映画『ラッキー』──すべてのものは、いつかなくなる【日本人としての意見も】

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 今回取り上げる映画『Lucky』は、日本では2018年に公開された作品。

 

 サボテンが生い茂る乾いた土地を、一匹のリクガメが右から左へとゆっくり歩いてゆくオープニングから始まり、同じ場所を今度は左から右へとリクガメが歩いてゆくエンディングで締めくくられるこの映画は、『パリ、テキサス』『レポマン』などで知られるハリー・ディーン・スタントンが主演の、穏やかでじんわりと心に染み入る優しさを携えた、人生や死というものについて考えさせられる良作。

 実年齢でも当時90歳あたりだったと思われるハリー・ディーン・スタントンの遺作となったこの映画ですが、背筋もまっすぐ伸びており、何気に年配の方にはきつい運動のように見える毎朝のルーティンであるヨガも実にきびきび行なっていたりして、本国アメリカでの公開直前に亡くなってしまったのが信じられないような、元気な姿を見せています。

 また映画『ツイン・ピークス ローラ・パーマー最後の7日間』に引き続き、今作と同じ2017年に放送されたドラマ『ツイン・ピークス The Return』にも出演していました。最後の登場シーンは非常に胸の痛む場面でしたが…

 

 そんなハリー・ディーン・スタントン自身にも重なる、ひとりの老人“ラッキー”の人生の晩年を描いたこの作品は、登場人物の台詞の端々に深く考えさせられる名言や金言が散りばめられていて、また主人公ラッキーと彼に関わる人たちとの「近からず遠からず」といった絶妙の距離感による温かい交流が、何とも優しい気持ちにさせてくれる、実にいい映画でした。

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あらすじ

 カリフォルニア州ピルーにある小さな砂漠の町に一人で暮らしている90歳の老人“ラッキー”。

 朝目覚めるとまず煙草に火をつけ、ラジオのスイッチを入れてベッドから起き上がる。

 身体を拭き歯を磨き、ヒゲを剃って櫛で髪を整えたあとは、毎朝のルーティンであるヨガをこなす。

 冷蔵庫の中には牛乳しか入っておらず、すぐに飲めるようにコップに注いだ状態で冷やしてある。そのコップと牛乳パックを取り出し、飲み干したコップに牛乳を補充してまた冷蔵庫に戻す。

 服を着て、なじみのダイナーでクロスワードを解きながらコーヒーを飲み、その後はいつもの店で牛乳と煙草を買って帰る。ダイナーの人たちもお店の女主人も、すれ違う車の運転手ともいつも通りに挨拶を交わすラッキー。

 午後は家でテレビを見て、夜になるとエレインのバーでブラッディ・マリーならぬ“ブラッディ・マリア”を飲む──という日々を送っている。

 

 ある日、家で突然倒れたラッキーは病院で検査を受けるも、原因は病気ではなく年齢によるものであることを告げられる。1日に煙草を1箱吸うラッキーが病気もなく肺もきれいで健康なのが不思議なくらいだが、彼は90歳なのだ。

 このことをきっかけに人生の終わりを意識することとなった無神論者のラッキーは、自身のこれまでの人生、そしてというものについて考えるようになる──

名言・金言の数々

 90歳の無神論者ラッキーと、周りの人々との間に交わされる言葉のなかには、深く考えさせられるものがいくつもありました。

「現実主義は“物”である」

 エレインの店でいつものように“ブラッディ・マリア”を飲んでいるラッキーが、バーテンのヴィンセントに語った言葉です。
 昼間のクロスワードに出てきた単語の話ですが、いきなりこう言われても、分かるような分からないような…

 

 「どういう意味だい?」と聞き返すヴィンセントに対し

 

「状況をありのまま受け入れる姿勢や行動と、ありのままの状況に対処する心構え」

 

 とラッキーは答えます。そして

 

「目に見えていることが現実ってこと?」

 

 というヴィンセントの問いにこう答えたのでした。

 

「だがお前の現実と俺のは違う」

 

 スピリチュアル方面について、もしくは宗教的な分野について全く興味がなかったり知識がなかったりすると、この辺の話は

 

「何を言ってるのかさっぱり」

 

 または

 

「何を当たり前のことを…」

 

 と感じるかもしれません。またスピ系にハマっている方でも、解釈を間違えそうな言葉でもあります。

 私も最初この「現実主義」という言葉を「物質主義」と混同してしまったため「ん!?」と思いました。

 

 

 物やお金、食べ物・飲み物などの衣食住に関わる物質的なものごとを第一とする考え方が「物質主義」であり、「現実主義」とはラッキーの言葉にもあるように

 

起きている目の前の状況を、それが良いこととか悪いこととかの解釈をせず、ありのまま受け入れて対処する

 

