前回(半年近く前だけど)90年代後半に登場し、第一回フジロックフェスティバルにも出演したバンド、サード・アイ・ブラインドのボーカルであるスティーブン・ジェンキンスを取り上げてどのMBTIなのか検証?していきましたが、今回はバンドや人ではなく曲についてです。
去年だったか一昨年だったかに、様々なアーティストの曲をカバーしているイギリス人の女の子のYouTube動画を見つけてよく視聴していたんですが(最後のほうに貼っておきます)、その中でとくに良かったカバー3曲のうちのひとつが今回取り上げるアメリカ・サンタバーバラ出身のバンド、Dishwalla(ディッシュワラ)の『Counting Blue Cars』でした。
このDishwallaは他にもヒットした曲はあったものの、この曲だけが突出していたのでどちらかといえば一発屋的な立ち位置のバンドと言えるでしょう。
とはいえバンドは一度活動休止するものの後に再結成し、現在も活動しています。
なおこの曲を書いたボーカルのJ.R.リチャーズはバンドから離れソロで活動中。たしか家族の事情か何かで遠く(イギリスだったかも)に離れてしまうから再結成に加われなかったのが理由とかだったような…もしかしたら他のバンドの情報とごっちゃになってるかもしれないので間違っていたらすみません、ということで。
とにかく、Dishwallaの代表曲といえばこの『Counting Blue Cars』であり、90年代前半のアメリカ・オルタナティブロックを代表する曲のひとつとして現在でも高い人気を誇っている名曲です。
あるテーマを含んだ90年代中頃の2つのヒット曲
この『Counting Blue Cars』がリリースされる数ヶ月前、同じく一発屋的なヒット曲とされるジョーン・オズボーンの『One Of Us』がリリースされています。
ジョーン・オズボーンの『One Of Us』とDishwallaの『Counting Blue Cars』には歌詞に関して共通する部分があり、また私が勝手に「例のデータベースサイト」と呼んでいるPdbにてどちらの曲もINFJ判定されていることから
どういうところが「INFJっぽい」とみなされているのか
という視点で見てみるのもMBTI好きの(とくにNFタイプの)方々にとっては面白いかもしれません。
この2曲はともに神について誰かに問いかけていて、そしてそこに明確な答えはないように感じられます。まぁこういうのは「答えがないことが答え」なのかもしれませんが。
『One Of Us』ではサビでこのように歌っています。
神がもし私たちの仲間だったら?
私たちの一人のようなただのがさつな人間で、
家に帰るためにバスに乗っている見知らぬ人だったら?
ローマ・カトリックの家庭で育ったジョーン・オズボーンですが、幼少期を過ぎたあたりからは宗教から距離を置くようになったそうです。両親に司祭になりたいと告げるも、そこで「女性はカトリックの司祭にはなれない」ということを知ったことが影響しているのだとか。
そして大人になってから彼女は「仏教やキリスト教から影響を直接受けたスピリチュアルな人間」であると自認しているそうです。(英語版Wikipediaより)
この人についてこれ以上書いていくとそれだけで一記事出来てしまうのでやめますが、このように宗教やスピリチュアルに深い関心を持ち、曲の中でもその傾向が現れていて尚且つ深く掘り下げるが故に、神や精神世界について他の人は異なる視点からも考えて自分が納得できる答えを見つけようとするところが(ステレオタイプな見方ではありますが)INFJ判定される所以なのではないかと。
ベタといえばベタなんですが、実際INFJである私自身がまさにそういう人間であることから、まんざら間違ってもいないようにも思えるのですね。
『Counting Blue Cars』の歌詞
話をDishwallaに戻します。
『Counting Blue Cars』の歌詞を、所有している日本特別版のミニアルバム『Counting Blue Cars』内の対訳とDeepLその他で翻訳したものを照らし合わせ、さらにYouTubeの動画に英語でコメントしていた当時のリスナー達の解釈などの諸々を考慮しつつ意訳したのがこちらです。
あれは昼過ぎのことだった
子どもの影がどこまで伸びているかでそれがわかった
彼はある目的を持って歩いていた
スニーカーを履いて、あの通りを
彼はたくさんの質問をしていた
子どもたちがよくするように──
彼は言った
「神についてどう思うか 全て僕に教えて
僕はとても遠いのだろうか?」
あれは遅めの午後のことだった
歩いている途中で 太陽が雲の切れ間から現れた
僕らは青い車を数えた
道のひび割れを飛び越えて
そしていろんな質問をする
子どもたちがよくするように──
僕らは言った
「神についてどう思うか 全て僕に教えてくれないか
どうしても彼女に会って そして
何故僕らは僕らなのかを聞きたいから
これから彼女に会いに行くところだから
教えてくれないか 僕はとても遠いのだろうか」
寒くなってきたからペースを速めた
この場所では僕らの靴はうるさい音を立てている
僕らの服は汚れていて
横目で僕らを盗み見るたくさんの人たちとすれ違う
そしてたくさんの質問をする
子どもたちがよくするように──
「神についてどう思うか 全て僕に教えてくれないか
どうしても彼女に会って そして
何故僕らは僕らなのかを聞きたいから
これから彼女に会いに行くところだから
教えてくれないか 僕はとても遠いのだろうか
いま僕は遠くまで来てしまったんだろうか
いまの僕はとても遠いのだろうか そうなのかな?
神についてどう思うか 全て僕に教えてくれないか」
注釈:アルバムの歌詞カードでは1番と2番の出だしが
Must of been ~
となっていて、さらに動画のコメントに書かれていた歌詞でもこう記されているものもあるのですが、これは
Must have been ~
だと思うのでそのように訳しました。また「Must have been ~」は「~だったに違いない」という意味になるかと思いますが、そのまま日本語にしてしまうと歌詞の物語性とか叙情性が損なわれてしまいそうなので言い回しを変えました。ちなみにアルバムの和訳では1番も2番もともに
「けだるい午後のことだった」
と訳されています。当時のアメリカの雰囲気、空気感などがよく表れていてさすがだなぁと思いましたが、この部分についてはこのあと説明しますが歌詞の違い(midとlate)に結構重要な意味があるようなのでほぼ直訳としています。
この歌詞でおそらく最も話題になったのは
という点です。これについてアルバムのライナーノーツでは次のように書かれています。
「子どもの目を通して考えてみたんだ。子どもにとってみれば、神が常に白人男性の姿で表現されているのは変だと思うんじゃないかな。神が女性だっていいじゃないか。今の社会では男性上位主義が罷り通っている。でも男だからって女性を虐待したり、男らしさばかり崇拝したりしていてはいけないんだ。」(J.R.リチャーズ)
これもとても興味深くて魅かれるところですが、個人的にはもっと他の細かい部分にこの曲の歌詞の深さや面白さが見えてくるように感じたので、それについて次のページで解説していきます。
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