「あの四次元キューブは何なの?問題」について
※この項目での話は完全に個人の解釈であり、思いっきり的外れである可能性もありますので『〜エンドゲーム』までの与太話として読んでいただければと…
映画を観てから一週間以上が経ってしまったので一部記憶があやふやなのですが、たしかキャロルが破壊しようとしてそのエネルギーを浴びてしまった「ライトスピード・エンジン」って、実はクリー人だったローソン博士/マー・ベルが「開発または発明」したものなんでしたよね?
で、「戦争を終わらせることができる」ほどに強大なエネルギーの、コアの部分を博士が隠していてそれをキャロルたちが見つけて入手したわけですが、なぜそれが「四次元キューブ」(という形状)なのか、非常にモヤモヤしてしまったのでした…。
もう一回言うと、博士が「開発または発明」したものなんですよね? 「(どこかで)見つけた」とは言っていなかったような…
となるとあのキューブは何?っていうことなんですが。。
「四次元キューブ」っていったら第二次世界大戦中にレッドスカルが手にしていたのをキャップが奪還し、その後海に沈んだキューブをハワード・スタークが回収してのちにS.H.I.E.L.D.が所有・管理していた、所謂「スペース・ストーン」のことですよね…
でもって「インフィニティ・ストーン」って「宇宙誕生よりも前から存在していたものが、宇宙が誕生したときのビッグバンによって6つの結晶石となったもの」ですよね…
しつこいようですが、レッドスカルが持っていた「四次元キューブ」は回収後はSSR(のちのS.H.I.E.L.D.)が保管していたわけですよね…
「ライトスピード・エンジン」のエネルギーの素がスペース・ストーンじゃないのであれば、何故それが「四次元キューブ」という形状になっているのか?という疑問。
高い知能を持つクリー人とはいえ、人間ごときが「開発または発明」したものが「インフィニティ・ストーン」レベルのパワーを持ったりするものなわけ?っていうところでわけわかめに。。
しまいには映画を観ながら「あれっ、ってことはサノスに奪われたあの四次元キューブは実は本物じゃない/または完全体じゃない、ということで、実はこっちが本体だったってこと? 」などとアホなことを考えていたりしました。。
………と、いろいろ想像で書いていたらようやく筋が見えてきました。
でもそれには設定として抜けている部分があるので、その「抜け」が自分の予想と合っていればの話なのですが…
<確定要素と個人的解釈を時系列で>(※)が抜け設定
❶【1940年代】 戦後、海に沈んだスティーブ・ロジャース(キャップ)と「四次元キューブ」を回収する
❷【1940年代~】SSR(のちのS.H.I.E.L.D.)が保管
❸【1989年?】ローソン博士はどこかで「四次元キューブ」の存在を知り、それを入手。その力を利用して「ライトスピード・エンジン」を開発(※)
❹【1989年?】「四次元キューブ」が悪用されることを怖れたローソン博士は、宇宙空間にそれを隠す
❺【1995年】キャロルとフューリーたちが「四次元キューブ」を発見、飲み込んだグースとともに地球に持ち帰る
❻【1995年?】グースがフューリーの机の上で「四次元キューブ」を吐き出す
❼【1995~2012年】フューリーの指揮するS.H.I.E.L.D.が保管(※)
ということなのであれば、スペース・ストーンが一度何らかの手段でローソン博士の手に渡り、その6年後にフューリーがそれを入手(ある意味でS.H.I.E.L.D.の元に戻るという解釈?)、2012年にロキに奪われるまで再び?S.H.I.E.L.D.が保管していたことになる、ということでしょうか。
またこの解釈でいけばキャロル・ダンヴァースの超人的パワーはスペース・ストーン由来のものだったということになります。
だからあんなに強いのか…ってか強いかどうかよりも宇宙空間に素の状態で居られたり(最後のほうではあのマスクみたいなのもしてないし…)高速飛行とかしてることのほうがすごいんですけど…っていう。
宇宙の遥か彼方にいてもあっという間に駆けつけられるのはやっぱりスペース・ストーンの力を取り込んだからでしょうかね。
今作ではメッセージも女性のためのものに
この『キャプテン・マーベル』のテーマみたいなものはおそらく
男社会で虐げられ「女のお前には無理」と言われ続けた女性がついに本当の自分を知り、認め、立ち上がる──そして最強のヒーローに
といった感じのものではないかと思います。
