ピエールとイザベルの関係
一方のピエールはというと、イザベルと出会い一緒に暮らすと決心するあたりまでは、イザベルに対して、というか「姉」というものに対して特別な思いがあったわけではなかったように思われます。
ピエールを動かしたものは、
などの要素だったのではないでしょうか。
もしも全てが思惑通りに事が運び、ティボーの協力も得られて金銭的に問題なくパリで生活していけたのなら、一体ピエールはどうするつもりだったんだろうと気になりますが(ずっとイザベルを妻ということにして生きていくつもりだったのか、など)、実際には初動から大きく躓き、協力してくれる者もおらず、自分たちへの世間の厳しい扱いに徐々に打ちのめされていきました。
それに追い討ちをかけるようにミハエラが死んでしまうという不幸(医者に連れていくことも出来ず、さらに死ぬ原因はピエールが動物園で言った言葉にあった)が重なり、ひどく落ち込んだピエールは彼を慰めるイザベルと体の関係を持ってしまいます。
ここからピエールとイザベルの関係は姉と弟という枠から外れ、かといって男と女の愛で結びついた関係というわけでもない曖昧なものとなり、同時に共依存的な面も帯びてくるようになります。
イザベルがセーヌ川に飛び込む直前に
と悲痛な叫びを上げれば、ピエールも自殺しようとしたイザベルの行為を
と自らを責めます。それでもイザベルは朦朧とした意識の中でずっとピエールの名を呼び続けますし、ピエールも病室にいたイザベルにティボーが会いに来たことについて
と、おぞましくも醜い執着の言葉をイザベルに浴びせてしまいます。
相手を不幸にしていると自覚しつつも相手を求め続ける女と、相手を労りたいと思いつつも執着によって傷付ける男……
あぁ…これは完全にダメなパターン………
ちなみに小説のピエールはイザベルと出会う以前から「姉」という存在を渇望しており、「姉さん」と呼ぶ美しい母親やルーシーという婚約者がいても満たされない何かを「姉」というものに求めているような男でした。
そのため、イザベルとの出会いはある意味必然と言えるものであり、「尊き天使(みつかい)」と表現される金髪・碧眼で白い肌のルーシーと対をなすかのような、魔力じみた美しい黒髪に黒い瞳、浅黒い肌の「悪しき天使(みつかい)」イザベルは、光の中に生きる母とルーシー(そして自分)にはない神秘の存在だったのでした。
そんな神秘的な魅力を持ったイザベルがずっと渇望していた自分の姉だったということで(真偽は不明でも)、彼女に対するピエールの感情は、姉弟の愛とか男女の愛とかいった世間一般の尺度では計れない、それでいて抗うこともできない不思議な力に飲み込まれていったように感じられました。
かたや映画『ポーラX』のピエールとイザベルには、そういった設定はされていませんでした。
ふたりが(というかピエールが)足の着かない深い濁流に飲まれるかのように全てが悪い方向へと堕ちていったことで、彼らは“普通に”生きてゆくためのルールやモラル、常識といったもので成り立っているこの世界から放り出されていきます。
そんなギリギリの場所で一緒に生きていくふたりの「愛」がどのような形の「愛」なのかは、もはや意味をなさなくなっていたのでしょう。
そんな、暴力的なまでに残酷にこの世界から堕ちてゆくピエールとイザベルには、はたして心から幸せだと感じるときがあったのだろうか…。
そう感じられる場面は宿に身を落ち着けた直後くらいで、楽しそうな笑顔が見られたのもみんなで食事をしてお酒を飲んだ中華料理屋での夜だけでした。そう考えるとあまりの幸薄さに改めて悲しくなってきます。
また映画の中で幾度となく走るイザベルですが(女たちに向かって走っていた過去3作のアレックスたちとは逆ですね)、ほとんどはピエールから逃げるか、逆にピエールの身を案じて彼の元へ向かうときだけであり、どちらも必死で走っていました。
例外は動物園に行ったときで、イザベルがピエール以外の何かに向かって走ったのは唯一ここだけです。こういう場面がもう少し見られたら「ふたりにも幸せと感じるときがちゃんとあったんだな」と思えるのでしょうが。。。
くどくて読みづらい文章となりましてスミマセン(笑)。
④へ続きます。
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