 ということなのだろうと思われます。

 この「良いこととか悪いこととかの解釈をせず」という考え方は、仏教的な考え方でもありますし、スピリチュアル的思想では基本ともいうべきもの。
 それが良いことか悪いことかを「ジャッジする」という二元論的思考から離れ、ただ

 

「目の前に置かれたありのままの状況」を受け入れる──

 

 というものです。

 これは日本にも古来から伝わっていて、そして誰でも知っているあの「対極図」の本質とも繋がるものであると考えられます。

 白と黒の勾玉が上下(もしくは左右)逆にぴたりと重なって円になっている、風水関連とかでよく見かけるあの図のことです。

 

 陰と陽、白と黒、光と闇、善と悪、といった相反するふたつのものは、常に表裏一体で、そして常に巡り流れているものです。

 さらに陰の中にある陽の○、陽の中にある陰の●は、そこを通って裏側へ抜け、反対の面へ繋がっているという、立体的な構造となっていて切れ目なく∞に流れていることを表します。

 

「陰が極まれば陽となり、陽が極まると陰になる」

 

 という意味を持っていますので、この「隠の中の陽=○」と「陽の中の隠=●」がなければ対極図としての本当の意味を為しませんつまり「この世の、そして宇宙の真理を正しく表していない」ということです。

 また「八卦」というものについても合わせて書きたいところですが、それは省略します。どちらにしてもこういったものには

 

全て然るべき形と、それに対応する意味がある

 

 ということです。

 

 そしてヴィンセントが聞き返した「目に見えていることが現実ってこと?」という問いに対してのラッキーの回答、

 

「だがお前の現実と俺のは違う」

 

 これもこの世の真理のひとつですよね。

 同じ状況・同じ場面に遭遇しても、それをどう受け取めるかによって現実は人それぞれで全く変わってきます。

 言い方を変えれば、“現実”というものはそれほど定義が曖昧なものである──ということです。

 

 ところで同じ日のバーでのシーンで、ラッキーはこのようにも言っていました。

 

「魂なんてものはない」

 

 これはラッッキーが死というものを意識するようになる前の、無神論者そのものであったときの台詞です。

 というか映画では「魂などというものは存在しない」というラッキーのこの考えに変化があったのかどうか、最後までその描写はありませんでした。

 そのかわり、魂の存在を信じず、いま存在している肉体と意識が「生きている」ということの全てだと考えているラッキーが、人生の終わりを意識することとなって初めて「死ぬことへの怖さ」を感じるようになり、その後ひとつの達観したような答えに到達するまでが描かれています。それはまた後ほどということで。

子どもの頃、マネシツグミに向けてBB銃を撃ったときのこと

 倒れた日の夜、ラッキーは友人へ電話し、子どもの頃の話をします。

 

子どもの頃、弾が真っすぐに飛ばないBB銃を持っていた

ある日、木や葉を撃っていたとき、木の梢にはマネシツグミがさえずっていた

ちょっと脅かしてやろうと狙いを定めて引き金を引くと、さえずりが止んだ

 

あれほど悲しかったことはない

 

 普段やかましいと思っていた声でも、それが聞こえなくなってしまうとこんなにも悲しく思うものなのか──というものでした。

 そんな子どもの頃の何てことのない出来事を90歳になった今も覚えていて、それが心にずっと残っている、ということが印象的です。

 

 自分の話を挟んでしまって恐縮ですが、私も少し似たような思い出をずっと忘れられずに持っています。

 私が小学生の頃は、秋になるとおびただしい数のトンボが学校の校庭や通学路を飛び交っていました。本当に今とは比べ物にならないくらいにたくさん飛んでいて、今思い出しても結構すごい光景でした。

 そんな状態ですので、この時期のトンボは捕まえるのも簡単で、愚かだった自分は友達と一緒にトンボのお尻に松の葉を刺してみたり、首チョンパなどといって指で首をはねたりしました。

 ラッキーの年齢の半分をちょっと過ぎたくらいに年をとった今でも、このことは心から後悔しています。

 というか人生でたくさん間違った選択や行動をしてきて、人を怒らせたり傷付けたりもしてきたはずですが、もしかしたら本当に心の底から後悔していることなんて、これ以外にはないかもしれません。おそらく(例えば害虫とされる虫を殺すときのように)それをするべき何らかの理由もなく、なおかつ故意に生き物の命を奪ったからでしょう。

 このことはたぶん死ぬまで忘れないと思います。

 

 ちなみに「マネシツグミ」という鳥は、スズメ目マネシツグミ科の鳥で中南米に生息するマネシツグミの仲間のうち、北米で繁殖する唯一の種とのこと。(Wikipediaより)

 そういえば……と、ちょっと気になったのですがドラマ『ツイン・ピークス』のオープニングに出てくるあの鳥も、もしかしてマネシツグミだったりする? なんて思って調べてみたら、あちらはどうやらムナオビツグミという鳥らしいです。こちらはスズメ目ツグミ科とのこと。

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