Netflixで配信されている『ミッドサマー』および『ミッドサマー ディレクターズカット版』。
ずっとマイリストに入れたままでしたが、ディレクターズカット版のほうをようやく鑑賞。
映画館で予告を見たときから気になっていた作品だったのですが、こういう映画はある程度心の準備が必要になるので(気が滅入るから)しばらく見れずにいました。
で、見終わったあとの第一印象としましては、
巷であれほど絶賛(いろんな意味で)されていたのでかなり期待してたんだけど、それを越えてくるほどではなかったような???
というものでした。自分の場合、見るタイミングが遅れてしまうとこういうことがよく起こります。さぞかしすごいんだろう、と思って勝手に期待値を上げ過ぎてしまうのでしょう。
また予告編やチラシなどで仕入れていた前情報から『ウィッカーマン』との類似性が予想されましたが、思った以上に似ている部分が多く、その辺でも期待値を越えてこなかったように思われて正直むむむ…という感じでした。
ですが同時に「まぁでも間違いなく見落としてることが沢山あるんだろうな…」というのも感覚的に分かりました。そんな単純な映画じゃないはず、この気持ち悪さ、そして何ともいえない不安感に襲われるのには理由があるはず…と。。。
ということで今回は2回目を見る前に、海外のYouTube動画でそういった隠し要素や種明かし的なものを解説しているものを2つ3つ見て、それを元ネタにして書きました。自分で気付いた箇所ももちろんありますが、動画で語られていることや動画のコメント欄にあったものを読んで確認していくうちに芋づる式に分かってきたことが大部分ですので、ここで書いていることの多くは私の洞察力によるものではありません(笑)。
また何度もいろんなところで書いていますが、私が情報元として使わせてもらっているのは公式サイトやWikipedia、そして海外のレビューや動画(つまり外国語によるもの)などで、日本語によるレビューや考察などは見ないで書いております。
その理由は他の人が(日本語で)世に出した考察やレビューを見たり読んだりしてしまうと、無意識にでもそれをパクってしまう怖れというか、自分が見付けたことや気付いたことじゃないのに自分の意見として発表してしまうことがあるかもしれないからです。そこだけは気をつけなきゃいけないな、と。
ですので自分の考察や解釈が変だったりすることがあるかもしれませんが、それも個人の考え・意見ということで読んでいただければと思います。
そんなわけで今回参考にさせていただいた海外の動画のうちのひとつがこちらです。日本語字幕がついていますしコメント欄も含めて参考になるので面白いですよ。
他にあと1つか2つ貼ろうと思ったのですが、サムネが気持ち悪いのでやめました(笑)。
北欧で不気味な怖さを抱く国といえば……
映画とは関係ない話になるのでこれは最後に書きますが、私のような昭和のおっさん世代(の一部の人たち)にとって、
私たち日本人には考えられない異様な風習を持つ北欧の人たち
というと、スウェーデンではなくノルウェーを思い浮かべる、という人が一定数います。
この刷り込みが抜けないまま、今でもノルウェーという国に他のスカンジナビア諸国になはい、何か不気味で陰鬱なイメージを抱き続けているおっさんが(私も含めてw)世の中に結構いるのです。たぶん(笑)。
前フリが長くなったのでそれでは本題に。
見ていて不安になるのはなぜか
ストーリー展開自体はある程度予想通りといった感じだったのですが、それでも妙なザワザワ感とでも言いますか、見ていてとにかく落ち着きがなくなり不安感が高まるのは、単に得体の知れないカルト集団の異様な儀式を見せられているからだけではなさそう……というのは何となく分かります。この気持ち悪さ、心の落ち着かなさはなんなんだ、と。。。
ホラー映画といえばやはり闇。
暗い空間で周りの状況がよく把握できない中で起こる惨劇、自分を狙っている相手がどこから出てくるのか分からない恐怖感と、何も見えないという不安が怖さを助長します。
そんなふうに闇が恐怖を支配する一般的なホラー映画の舞台では、光や明るさというものは救いとなり安心感をもたらすものとなりますが、今作では全く違いました。
何事も行き過ぎるとマイナスに働いてしまうものなのか、光や明るさ「だけ」の空間──どこまでも明るい闇のない空間というものもまた人を不安にさせるのかもしれません。
