良かった部分も
派手さはありませんが、ジェイムズが歌う歌や映画の中で使われている曲はどれもいい感じです。
映画の中でもうちょっと音楽を大事に扱ってくれたらまた違った印象になったんじゃないかなぁと思うのですが、アン・ハサウェイ映画の添え物程度の扱いだったのが残念なところです。
逆に言うと“The アン・ハサウェイ映画”としていかに彼女が魅力的に見えるかに重点を置いた撮り方が多用されていますので、「とにかくアン・ハサウェイが好き」という人にとっては今作でも彼女の美しさやスタイルの良さなどを(ショートヘアでカジュアルな服装が多いにも関わらず)十分に堪能できることでしょう。顔の小ささは今さら言うことでもありませんが、やっぱり足が長くてスラッとしてて、どんな格好も様になるんですよねぇ。
かたやジェイムズのほうは服装が全然洗練されてなくてスーツ姿もまるでイケてないという点からも、この映画は美男美女のラブストーリーにするつもりはないんだろうなという感じが伝わってきます(笑)。
「私が奇麗ならそれでいいのよ!」
みたいな。いや知りませんけど(笑)。
また、街の魅力をよく描いているとはとても言えないものの、それでもやはりNYという街は絵になるというか、見ていてワクワクするような何かを感じさせてくれます。
フラニーのような「NYは地元」という人の目線ではなくて、ジェイムズのように「異邦人(よくNYはアメリカではなく「NY」というひとつの国だ──と言われるのであえてこの表現に)」としてここにやってきた人の目線で見ると、よりその魅力が伝わりそうなんですけどね。まぁ田舎暮らしという生活を選んだジェイムズにとってNYが居心地のいい場所なのかというと話は別ですが…。
それと弟ヘンリーの友人が見舞いにきたときに置いていったのが「左手を挙げた招き猫の置物」でしたが、招き猫は右手を挙げているものは金運を招き、左手を挙げているものは人(客)を招くとされている(Wikipediaより)という点からも、あの長髪の友人はなかなかいい物を置いていったなと思いました。この左右の手による違いを製作陣が知っていたかはもちろん私が知るとことではありません(笑)。
主演のアン・ハサウェイについて
主演のアン・ハサウェイは『プラダを着た悪魔』や『マイ・インターン』などのニューヨークを舞台(さらに言えばゴッサム・シティもある意味NYだから『ダークナイト・ライジング』も?)とした人気作への出演のほか、自身もブルックリン出身。今作では製作にも名を連ねているので本人の意向もだいぶ汲まれていることと思いますが、地元すぎて逆に今さら…という感じなのか、街の様子があまり印象的には描かれていませんでした。病室や自宅といった室内の場面がかなり多くてブルックリン感がさほど出ていないのも邦題詐欺と言われる(誰も言ってないか…)理由のひとつなのかも(笑)。
それでいて、クライマックスのあたりでモニター越しにジェイムズの新曲を聴くところでの、ドヤ感満載の正面からのキメ顔などはしっかりきっちり撮られているところはさすがです。つーかアップが多いw
本国では一時期(今もそうなのかは知りませんが)やたらと嫌われてたアン・ハサウェイですが、もしかしたらこういうドヤった(ように見える)演技が一部の人たちにとっては鼻につくのでしょうか(笑)。あのルックスだから主張が強く見えてイラつかせてしまうのかもしれませんが、まぁ要はやっかみなんでしょうね。
ちなみにアン・ハサウェイは2012年の『レ・ミゼラブル』での役のために髪を思いっきし切ったため、その後の『インターステラー』と今作では短髪となっています。そのあとの『マイ・インターン』でセミロングまで伸び、さらに翌年の『シンクロナイズドモンスター』ではすっかりロングヘアに戻っていました。
フラニーの母親・カレン役の人といえば
主人公フラニーの母親・カレン役を演じたメアリー・スティーンバージェンは『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』でドクの奥さんとなるクララ役の人。特徴のある顔で「あぁ、あの人だ」すぐにと分かりますね。
それ以外の映画で見た記憶がないので他にこれといった印象がなかったのですが『時計じかけのオレンジ』の主人公アレックス役、そして2000年代後半にヒットしたドラマ『HEROES』などでもおなじみのマルコム・マクダウェルと結婚していたことがあるとWikipediaに書いてあって「へぇ〜」と思いました。(10年で離婚し、その後はお互いに再婚したとのこと)
さらに、これは本当にどうでもいいところではありますが、カレンもフラニーも煙草を吸う場面がだいたい空吹かしなのできっとふたりとも実際には喫煙者ではないんだろうなと勝手に思いながら見てました(笑)。
エンディングについて
はっきりとした結末にはせず、あのあとふたりがどうなったのかは見る側の判断に委ねるというエンディングは昔からよくありますが、今作もそのような終わり方となっています。
決定的なすれ違いや仲違い、その他どうしても一緒になれない外的要因など、これといった「ハッピーエンドにならない理由」が存在しないので、このあと遠距離恋愛として関係が続いていくことになるのか、それとも最初のほうでも書いたように
「この数日間のことはお互いの素敵な思い出にして、それぞれの場所で生きていきましょう」
という前向きな別れとなるのか、どちらにも解釈できそうです。
もし何かヒントとなるようなものがあるとするならば、最後にお互いが聞いていた歌にあるのではないでしょうか。
いつかふたりが即興で作った歌を録音していて、それをCDに焼いてジェイムズの車のフロントガラスに置いて帰っていったフラニー。その歌を自身もフィラデルフィアからの列車の中で聴いていました。
エンパイア・ステート・ビルの屋上なんか絶対イヤだ
僕は高所恐怖症だから
残念ね いい景色なのに
この先ふたりがまた会うことがあるのかどうかはさておき、やはりこのエンディングは
ふたりはそれぞれ自分が生きる場所に戻っていく──
ということになったのだろうと、個人的に解釈しました。
若いって素晴らしいなぁ〜
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