今回はエンドゲーム前の作品としての仕込みの慌ただしさ(?)もあってか、いつもより押しつけ…もとい啓蒙の要素が少なかったように感じましたが、キャロルが父親をはじめ世の男たちから「女のお前には無理」と言われ続けてきた呪縛から解放され、自身を認め、そして自分とは何者であるかを知り、覚醒する──というのが今作のメッセージなのでしょうかね。
「全ての人々があなたを押さえつけ、あなたのすることに反対するでしょう。それでもやりなさい。自身が正しいと思うことを続けなさい」
みたいな、まるでマザー・テレサか誰かの名言にありそうな感じというか、最近だとどっかの自己啓発セミナーの人とかが好んで引用しそうな感じ(笑)。
(もちろんそのメッセージ自体は素晴らしいものだと思います)
DCユニバースの「ジャスティス・リーグ」では、ワンダーウーマンもめちゃくちゃ強いものの結局はスーパーマンという、まるっきり別レベルの超人がいるためトップの存在ではありませんが、こちらは現時点のアベンジャーズの中では最強レベルのように思われます。またコスチュームも肌の露出が多いワンダーウーマンとは異なり、男女の違いがない「スターフォース」の戦闘服を元にしているあたりなんかも、男女格差とか(男社会の中での)女性に対する扱いを意識している部分もあるのかなぁと思いました。
マーベルとDCの違い、もしくは『キャプテン・マーベル』と『ワンダーウーマン』の違いについて
ということでそのワンダーウーマンとの違いやDCユニバースとMCUとの違いについてですが、やっぱり両者には差があるように感じました。
例えばニック・フューリーが電話を使って交信しているヴァースに「ブロックバスターの屋根に穴をあけた女を見なかったか?」と聞く場面。
誰がどう見ても自分のことだっていうのがバレバレなのにすっとぼけて立ち去ろうとするシーンがすごく可愛くて、しかも嫌味が全くないんですよね。こういう軽さってDC、ってか少なくとも『ワンダーウーマン』には出せないタイプのものだよなぁ~と思いました。
もちろんブリー・ラーソンの親しみやすいキャラクターによるところもあるのかもしれませんが、他にも劇中に使われる曲とその場面の活かし方なんかを見ても、マーベルのほうが巧いというか、格好つけないで楽しませる、というのが上手というか。。DC作品は、どうもヒーローを神格化し過ぎているように感じて(それはそれで差別化という意味でよいのかもしれませんけど)、正直「ジョークが微妙につまんない」ような印象があります。ただこの間の『アクアマン』は例外的にその辺がイイ具合にスコーンと抜けてて良かったと思いましたけど。
今作でもNo Doubtの『Just a Girl』が流れるシーンは海外の方にも評判みたいですし、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』をはじめとした他のMCU作品や、ここ数年のX-MENシリーズの映画なんかでも気の利いた曲の使い方をしていて印象的なものが多いように感じています。
主役以外のキャストについて
90年代の設定ということで、フューリーとエージェント・コールソンはCGで若くなっているそうですが、他にも『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のロナンやコラスも出ているのも面白いところ。この二人、こういう設定だったのですね。
コラス役のジャイモン・フンスーは『ガーディアンズ~』以外にもキアヌ・リーブスの『コンスタンティン』で酒場にいる元悪魔祓いのパパ・ミッドナイト役や、クリス・エヴァンス主演の『PUSH 光と闇の能力者』でほぼボスキャラの能力者ヘンリー・カーバー役など、“主役じゃないけど実力はスゴい”みたいな役が似合う人で結構好きです。
他にも「またこういった役どころで出てきた!」っていう気になる人が。スクラルのタロスが化けたS.H.I.E.L.D.の支局長ケラー役のベン・メンデルソーン。『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』のオーソン・クレニックや、『レディ・プレイヤー1』のノーラン・ソレントなど、ボスクラスのキャラなのにどうにも威厳がない(でも見た目は格好いい)という、ちょっと可哀想だけどなくてはならないキャラとして最近よく目にするような気が(笑)。
ちなみにこのベン・メンデルソーンとジュード・ロウの年齢差は3歳らしいんですが、そう考えるとジュード・ロウはまだまだ若さを保っているほうなんですかね。前頭部の毛根があれなだけで…
comment