【ビフォア三部作】映画『ビフォア・サンセット』──熱望していた続編が完璧だったという喜び

ENTERTAINMENT
スポンサーリンク

スポンサーリンク

ストーリーや展開面でみた前作との比較

 『ビフォア・サンライズ』は、ユーロトレインの車内で知り合った旅行中の若きアメリカ人新聞記者ジェシーと、ブダペストにいる祖母のお見舞いからパリへ戻る途中のソルボンヌ大学へ通う女子大生セリーヌが、一緒にウィーンで途中下車し、翌朝までの一日を街を歩きながら一緒に過ごす──という物語。

 フィーリングが合うふたりはそこで沢山の会話を重ねることで、お互いを知り距離を詰めてゆき、恋に落ちたのでした。別れのとき、半年後にここでまた会う約束をしてふたりは別れ、映画は終わります。

 半年後にどうなったのかは分からないまま…。

 また「ふたりは結局その夜セックスしたのか、それともただ一緒に朝を迎え、そして別れたのか」ということも当時議論になりましたが、それも明らかにはならないままでした。セリーヌがワンピースの下に着ていたカットソーが翌朝にはなかったことが気になりつつ……。

 

 それから9年後。小説家になったジェシーは、そのウィーンでの一日を書いた小説のプロモーションのためにパリの有名書店“シェイクスピア・アンド・カンパニー”を訪れると、そこにセリーヌが現れる。

 あの夜ふたりは誓いを破ってセックスしたのか、そして半年後にふたりは会うことが出来たのか──といった、長い間皆が知りたかったことが9年ぶりに再会したふたりから溢れ出る会話によって判明するとともに、その後のお互いの人生がどんなものであったのか、今は幸せでいるのかなどが語られてゆく。

 9年前はお互いに若くお金もなかったため、ふたりが一緒に過ごせる時間は翌朝までの14時間しかなかった。そして今回はジェシーが飛行機に乗ってパリを離れるまでの、たったの85分しかふたりには時間がない。もちろん今のジェシーにはそれをキャンセルするお金くらいあるのだが、今のジェシーとセリーヌのそれぞれの立場や、大人であることの分別がそれをさせない…。

 

 長い会話のやり取りの末、お互いの今の状況と気持ちを確認し合ったふたりはどうするのか──前作とは異なるクライマックスへと物語は進んでいくのでした。

 

当時のチラシ(裏)
スキャンによるモアレが酷くて恐縮です

オープニングのカットについて

 オープニングの、主人公たちがいないパリの様々な風景がパン・パンと次々切り替わって映し出されていくあのカット、私は劇場でこれに気付いたときに声を上げたいくらいにテンションが上がりました(笑)。

 これは前作『ビフォア・サンライズ』で、主人公たちが別れたあとの「ふたりがウィーンでの14時間の間に訪れた様々な場所」の現在の様子を、切ない余韻とともに映し出していく印象的なカットと同じ手法です。今作ではそれが逆になっていて「これから」ふたりが一緒に過ごす様々な場所として最初に映し出しているというわけです。10年待たされて、最初のカットがこれですよ。そりゃテンション上がらないはずがないです。。。

 

再会の場面の巧さ

 書店でのイベントで作品についてジェシーが語る場面で、たびたび前作の映像が差し込まれるのも見ている側からすると嬉しいところでした。

 こういうのって同じ監督・同じ役者で作られる続編じゃなければ出来ない演出ですから、当たり前のようで実は有り難いことですよね。(今年最初に劇場で観た映画が『ドラゴン・タトゥーの女』の続編『蜘蛛の巣を払う女』だったので余計にそう思います 笑)

 

【PR】映画『蜘蛛の巣を払う女』──オープンソース化したリスベット【ネタバレなしの感想】
...

 

 また続編について聞かれたときの回答で「ポップソングが1曲流れている間に起きる物語」というのも、2回目に見ると思わず「ふふっ」となるところだったりしますね。

 そして話の最中、またも前作の映像がジェシーの回想として映し出された直後、なんの前触れもなければ「来るぞ来るぞ~」的な演出(例えば歩いてくる足やバックショットが映るとか)も全くなく、他のイベント参加者を捉えるのと同じような自然さで画面にいきなり現れるセリーヌ。もう本当巧いですよねー、こういうの。ジェシーじゃなくても「えっ!?」となりますわ(笑)。

 ようやく再会して言葉を交わすも、ともに余裕ぶった大人な振る舞いで「コーヒーでもどう?」とか「でももう発つんでしょ?」などと大したことでもないように話すふたり。ですが出かける前、運転手のフィリップが名刺を探してポケットをまさぐっている間のジェシーのソワソワっぷりから、本当はそんな軽い再会ではないことがわかります。

 

comment

タイトルとURLをコピーしました