【人生というゲームの】自分の人生の決定権を他者に委ねない【ルールとルートをバグらせる】

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 ここからしばらく引用が続きます。なお文中の太字部分は本の中で実際に太字になっている箇所です。

 

 

 1952年、レスター・レヴェンソンという男性が重い病気に苦しんでいた。そして二度目の心臓発作を起こすと、もう助からないと医者にも見放され、家に帰って死を待つことになった。たとえ一歩でも歩いたら、それで終わりだ──医者からはそう警告されていた。

 この恐ろしい言葉を聞いたレヴェンソンは危機感を覚え、必死になって治療法を探した。伝統的な医学ではもう助からないようなので、それ以外の方法も調べていった。そして彼は答えを見つけた、「愛」だ。レヴェンソンもまた、私と同じような「生まれ変わる啓示」を経験し、愛がすべての問題を解決すると悟ったのだ。

 それから彼は、すべての人を愛し、すべてのものを愛するようになった。愛から生まれていないすべての思考と感情を手放した。その結果、病気は完全に治癒し、それから40年にわたって自分の発見したことを人々に教えてきた。彼の発見は、「セドナメソッド」と呼ばれている。

 恐怖から生まれたネガティブな症状は、すべての愛の力で治癒することができる──心の問題だけでなく、身体の問題も同じだ。愛から生まれた思考、信念、記憶は、心身のストレスを取り除くことができる。

アレクサンダー・ロイド博士著『潜在意識を変えれば、すべてうまくいく』より

 

 

 

 

 テリー・マクブライドは、22歳のとき、建設現場での作業中に椎間板ヘルニアになった。それから一年かけてカイロプラクティックに通ったり、整骨や筋弛緩剤を試したりもしたが、結局は整形外科医のアドバイスを受け入れ、脊椎固定術を受けることにした。

「医者にはこう言われました。まず二週間くらい入院して、家で二週間くらい安静にして、それから半年間は腰を固定する器具をつけて生活する。そうすれは腰は元通りに完治する」。マクブライドは、私が聴きに行った講演でこう言っていた。

 手術の二日後、マクブライドは急に高熱が出て危険な状態になり、急いで病院に送り返された。検査したところ、手術中に大腸菌に感染したらしいということがわかった。それから一年の間、体中に広がった感染を取り除くために八回も手術を行った。五回目の手術のときにワシントン大学病院に転院すると、本人の言葉を借りれば「セレブ」のような扱いを受けた。「彼らが見た中で最悪の骨髄炎だったからだ。いいサンプルがやってきたと思ったのだろう」とのことだ。

 さらに、手術を行うことになった前の晩、担当医のチームが、みな難しい顔をして病室にやってきた。レントゲン写真を撮った結果、感染しているのは脊椎だけではないことがわかったというのだ。骨盤や腹部、さらには両足も感染している。感染を完全に取り除くには、頭の先からつま先まで切開しなければならない。

 この手術をすれば、ほぼ間違いなく感染を取り除くことができる。しかしそれと同時に、ほぼ間違いなく右足を失うことになるだろう。

 さらに、医師はこう続けた。もし感染の状態が予想と同じくらい悪かったら、右足だけでなく左の足首から先も失うことになり、腸と膀胱も機能しなくなる。それに生殖機能を失うことになる可能性も高い。

「でも実際は、医者たちは間違っていたんだ」とマクブライド。

「他の人はどうだか知らないけど、私は幸せな男の子としてこの世に生まれ、自分のことが好きだった。でも、すぐに、偉い人たちは、私よりも私のことを知っているらしいことがわかってきた。学校での私を評価するのは先生で、運動の能力を評価するのはコーチだった。私は子供のころから、自分が誰かを知るには、他の人の意見を聞かなければならないと学んでいたんだ」

「たしかに手術で片足は失うかもしれない」と、マクブライドは続ける。

「でも、五体満足で手術を終えられる可能性はないと医者たちが主張するのを聞きながら、その場でこう決心したんだ。私が誰かを決めるのは私だけだ。他の誰にも決めさせない。どんなに立派な肩書を持っている人にも、自分の運命を決めさせたりはしない、と」

 あれはマクブライドの人生が変わった夜だった。スピリチュアルの知識があった彼は、自分の病室に集まった人たち(五人の医師のチーム、妻、そして二歳の娘)に向かって宣言した。宇宙は力で満ちていて、自分はその力を使って五体満足になってみせる。

 最初のうちは、みんな賛成した。「そうだ! その意気だ!! 夢をあきらめるな!」と。しかし、10回目の手術が終わるころになると、彼らは態度を変え、彼を優しく諭すようになった──現実を見なさい、エゴを捨てなさい、自分のことばかり考えてはいけません。

