映画『ダイバージェントNEO』シリーズ②──そもそもジェニーンさんはなんでそう思ったのか?

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変わったなと感じる人と、全く変わってない人

 前作と比べて、まず一番変わったのは主人公のトリス。両親の死と、仲間のウィルを殺してしまったことへの罪悪感や辛さから思い切った断髪を行い、かなりのショートヘアとなりました。

 

いやいや自分で切ってそんな奇麗なショートカットになんか出来ねぇってw

 

 なんてツッコミを入れたくなりますが、そんなことを言っていたらキリがないのでそこは無視します(笑)。

 

 さらに前作では、痩せてもなく太ってもない適度なパツパツ感に若さと素朴さが表れていて、それがいい具合に「シリーズ第1作のヒロイン感」を醸し出していたのですが…時系列的にもあれからほとんど間が空いていないにも関わらず、鍛えて絞られた身体になったうえに髪型の違いも相まって「運命と戦う強い女性」といった印象に………でも…

 

 

(設定的には分かるけど)それだとただの女戦士って感じで美男美女カップルの要素がだいぶ薄れてるんですけど。。

 

 

 という、やや残念な変化となっていたように思えました。

 これもまた昨今の「女性に女性らしさを求める風潮をやめろ運動」を推進させて世の中をおかしい方向へ持っていこうとする支配層の策略による弊害でしょうか(笑)。

 

© 2013 Summit Entertainment
このパツパツな感じがよかったのに…

 

 逆にあまり変わっていないのはフォーとやケイレブ、クリスティーナやエリックあたりですが、この辺はキャラ的に変わりようがないので無難なところでしょう。それよりも変わらなさという点でいえば、清々しいほどにクズキャラを貫いているピーターの安定感には脱帽するしかありません(笑)。

 ラストでちょっといい奴になったっぽいので、次作ではついに味方になって一緒に戦うのか? という期待も出てきます。さてどうなるのでしょうか。

 

 さらに前作から続いての出演で、次作でも登場する味方側のキャラとしてマギー・Q演じるトーリがいますが、結局この人は派閥でいうと「勇敢」の人ってことでよいのでしょうかね。タトゥー屋?として「勇敢」のエリアにいたけども、適正診断テストを行ってたりするので一体何者なんだと…。弟が「異端者」として悲しい運命を辿ったことでこれ以上犠牲者を出さないようにと、あのポストに就こうと思ったのか……

 

 

少し気になるところ

 「無派閥」を率いているフォーの母・イブリンの情報によれば、

 

「勇敢」の仲間は「高潔」の本部に今も隠れている

 

 とのことでした。

 たしかに「高潔」の本部にはいたのだけれど、

 

 

ぜんぜん隠れてなかったw

外から丸見え状態で本部前に勢揃いw

 

 

 なんなんだよ(笑)。

 ジェニーンの取り締まりは前作の反省を踏まえて厳しくなったんだろうと思っていたけど、他派閥のお膝元では案外ユルいのね。。

 

 また「高潔」本部でのトリスの尋問シーンですが、そこでの告白によって分かった彼女の苦しみについては理解できるものの、

 

 

「ウィルが銃を向けてきたが、自分が先に撃った。私がウィルを殺した」

 

 

 と白状したトリスのことをクリスティーナが許せないでいる──という設定は「はぁ???」という感じでした。

 

 というのも、「勇敢」の人たちは警察としての役割を担う派閥で、犯罪を防ぐ側として銃も扱う人たちなので

 

 

相手が撃ってきてから反撃して初めて正当防衛と見なされる

 

 

 なんていう、どこかの国みたいなことを言っていたら自分の命が助からない立場なわけですよね。

 

 ましてや薬によって操られていたウィルが「仲間であるトリスを撃つことは決してない」なんて保証は限りなくゼロなわけで、そのことは同じように操られていたクリスティーナも身をもって知っているはず。

 そんなトリスの心の苦しみを理解するどころか完全に突き放すっていうのはちょっと不自然かなぁと。

 

 そもそも現実社会のアメリカではその辺どうなの?──いうことで考えてみても、

 

 

相手が自分に銃口を向けてきてこちらの忠告や懇願が全く耳に入っていない状態なので、身を守るためにやむなく発砲しました──

 

 

 という人を責めるというのは、銃社会の国アメリカでは色々と無理があるのでは?(撃つことを肯定しているとか、そういうことではなく)

 

もっと気になったところ

 それを突っ込んだら身も蓋もないだろ、と言われそうですが……

 

 

箱の中にどういった内容のメッセージが入っているのか全く分からないのに、なぜジェニーンさんは「これでダイバージェントを排除できる」と考えたのか?

 

 

 全くもって不明(笑)。アンタ「博学」のトップじゃないんかい!っていう。

 

 そんなわけでジェニーンの思惑とはまるで違う方向の内容だったメッセージは、とっくに滅亡していたと思われたフェンスの向こう側の人間からのもので、

 

 

ついに人々は「派閥」という内面的な壁と、フェンスという物質的な壁の両方を超えて、まだ見ぬ世界・派閥社会の向こう側へと足を踏み出すことに──

 

 

 という、これまでの2作から大きく飛躍した新しい展開を迎えそうなエンディングとなりました。

 

© 2014 – Lionsgate
これで世界は私のもの………のはず

 

「おやっ?」と感じたところ

 最後に映画の内容そのものとは関係のない話をひとつ。

 といってもこれは具体的には書けないのでもどかしい表現となってしまい、誠に恐縮なのですが…

 

 映画を純粋にエンタメのひとつとして楽しむことはちっとも間違ったことではありませんし、それが目的なのだから余計なことを考えないでただそれを楽しむ──というスタンスでもちろん構わないとは思っています。

 

 ですがハリウッド映画ではとくに顕著ですが、明確な目的のもと、何かしらの大きな権力や国家的政策といったものの力によって、ただ見ていただけでは気づかないようなほんの些細な箇所にもある種の印象操作がされていたりします。

 

 例えばですが、人体に深刻な影響を及ぼすことが分かっているため欧州ではとっくに輸入が禁止されているアメリカ某M社の遺伝子組み換え食品をなぜか日本だけがガンガン輸入し、私たちが毎日食べる食材にたっぷりと使われ少しずつ身体に毒を入れられているわけですが、もちろんそんなことテレビでは一切報じません。種子法についてもまた然り。

 

 で、ネットも普及してSNSを使ったメディア以外からの情報発信が当たり前となった現代、少しずつでもこういった隠された悪事が暴かれ広まっていくことをその利権を貪る側は嫌がるわけです。

 

 するとあるときから急に、映画やドラマなどでパンの美味しさを広めるような作品が作られたり、有名人を使ってのイメージ操作「小麦粉が健康に良い理由」などといったことを“専門家”に語らせたり、はたまた災害時にパンが人々の命を繋いだ──みたいな美談をやたら伝え出したりといった現象が世に出てきます。もちろんステマで、です。

 

 それを見た人たちは「あぁやっぱりパンって美味しいよね、しかも身体にもいいんだって。そのうえ災害に備えての備蓄にも向いてるなんて最高だね!」と思ってしまいます。悪党を作ることも善人を作ることもとっても簡単なんですよね。

 分かりづらくて本当に申し訳ありませんが、いろんな映画で今作と同じ印象操作は見られます。もし気づいたら今度から注意して見てみてください。

 ちなみにわざと外した例えを出していますので、食べ物がどうとかっていうことではないです。「印象操作」「悪党を作ることも善人を作ることも簡単」この2点がポイントです。

 

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