、ゴレンがもらえるはずだった「認定証」は「救世主の認定証」なのでは?と。

    人は昔から生きながらにして神を目指そうとして上を目指しては蹴落とされ、蹴落とされてはのし上がるという輪廻転生を繰り返し(階層が変わる)、革命を起こした二人がたどり着いた先は、欲望のない心=純真無垢な子供(女の子)。子供が1番神に近い存在だが、残酷にもゴレンは同時に最期を迎える。結局のところ生きながらにして神に近づく事は不可能(ゆるされない)だと伝えられてるようにも感じました。
    ここの囚人は、罪というよりは我欲を落としていくこと、我欲を無くせば自然と神に近付くという人生そのものをあの狭い空間で描いてるように感じ圧巻。

    ※試練というか、何か(弱い者)を守るために命を投げるという行為の先に称号のようなものが与えられるようなところが「パンズラビリンス」と近いものを感じました

    そうなると、人間の思考(好きなものを聞かれても食べたいだけ食べて残らないことや、ゴレンたちが分け与えるために守り抜いたことも)と神(0層)の意図とズレが生じてるからこそ、途中のパンナコッタに付いていた髪の毛のシーンも描写されてるのかな、、なんて。

    キリスト教を知らないと、シュールな囚人同士のざん〇つ映画だな、と思いましたが最初から最後まで考えさせられる映画でした。

    こちらに辿り着くことが出来たおかげで、自分の中の考察も広がりました。

    ものすごい細かなところまで調べてまとめてくださってありがとうございます。

    • すごく考えさせられる考察、ありがとうございます!
      コメントをいただく方々の考察は皆とても面白くて、私も新しい気付きを得られて嬉しい限りです。

      たしかに人はこの世で高みを目指してもがくものの、根本的なやり方やそもそもの目指す姿を間違えてしまう生き物なのでしょうね。人間の思考と神の意図とのズレ…全くもって仰る通りだと思います。
      また「たどり着いた先が純真無垢な子供」という解釈も、すごく腑に落ちます。崇高な目的(とふたりは思っている)を達成するために人を威嚇し傷つけて333層までやってきたふたりにとって、あの女の子がいわば最終試験のようなものだったのかもしれませんね。書いていただいたように、ゴレンが欲しかった認定証が何なのかが説明されていなかったことにも繋がってくるんだとしたら本当に深い作品なんだなぁと…。
      通行人さんのコメントにあった「ゴレンが起こした一石で変化は起きるかもしれない」といった「その後に起きることの可能性」などの考察と合わせてまた新たな視点を教えていただけて、本当にありがたく思います。

      そして『パンズ・ラビリンス』!あれも本当に切ない映画でしたが、最期にあちらの世界(天国?)に迎え入れられて全てが報われたと信じたいです。

      仏教とか神道の世界観が浸透している日本と違って、西洋はキリスト教に基づく倫理観とか死生観がベースになっているのかもしれませんが、現実社会はそれこそ矛盾と不道徳だらけで、自分たちもそれをよく解っているからこそ、そのことに心が囚われているのかもしれないですよね。

      こちらこそ、より深い考察を教えていただきありがとうございました!

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