「私はただ、健康になり、娘を抱っこできるだけの強い腰を手に入れ、ビニール袋を持たずにトイレに行けるようになりたかっただけだ。それがエゴで、自分のことばかり考えていると言うんだよ」と彼は言う。

「それからこんなことまで言われるようになった。もしかしたら、私が完全な健康体になるのは、神様の計画に入っていないのかもしれないってね」

「私は敬虔なクリスチャンだが、18回も手術を受けさせられるいわれはないと思っている。四回か五回なら、たしかにそれぐらいの罪は犯したかもしれない。しかし18回は多すぎる」

 マクブライドは、病院の精神科医と話すように言われた。精神科医は彼に言った。

「いいかい、もう幻想を捨てなければいけないよ。きみはきっと、一人前の男になるには、二本の足で立ち、お父さんと同じように戦争で戦わなければならないと思っているのだろう。でも、そろそろ現実を受け入れなければならない。一生、車椅子の生活になることを受け入れなければならない」

 精神科医はマクブライドのカルテを取り出した。そこには、「テリー・マクブライドの問題は治癒不可能。障害が残り、永久に手術を繰り返すことになる」とはっきり書かれていた。

「でも、カルテと本当の私は違う存在です」とマクブライドは答えた。

「過去の自分は、今の自分とは違う。私の中には力がある。私はスピリチュアルの宇宙に住んでいて、スピリチュアルの法則が私を自由にしてくれるのです」

「もし本当に治るのなら、もうとっくに治っているとは思わないかね」と、精神科医は尋ねた。

 それでもマクブライドはあきらめなかった。それから11年の間に30回の大きな手術を受け、人工肛門をつけた。その間もずっと、完全な健康体になることが自分の運命だと信じていた。

 そしてついに、マクブライドは完全に健康な若い男性として病院を後にした。たいていの人は、それよりはるか前にとっくにあきらめていただろう。現在、彼は国中を回って自分の体験を語り、誰もが持っている偉大な力について教えている。

 マクブライドは言う。

「人間は生まれながらに自由なんだ。神の無限の力が私たちの信念を支えてくれる。自分は病気だ、自分は貧しいと信じることを選んだら、その通りになるだろう。しかし私たちは、健康、愛、喜び、平和を信じることもできる。神との一体感を取り戻し、大胆な一歩を踏み出して、自分の人生の中に入っていかなければならない。神はあなた自身だ。その真実を受け入れれば、あなたは自由になれる」

パム・グラウト著『こうして、思考は現実になる』より

 

 

 

 

 作家のミシェル・ロンゴ・オドンネルは、25歳のころは看護師をしていた。職場は、当時はまだ全国でも珍しい存在だった小児科の集中治療室だ。

 夫はベトナム戦争に従軍した元海兵隊員で、二人の間には二歳の娘がいた。そしてミシェルは、そのとき二人目の子供を妊娠中だった。子供のころに病気で左側の腎臓を摘出していたので、右の腎臓に負担がかかりすぎるのを心配した医師から、陣痛促進剤を使うことをすすめられた。

 陣痛促進剤の点滴を始めてから24時間後、小さな紫色の赤ちゃんが生まれた。しかし、出産予定日の計算が間違っていたために、娘のララは七か月で生まれてしまった。極小未熟児で、体重は1100グラムしかない。そのとき赤ちゃんは、まったく動かず、声も出していなかった。

 赤ちゃんはヒアリン膜症と診断された。これは呼吸器の病気で、息を吸い込めなかったり、肺を膨らませることができなかったりする。生まれて最初の夜に、赤ちゃんは五回も心肺停止の状態になった。人工呼吸器を使い、100パーセントの酸素を肺に直接送っていたのに、脳と腎臓に十分に酸素が行きわたらなかった。1970年当時、この状態になった赤ちゃんはほとんど助からなかった。

 しかし、翌朝になり、医師から治療を停止する許可を求められると、ミシェルの中からある声が聞こえた。「大丈夫、すべてはうまくいく」と、その声は言っていた。ミシェル自身、六年の経験のある看護師だったので、脳に酸素が行きわたらないと知能に障害が残るということはよくわかっていた。それでも、治療を続けることを要求したのだ。

「あれはまるで、自分の中に二人の人間がいるようだった。一人はすっかり取り乱している。極度に心配性のいつもの私だ。気分が悪くなるまでタバコを吸い、血液検査の結果を一時間おきに問い合わせる。娘のようすをそっと見に行くと、娘はいつも必死に腕を振り回していた。まるでもっとたくさんの空気を肺に入れようともがいているみたいに。