北欧の冬は日照時間がとても短く、北極圏のほうまでいくと冬至の季節にはほんのわずかな時間しか太陽が顔を出さなくなるといいます。
それに対して夏至の季節は太陽が沈む時間がかなり短く、一日の大部分が明るいという日が続くという、夏至でも19時台には日が沈む日本に住んでいる私たちにはなかなか想像がつかない世界です。
私は以前、5月の下旬にスウェーデンとフィンランドに旅行で行ったことがあるのですが、そのときも夜11時くらいまで日が沈みませんでした。旅行で行く分にはあれはかなりテンションの上がる素晴らしいものでしたが、一年の間に日照時間が極端に増減するというのも自律神経のバランスが崩れそうでなかなか大変そうに思われます。
そういう極端な環境で受け継がれてきた土着の風習をこの映画の中で私たちは見せつけられるわけですが、とにかく「ずっと明るい」ということに段々と居心地が悪くなって不安感を覚えてきます。
色とりどりの花や清潔そうな真っ白い民族衣装、晴れ渡った青空、生命力に溢れた緑の風景など、本来ならばポジティブなイメージを受けるそれらの要素が、カルト集団(と私たちの目には映る)のコミューンの中では逆に怖さを煽るものとして映ってきます。
また、先ほど貼った動画内の以下のコメントを読んで見直しているうちに気付いたことがありました。
私のお気に入りのディテールは、ほぼすべてのショットで、中央に三角形があり、一度見つけると見逃すことができません。時々、とても不気味になります……。
たしかに三角形が気になる場面はちらほらあったのは気付いていました。車で道路を走っているときに画面が上下逆さまになるところや、ホルガの広場のゲートが三角形の中に日光を表す放射状の線+丸という、もろにプロビデンスの目のような形をしていたり、三角小屋であったり食事や儀式の際の人々の並び方など(これはルーン文字の形だったりもしますが)は見て気付いていましたが、このコメントを読んで改めて見てみると、そういった物体そのものの三角形のみならず画面の中の構図が三角形になっているものがたしかに多いことが分かりました。
そしてそれに注目しながら見ていったところ、この映画を見ていてとにかくやたら不安になる大きな要因のひとつが何なのかに気付いたのでした。
それは、この映画の撮り方の特徴として
被写体を画面の中央に置き、真正面から撮る
という手法が執拗に使われている──ということです。
一般的な映画の視点、映画の撮り方では、この作品のような
被写体をド真ん中に固定させ、真正面に置いたカメラのズームイン、ズームアウトで動きをつける──
といった手法を最初から最後まで通して用いることはあまりしないと思われます。
被写体や関係する人などの心の動きなどを表現するために角度にこだわったり、その空間の状況を把握させるために奥行きが出るような撮り方をして、被写体を画面の中央から左右どちらかに寄せたりすることのほうが多いでしょうし、被写体が画面の中央にあってもカメラが横移動や円を描くような動きをしたりするなど、視点に自由さがあり窮屈さを感じることはほとんどありません。
例えば小津安二郎の映画のように正面から撮って被写体がカメラを見て喋る、というようなカットもありますが、あれも多くの場合被写体は左右どちらかに寄っていることで何というか「視線の逃げ道」みたいなものが設けられているように思いまし、真ん中のときもズームイン・ズームアウトなどはせず、あくまで「セリフを喋る人に焦点を当てる目的」でああいうカットにしているように見えます。(違っていたらすみません)
しかしこの映画では、多くの場面でド真ん中に人物を置いて執拗に真正面から撮っています。まるで見ている私たちがそこから一歩も動けない囚われの身であるかのような固定された視点……。
白夜の季節の「逃げ場のない明るさ」に、それを捉えるカメラの「逃げ場を与えない視線」も加わって、いい知れぬ緊張感と不安感に覆われているように感じられたのでした。
本当に不思議なもので、この撮り方をずっと見せられ続けるとすごく落ち着かなくなるんですよね。ぜひそこに注目してもう一度見てみてください。(トップの画像も含めて、ここまで貼った画像も道路のやつ以外は全てこのパターンです。どうでしょう……不安になりませんか?)
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