※このレビューで「ラストシーンの解釈について」書いている箇所は、サイト『インターネット・ムービー・データベース』内にある本作品ページのFAQ「映画のラストでサムは何を見たのか? 彼女はリーガンが飛び去るのを見たのか?」を大いに参考にさせていただきました。
第87回アカデミー賞で作品賞をはじめとした4部門を受賞した2014年の作品『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(日本公開は2015年)。
面白そうだと思っていたのにずっと見ていなくて、かなり前に録画したものを今回ようやく見ることとなりました。
最初の10分でもう「これは絶対面白い」と感じましたが、展開が段々と不穏な流れになっていくにつれ「大丈夫なんだろうか…」とハラハラしながらの鑑賞となりました(笑)。人が大失敗するのを見るのがすごく苦手なもので…。
そしてあのエンディング……
相変わらず他の方のレビューやメディアなどの映画評を見ていないのであくまで個人的な考察や感想となりますが、リーガンは結局どうなったのか? ということをメインに書いていこうと思います。
あらすじ
90年代に大ヒットした映画『バードマン』シリーズ三部作で、主人公バードマンを演じてスターの座を手にしたものの、その後はヒットに恵まれず落ち目となった俳優・リーガン。
妻・シルヴィアとは離婚し、薬物依存からのリハビリ中である娘・サムを自身の付き人にしているが、信頼関係は築けていない。
リーガンは俳優として今一度成功し自身の存在を世に示そうと、役者を志すきっかけとなったレイモンド・カーヴァーの短編小説『愛について語るときに我々の語ること』を自ら脚色し、主演と演出も務める演劇をブロードウェイで上演することに。
だが大根役者の代役としてやってきたブロードウェイの実力派俳優・マイクとは彼の破天荒な行動から度々対立し、サムからは「パパは終わった人間で、もう存在していない。世の中から相手にされてなくて、芝居にもパパにも意味なんてない」と罵られる。
そして一人でいる時には頭の中で過去の栄光である「バードマン」が自分を嘲りハリウッドの映画界に戻れと囁くのだった。
公演を目前に控え、3度のプレビュー公演が行われるも、そのうちの2つはマイクの暴走やアクシデントにより散々な結果となった。
3日目に起きたアクシデントで、タイムズスクエアをパンツ一丁で歩くことになったリーガンに人々が注目し、動画を撮影した誰かがSNSにアップしたことで一躍話題の人となる。サムはこのことを前向きに捉えるが、リーガンはもちろん素直に喜べない。
さらにブロードウェイで成功できるかどうかに大きな影響力を持つ批評家のタビサからは「史上最悪の批評を書く」と言われ、リーガンは精神的に追い詰められていく。そんな中で迎えた舞台初日の朝、ついにバードマンは視覚化されて彼の元へ現れ、語りかけるようになる。
しかし舞台は順調に進み、不思議なほど落ち着いているリーガン。最後のシーンを前に楽屋を尋ねてきたシルヴィアに、二人の最後の結婚記念日の日に浮気がバレたあと、実は海に入って自殺しようとしたことを告白する。娘サム、そして元妻シルヴィアとの関係はよくなりつつあった。
そしてリーガンは小道具の銃ではなく棚の上にあった本物の銃を持ち、中の弾を確認して舞台へ向かう。
クライマックス。リーガンは引き金を引く。
驚きのあと、客席はスタンディングオベーションに包まれる。皆が立ち上がり拍手するなか、しばらく座ったままだったタビサがひとり出口へ向かう──
リーガンの超能力(テレキネシス)は本物か否か
最初にこの映画を見終わった時点での私の解釈は
幻聴・幻覚とは別で、リーガンは実際にテレキネシスが使える
というものでした。
楽屋を念力でめちゃめちゃにしているときにジェイクが入ってきた場面で、ジェイクが見たのは部屋にあるものを次から次へと摑んで壁に叩き付けているリーガンの姿でしたので、本当は念力ではなく手で投げていたことが判ります。
また公演初日の朝にNYの街を飛び回って劇場にやってきた場面でも、彼のあとをタクシーの運転手が料金を受け取ろうと追いかけていったことから、実際にはタクシーに乗ってブロードウェイまでやってきたことが明らかになりました。
ですがジェイクが楽屋に入ってきたときのように、誰かが見ているときはテレキネシスを使わず(または使えず)誰も見ていないときだけ、その能力を発動させているという解釈もできないわけではありません。
以前からラルフのことを「あまりに大根すぎて何とかしたい」と考えていたリーガンが、稽古の最中に彼の頭上を意味ありげに見やったすぐ後に、ラルフの頭の上に都合良く物が落ちてくる──というのも、あまりに出来過ぎた話で説明がつきません。
そして何と言ってもあのラストシーンですから、リーガンに囁いていた「バードマン」の声(と姿)は幻影・妄想だったとしても、とりあえずテレキネシスに関しては本物だったのではないか…そう考えたとしても決して不思議ではないかと。「荒唐無稽だ」なんてツッコミを映画の中の世界に入れるのは野暮というものですし…
そんなすごい能力を持っているにも関わらず、このリーガンという男は俳優としての成功と承認欲求をひたすら欲し、それがないことに焦り苛立っている……というところが皮肉だなぁ、と私は解釈していました。
と思ったら世間的にはどうやら「そんな能力あるはずねーだろw」というのがノーマル(たぶん)のようで……まったく、野暮な世界です(笑)。
彼につきまとう「バードマン」と同様に、そのテレキネシスも彼が演じた「バードマン」が持っている能力(という設定)なだけ、というものです。
もちろんいわゆる世間一般の常識に則って普通の見方をすれば、それが正しい解釈となるだろうというのは解ります。
でもそうなるとあのラストシーンは結局どうなったと解釈すればいいのでしょうか。
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