 でも、私の中にはもう一人の自分もいた。冷静で、落ち着いた私だ。量子確率論的に、『大丈夫、すべてはうまくいく』と確信していた」

 ララが生まれて二日後、夫は彼女のもとを去った。そして、ララが集中治療室を出ることができてからの二年間、ミシェルは自分と子供たちの人生を少しずつ積み上げていった。その間ずっと、ララの知能障害を受け入れたことは一度もなかった。絶対に問題ないと信じていた。ララの病気が完治するという希望を捨てなかった。

「ネガティブな事柄に支配されないのが大切だと信じていた。それが私たちの人生そのものになってはいけない。もちろん、それに対処しなければならないこともあるかもしれない。でも、それを自分のアイデンティティにしてしまってはいけない」と、ミシェルは言う。

 もちろん、問題が起こったら、それに対処しなければならない。でも、問題と自分を完全に同一視してしまうのは禁物だ。

 たとえどんな状況でも、あなたはそのままで完璧だ。問題のことばかり考えると、無意識のうちに問題に執着してしまう。問題が解決するという可能性の芽を摘んでしまうのだ。対処するべきものに対処することは大切なことだ。でも、問題のために神殿を建造し、祭り上げる必要はまったくない。

 ララが二歳になろうとしていたときのことだ。ミシェルはララをおんぶすると、いつものようにクラッカーを食べさせようとした。それまでに何度もやってきたことだ。ララはそれまで、周囲の出来事に何の反応も見せなかった。医者が言っていたように、ほとんど植物状態だった。でも、クラッカーを与えられた瞬間、ララは母親に向かって笑顔を見せ、手を伸ばしてクラッカーをつかむと、自分で口に入れたのだ。それ以来、ララは急速に回復した。そして成長すると弁護士になり、テキサス州の司法長官の下で働くようになった。

パム・グラウト著『こうして、思考は現実になる②』より

 

 

 

 

 シャーリーは六十五歳の女性ですが、百七十五人が亡くなった飛行機事故の生き残りです。彼女はいたる所を骨折し内蔵も傷つくという大けがをしました。座席ベルトで座席にしばりつけられたまま、飛行機の胴体から沼地に放り出されている所を発見されました。すぐに病院へ運ばれたシャーリーは華氏一〇六度という、普通ならば致命的な高さにまで熱があがりました。彼女の体はけいれんし始め、人事不省に陥りました。そして、呼吸と心臓の動きが停止しました。蘇生の努力は無駄かと思われましたが、医療チームはそれでもあきらめませんでした。

 この間、シャーリーは臨死体験をしました。彼女は自分の体から抜け出して浮かび上がって、白い鳩の群れと一緒になりました。鳩は彼女に遠くに見える美しい光の方へゆくように指示しました。すばらしい気分でした。光の方にゆきながら後ろを振り返ると、医者や看護婦が懸命に彼女の体を手当てしていました。彼女には自分の体のどの骨が折れているか、まるでレントゲン写真のようによく見えました。

 自分を招いている光の方に向き直ると、彼女は「鳥たちと話ができればいいのに」と思いました。

 この時、光の方向から声が聞こえてきました。静かでおだやかな声でした。そして、まだあなたの番ではない、と彼女に言いました。

「でも、私の体はぼろぼろです。あのひどい痛さに戻りたくありません」

 とシャーリーは文句を言いました。

 すると声は答えました。

「ここからメッセージを持ち帰ってください。そのメッセージは、平和は愛、愛は知恵というものです。このメッセージを伝えることによって、あなたは人々を助けることになるでしょう」

 シャーリーは自分の体の中に戻りました。医者たちはびっくりしました。心臓が停止し、自分で呼吸ができなくなってから、すでに十五分もたっていたのです。彼女は生き返ってから、例のメッセージをみんなに伝えました。家族は病室のまわりに「平和、愛、知恵」と書いたポスター紙を貼りました。

 医者が彼女は多分一生、動けないだろうと言った時、シャーリーはもう一度、あの声を聞きました。

「いいえ、私はそうはならないわ!」と彼女は抗議しました。

「三十分したら戻ってきて下さい。私が証明してみせますから」

 医者が行ってしまってから、彼女は目を閉じて臨死体験をした時に見た光を思い描きました。その時、彼女は声を聞いたのです。「いやしは内から始まる。内から外へ向かう」

 約束の時間に医者たちが戻ってくると、シャーリーは自分の体は内側からいやされてゆくと伝えました。そして、足を見ているようにと彼らに言いました。もう一度、彼女は目を閉じて光に気持ちを集中しました。シャーリーが足を動かすと、今まで疑っていた医者たちは本当にびっくりしました。それからシャーリーは、順調に回復してゆきました。

