【中年からはじめる外国語学習】日記016 どうやら言語交換サイトでメンターを得たらしい

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今年に入ってからもう少しちゃんと英語を勉強しようと思い、自分のレベルに合う学習動画と本(これらについてもいつか書きたいと思っています)の両方を使って毎日コツコツ一時間くらい基礎的なことから勉強し始めていたものの、何だかんだと「時間が取れない」という言い訳を自分自身にするようになり、本を開くこともほとんどなくなっている今日この頃…

ですが有難いことに、ここにも何度か書いている言語交換サイトで知り合ったドイツの方と、毎日どちらかが送るというペースでテキストのやり取りをしているので、一応ほぼ毎日英語の読解と文章作りの勉強はしていることになります。

おかげで、一年前はシャレにならないレベルで英文法を理解していなかったのが、少しずつ自分が言いたいフレーズが英語で出てくるようになってきています。と言ってもまだ中学英語からやり直さないといけないレベルなのですが(笑)。

毎回最初に自分で考えてから、単語は辞書で調べ、文法はググり、さらにGoogle翻訳も使って間違いがないかを何度も確認してから送る──などという面倒なことを経て送っています。リアルタイムでの連続したやり取りなら間違っていてもスピード重視で送りますが、幸い一日一回ペースなので…。

なおGoogle翻訳はやはり怪しいので(笑)、辞書・検索と合わせて複合技で調べてやってます。

こういったことをほぼ毎日続けていると、自分のような初心者レベルでもさすがに蓄積はされるもので、話せることが増えていくと嬉しくなります。

 

 

…というわけで本題に入りますが(相変わらず前フリが長い…w)、今やり取りしているドイツ人女性、去年までは何というか、良くも悪くもスイーツ系というかお花畑系というか…そんな感じの印象だったので、自分の英語力が低くてうまく伝わらないことも相まって正直やり取りするのが辛くなっていました。(今思えば、単に自分が偏った見方をしていただけでした)

それに加え、美人仕事も成功していてプライベートの時間も有意義に使い、さらに趣味も充実していて……なんていう完璧超人みたいな人なので(ちなみに子持ち)ますます毎日会話するのがしんどくなってしまい(笑)、正月の挨拶を期にメッセージを送るのをやめていたのでした。

それでもその後ひと月ほど経ってから、とある理由でメッセージを送ってからまた連絡を取るようになり、なぜか以前よりいろんな会話をするようになって現在に至るのですが、最近になって、実は彼女こそが自分のメンターなんじゃないかと思うようになりました。

 

「メンター」というのは、自身にとってよい影響を与えてくれる存在、良い助言をしてくれたり指導してくれるような存在の人のことを差す言葉のようです。

 

少し前まで私はこの「メンター」という言葉も、そういった存在を持つということについても肯定的ではありませんでした。(否定的とはではいかないまでも)

それまでは「自分を高めるための教えや気付きは自分から探しに行って、いろんな人・いろんなところから正しいと思うことだけを受け取って学ぶつもりなので、誰か特定の個人を上から下まで全部崇めるつもりはない」というスタンスだったのですが、今はとりあえず「食わず嫌い」をやめ、一旦色んなことを受け入れてみようという方針で生きていますので、全く嫌な印象は持っていません。そしてそのスタンスでいるようになったら、それまで視界のどこかにはあったはずなのに見えていなかった色んなことを知ることが出来て、楽しくなってきました。

そんな中で気付いたのが私のペンパルの存在です。ってか「ペンパル」って死後ですかね…

 

  • ヨーロッパ人らしく休暇はしっかり取るけども、ドイツ人らしく(?)仕事もしっかりやる。
  • 家族がいて今も十分幸せに暮らしているけど、ビジネスの野望みたいなものがあっても持っている。(Wワークらしい)
  • 何でも出来て成功しているように見えるけど、それでも弱気になることもあって、そんなときは信念としている言葉を自身に何度も言い聞かせて奮い立たせ、頑張っている。
  • 長く続けている趣味があって、その仲間との交流も楽しそうで、しかもその趣味がかなり本格的
  • スマホで東洋人(何人いるのかは知らないけど私がその一人w)とテキストで会話する現代人ではあるが、昔からの素朴な文化や自然、そして田舎の生活を大事にしている。
  • 忙しいだろうに返事はちゃんとくれるし、気遣いもできて常に優しい。しばらくメッセージを送らなかったのに以前と同じように接してくれる。

 

…といった感じの方です。

具体的なことは書けないのですが、例えば自分がいいと思っていること、正しいと思っていることが必ずしも正解ではないことに気付かせてもらったり、自分自身に対して「許可すること」と「認める」ことの大事さとか素晴らしさみたいなことを、日常の会話の中で教えてもらっている気がします。

この「自分に対して許可すること(例えば「自分は幸せになっていいんだ」とか)」「自分を認めること」というのは、スピ系とか自己啓発系の教えの中でよく言われていることですが、日本人はきっとこれが出来ていない人がすごく多いというか、謙遜と自己犠牲が染み付いている私たち日本人にとって、これを自然に出来るようになるのは結構難しいことなのではないかと思います。

なんでこんな「良く出来た人」が自分にコンタクトを取ってきたんだろう…と少し不思議な気もするのですが、きっと「それと似たものが引き寄せられる」という法則によって知り合えたのだろうと勝手に考えています。

自分が「同じレベルの良く出来た人」という意味ではありません。自分がそういった人を受け入れ、素直に学ぼうという状態になったから引き寄せられたのだと解釈しています。と同時に彼女にも、自分と知り合うことで何かプラスになるものを与えられるようになりたいと思っています。

ちなみにこの方への印象が大きく変わったのは上にも書いた「彼女が信念としている言葉」が、私もこれは真実だと思っているとある著名人の名言だったのを知ったからですが、まさか言語交換サイトで知り合った(ろくに言葉も通じない)人からこんなふうに人生の学びを得ていくことになるとは全く考えていませんでした。

最近ツイッターを見るのもやめて、ついにSNSからほぼ完全に解放されたのですが、自分にはこういう狭くて深い(深い…のか?? 笑)人付き合いのほうが性に合ってるなと改めて感じました。

YouTubeは中毒レベルで見ていますけど(笑)。

 

 

 

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