いよいよ核心へ
ですが別れのときが近づくにつれ、ふたりはこれまでの9年間の真実を語り出します。
9年前、なぜふたりは再会できなかったのか──それは誰も責められない仕方のないもので、あの場所に行けなかったセリーヌにとっても辛いものだったわけですが、それを理解したうえでもジェシーが「君がもし来てくれてたら、運命は変わってたのに」と自身の気持ちを吐露したところから、お互いの「本当の9年間」が曝け出されてきます。
結婚して子どもがいて、息子を心から愛しているものの夫婦の間には愛がないというジェシーと、色々な男と付き合ってきたけれど、誰も自分にプロポーズすることなく別れ、そのあと彼らは皆結婚していったというセリーヌ。それはつまり、お互いに「自分の運命の相手」は誰なのか知っていて、他の誰と一緒の時間を過ごしても9年前のあの幸せだった時間を埋められなかったということなのでした。
それをお互い(直接的であっても間接的であっても)白状したあとでも、なおも「分別ある大人」の殻を破れないふたり。
でもセリーヌのアパートに車が着き、このままだといよいよ後がなくなるというあたりから、ようやくその殻は破れ始めます。
ここからエンディングまで、ふたりの表情と視線、台詞の間などは本当に見物です。2回目以降の鑑賞だとふたりのスイッチが入るタイミングなんかも分かってきてすごく面白いと思います。ぜひこの辺を注意して見ていただきたいです。
ずっと話しっぱなしだったふたりがほとんど会話をしなかったのが、セリーヌの部屋へ向かう階段を昇っていくときです。改めて見るとこの時にはすでにふたりは「あのエンディングでの結末」を心に決めていたんだろうな、というのが分かります。あとはどうやってそれを言い出すか。別の良い方をすれば、あとは「そうなることへの言い訳を作る」ことだけです。
ジョークも対等、そして噛み合っている
上にも書いた「対等な会話」はジョークのぶつけ合いでも見られます。
ジェシーは自身がたびたび見るという夢(目の前をセリーヌが乗った列車が何度も何度も通り過ぎる、というもの)の話とともに「君が来なかったあの日、僕は心をベッドに置いてきた」と、ついにセリーヌに対する本当の気持ちを車の中で白状したシーンのあと、セリーヌに「さっきの夢の話は気を引くための作り話?」と聞かれて「作り話さ よく使う手だ」と返します。
対するセリーヌも自作の英語曲のひとつで、ジェシーと過ごした一夜がどれだけ大切なものだったかを歌った“ただのちょっとしたワルツ”『A Walts for a Night』を披露したあと、ジェシーに「あの名前、相手によって変わるの?」と聞かれて「当たり前よ あなたの歌だと思った? バカね」と返します。(この返し大好きw)
もちろん、どちらもそれが相手の本当の気持ちであることは分かっていてそんな軽口を叩いているわけですが、言われたほうもすぐさまそれに乗っかって返すあたりの噛み合い方がとにかく相性ぴったりで、見ていて気持ちいいです。ジェシーの妻は当然のこと、セリーヌの歴代の彼氏もきっとこんなツーカー(死語?)の関係にはなれていなかったんだろうなと思います。
エンディングまでの行動
部屋に向かうところでお互いすでに「分別ある大人らしく、見送ってお別れ」する気など全くないのは間違いないのですが、それでもストレートに自分の欲求(=今度こそ一緒にいたい)を伝えることはしないふたり。しないのか、出来ないのか。でもどちらにしてももう気持ちは固まっています。
じゃあどうするのか──というのがこの「セリーヌの部屋でのシークエンス」の醍醐味ではないでしょうか。ここでの台詞、視線、行動や動き、それら全てが本当によく練られていて素晴らしいです。もしDVDを持っていたり録画したものがある方は何度か見直してみることをおススメします。ある程度の年齢以上の方であれば、この大人のやり取りの面白さやリアルさをきっと分かっていただけることと思います。個人的にはもうこれ以上ないだろうという、最高のエンディングでした。
これを観に行ったとき、映画が終わって照明がついた頃に近くの20代前半くらいと思われるカップルの男子が「(プハー)分かんねぇ~」と言っていて、映画の二人とほぼ同世代の自分は「あ、そうか、そういうものなんだ……」と世代間のギャップを感じたとともに、自分自身もまた9年前(正確には10年前)に前作を見たときの年齢ではないのだという当たり前の事実を突きつけられたような気になったのを覚えています。
まぁでも、今振り返ってみればこれを観た当時なんてまだまだ若くて何でも出来た時代だったんだよなー(笑)。
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