ブライアン・L・ワイス著『前世療法②』より

 

 

 

 

 たとえば、催眠術がいい例だ。催眠術をかけられた人は、たとえ氷をわたされても、「これは真っ赤に燃える炭だ」と言われれば、実際に手に火傷をする。または、たとえノート一冊でも、「これは重くて持ち上げられない」と言われれば、たった一冊のノートを机から持ち上げることができない。それに、たとえ何も食べていなくても、「あなたは今ビッグマックを食べた」と言われれば、血液検査で実際に食べたのと同じ結果が出る。

 マイケル・タルボットは、『投影された宇宙』(春秋社)という傑作の中で、トムという人物の話を紹介している。

 トムは催眠術をかけられ、目が覚めたら娘のローラが透明人間になっていると言われた。ローラはトムのすぐ目の前に立っていて、催眠術の儀式がおかしくてクスクス笑っていたのだが、トムには娘の姿が見えず、声も聞こえない。催眠術師はポケットから懐中時計を取り出すと、ローラの背中に押し当て、「私の持っているものが見えるか」とトムに尋ねた。トムは身を乗り出し、前に立っている娘の向こう側を透視するように見た。そして、催眠術師が持っているのは懐中時計だとわかっただけでなく、時計に掘られている刻印まで読むことができたのだ。

 こういう話を聞くと、確固とした現実というものに対する信念がぐらぐらとゆらいでくる。そして、私たちが見るものや、経験するものは、もしかしたら私たちの決断が集まってできているのかもしれないという考えにもつながっていく──言ってみれば私たちは、集団で催眠術にかかっているようなものだ。

パム・グラウト著『こうして、思考は現実になる②』より

 

 

 冒頭に書いた「科学的根拠」「その分野のエキスパートによる見解」「一般論」「世間の常識」「過去の経験・データ」といったものは、この世界が秩序ある状態として成り立つために必要な共通ルールみたいなもので、それらは必ずしも絶対的で完全無欠なものではないのだろうと思います。そうじゃなければこれらのことは辻褄が合いません。

 上記の例のほかにも、下敷きになった我が子を助けるために母親が車を持ち上げたなんていう事例もありますし(もちろん完全に持ち上げたということではなく子どもを助けるのに必要な分だけ持ち上げたということ)、私の同級生の女性もそれと似たような経験をしたことがあるそうです。

 

 母親は我が子を守るためなら普段は絶対出来ないようなことも文字通り命がけでやります。

 

 つまり潜在的にそういう奇跡を起こせる能力を人はもともと持っている、ということ──

 

 みんなが当たり前だと思っていることや認めていることがこの世界の(一応の)ルールとなってはいるけども、そのルールから外れることは可能だし、引用した実例のようなことが実際に起きています。

 <過去に起きたこと+現在の状況>と<未来に起きること>の間には実は因果関係はなく、全ては今この瞬間の決断で決まり、そしてその決断の連続が未来という「その時点での“今”」となる──のだとしたら、上記のような実例は辻褄が合います。

 

 

 こう考えると量子力学だとか引き寄せの法則などで散々言われている

 

人は心から信じている通りの人間になる

 

本当にそうなると確信していることが現実になる

 

 という理論も信じられるようになってきます。たとえ自分がまだそれをうまく実践できていないとしても。

 それと同時にイーロン・マスクやニック・ボストロムなどが言っている「私たちはシミュレーションの中に生きている」という説も信憑性が増してくるように感じられます。まさに映画『マトリックス』のような世界ですね。

 個人的には「この世界は仮想現実である」という説は今のところ半分信じています。残りの半分も「信じていない」のではなく「分からない(=真実はそれ以外の、より想像を超えるものなのかもしれない)」という感じです。

 ゲームの中のキャラクターは自分がプログラムによって作られたゲームキャラクターだと知ることはありませんし、自分を含めたそのプログラムが誰によって作ったのかも知りません。というかそういう考えに至ることすらないでしょう。そんなゲームの世界が究極に進化した空間がこの世界なのかもしれません。

 

 

 「科学的根拠」「その分野のエキスパートによる見解」「一般論」「世間の常識」「過去の経験・データ」などがこの世界というゲームを成立させるためのルールなのだとしたら、このゲームの中のバグに気付き、ルールから外れるキャラクターが出てきたとしても不思議ではないように思うのですが、どうでしょうか。気付いてルールを突破した人もいれば、意図せずできたという人もいるのではないでしょうか。

 とにかく、世の中の常識とか根拠よりも自分の可能性のほうを信じたいと思えたのなら、その感覚こそを信じるのがよいかと思います。

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