スー
マギー・チャン演じるスー・リーチェンはサッカー場の売店で働く女性。ある日店にやってきたヨディに不思議なアプローチを受け、徐々に彼に心を開いていったスーはやがてヨディを愛するようになります。
映画の中で、ヨディとスーが過ごしている描写はミミとヨディのそれよりも短いものの、最初の出会いからヨディに口説き落とされるまでの流れはスーのほうが圧倒的に印象深いものとなっています。それはこの映画のキャッチコピーにも使われているところからも明らかです。
「1960年4月16日3時1分前、君は僕といた。この1分を忘れない」
このやたらと気障ったらしい台詞(笑)にほだされてしまったスーではありますが、改めてよく見てみると、何もこのときのやり取りだけが理由でスーは陥落したわけではなく、最初からそうなる予兆があったことに気付かされます。
サッカー場の売店で売り子をしているスー・リーチェンの元へ最初に現れたとき、ヨディはまず彼女に名前を訊ねます。
やたらとノリのいいおねーちゃんだとか、逆にど田舎育ちで(知らない人に対する警戒心というものをまるで持っていない)純朴な子でもない限り、普通はこんなチャラいナンパ師にいきなり名前を訊ねられてペラペラと話したりはしないでしょうから、当然スーも冷たく拒否ります。
ところがここでヨディは
「本当は知っている」
と言い、リーチェンという彼女の名前を口にするのでした。
この予想外の展開にぎょっとして警戒心を露にするスーですが、ヨディの口からはまたも意外な言葉が。
「夢で会おう」
そしてそのまま立ち去るヨディと、それを目で追うスー。
いきなり声をかけてきて自分を誘うでもなく、意味深な台詞を残して行ってしまったあの男は何なのか──
もしここですぐに「友達になろう」(3回目にスーの前に現れたときに言った台詞)とヨディが畳み掛けていたら、スーはきっぱり断ってふたりはそれで終わりだったでしょう。たとえスーがヨディに好印象を持っていたとしても、スーの性格やそのシチュエーション、立場からして断る以外の選択肢はないであろうことは容易に想像できます。
このときヨディが取った行動──「まず相手に自分のことを印象づける」という手段は実に巧妙ですが、スーのほうも実はこのとき「全く脈ナシというわけでもない立ち振る舞い」というか、ヨディに付け入る隙のようなものを与えています。
「誰から名前を?」とヨディに詰め寄ったあと、ヨディは一度スーの前から離れ、ぐるっと彼女の斜め後ろに回ってスーの肩越しに「夢で会おう」と囁くのですが、その間彼女はその場にずっと立ったまま俯いているのでした。
もし相手が「100%脈ナシ」の男だったり、もしくは恋人の有無に関係なく不安や孤独、焦りなどはとくに感じていない、充実した生活を送っているときだったら、全く知らない男(しかも相手は自分の名前を知っている)の前に無防備に立ち尽くして、自分の髪に触れんばかりの近さまで相手に接近を許したり、背後から耳元で何か囁かれるなんてことを許したりは決してしないでしょう。
ここでスーの素性について確認しておきます。
スーはマカオ出身で、今は従姉妹の元に身を寄せて一緒に住ませてもらっている身であり、香港には家族もいなければ帰る家もないという点では「孤独を抱えた女性」です。
そういうバックボーンがあるので、独り身でいる現状に対して潜在的に不安を感じる気持ちは、香港生まれで家族も家もある他の同年代の女性と比べて大きかったのかもしれません。
天性の女たらしというものは、そういった孤独を抱えた女性や心に入り込める隙間を持った女性を嗅ぎ分ける能力がきっと高いのでしょう…。
次にヨディが店にやってきたとき、今度は彼女のほうから「夢で会えなかったわ」と話しかけています。
言い方こそ冷たくてつっけんどんですが、ヨディのことも、ヨディが言い残した言葉もスーは覚えていて、実際にそれ(夢で会えるかどうか)を確認したという事実──
スーが自分から話しかけたこの時点で、このふたりのパワーバランス・手綱はすでにヨディが握ったと言えるのかもしれません。
またヨディの巧妙(言い方悪いけど)な点として注目なのが、この時点でもまだスーを誘うことはせず“スーが夜にあまり眠れていない”ということをすぐに察して
「眠ればきっと俺に会えるぜ」
と言って去っていくところ。
日常的に眠れていないというのは大きな問題ですし、そういうときは精神的にも不安定で脆い状態にあるといえます。そんなときに自分の悩みをズバリと言い当てる謎の男(イケメン)。
ヨディが去ったあとのスーが見せる
「ああぁっ…」
という表情──これが全てを物語っているように思えます。
弱っている女の心の隙間にそっと入ってきて、優しい言葉をかけて去っていく男。。。
そして問題の(?)3度目のヨディとの会話。
この映画の主題歌であり、同時に“ヨディのテーマ”とでもいうようなLos Indios Trabajarasの『Always In My Heart』をバックにヨディが店にやってくるのですが、2度目の登場シーンを含めて、この曲が流れる場合は皆「映画のBGMとして」使われているのに対し、このときは「この場所(スーの働く売店)で流れていた曲」として使われています。
このときスーに止めを刺したであろうあの台詞、
「1960年4月16日 3時1分前 君は僕といた」
「この1分を忘れない」
は、スーのみならずヨディ本人にとっても、そして後に登場するタイドにとっても非常に重要な意味をもつ言葉であることから、ヨディのテーマとでも言うべき『Always In My Heart』が、このときこの場に流れていたというのは、何か象徴的なものを感じさせます。
またこの日にヨディが現れたときのスーの態度が「完全にヨディを意識しまくっている」のがバレバレで、めちゃめちゃ意識してるんだけど自分でどうしていいのか分からなくて挙動不審になっているのが、陥落する目前といった感じで実に分かりやすいです。
もちろんこういうのは第三者として見ているから分かりやすいのであって、自分が当事者だったら余裕もないだろうし「この子は絶対落とせる」みたいな自信は持ったことがないのでまず気付かないんでしょうけど(笑)。
で、そんなスーの様子などお構い無しにいろいろ要求をしてくるヨディに彼女はいちいち反抗的な言葉を返してみるのですが、結局はヨディの言う通りに時計を見てしまい、件の台詞によって見事スーの心はほだされてしまうのでした。
そしてその後のスーの言い訳がましい(笑)ナレーションを挟み、場面変わってベッドの上での事後のふたり──というあの図。。。
まったくもぅ。
っていう感じです(笑)。あらあらあら。
スーとヨディについては、ミミが物語に登場してからも印象深いやり取りがありましたが、それは後半のレビューで書きます。
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