先に行く者、追いかける者
人よりもちょっと早い人は追いかけてくる存在に気付かず、また人よりもちょっと遅い人はいつも追いつかない──
「人よりワンテンポ早い」ヤン・シャオチーと「人よりワンテンポ遅い」ウー・グアタイには、それまでに二度、ふたりの人生が交わったときがありました。ですがそのどちらでも、追いかける側であるウー・グアタイが何か行動を起こしたときには、ヤン・シャオチーはすでに手の届かないところへ行ってしまった後でした。
映画の中ではそれぞれの特徴を「人より早く歌い出す」「ジャンケンでいつも後出し」「徒競走でフライング」などの瞬間的な行動を挙げて説明していましたが、退院したウー・グアタイが彼女と会えなくなったこと(手紙の宛先を私書箱宛てにしていたため)や、高校生の頃に再会したときも手紙を渡す前に彼女が引っ越してしまったことも、ふたりが「常に早い」「常に遅い」ことに対してのメタファーなのかなという気もしました。
出会いからゴールまでを導くキーワードと伏線
またふたりが出会った二度の機会は、それぞれどちらかが家族を失うという「喪失」が伴いました。
最初の出会いとなった子ども時代ではウー・グアタイが両親を事故で亡くしており、二度目の出会いとなった高校時代ではヤン・シャオチーの父親が蒸発してしまいます。
最初の出会いで仲良くなったふたりは文通という手段で交流を持ち続けようとしましたが、
としていたため、ほどなくして文通は途絶えてしまいました。住んでいた街から私書箱がある郵便局まで手紙を取りにいくことは子どもだったヤン・シャオチーにとっては距離的に無理だったからです。
そして二度目の出会いではウー・グアタイが手紙を書いて直接ヤン・シャオチーに渡そうとしますが、このときは父親が蒸発してしまったことで彼女は母の実家へ引っ越すことになり、ここでもすれ違いとなってしまいました。(このときヤン・シャオチーは、ウー・グアタイと子どもの頃に知り合っていたことはすでに忘れています)
このふたつの出会いと、ふたりに振りかかった大きな喪失──これらの出来事がどのように物語の結末に繋がってくるのか、もしくはちゃんと繋がりを持たせた展開となるのか、振り返ってみると今作が素晴らしい作品となるかどうかのポイントがここにあったように思います。
この『1秒先の彼女』はそういった重要な要素や伏線が矛盾なくストーリーに織り込まれていて、バラバラになったパズルがあるべき場所に並べられるようにちゃんと答え合わせされていきます。それが見ていてとても気持ち良く感じられたんですよね。そういう緻密な辻褄合わせがあってこその、あの感動的なエンディングだったのかなと。
話の辻褄が合わなかったり、いかにも思わせぶりに登場させておきながら実はとくに意味は持っていなかった──という要素があったり、伏線が全然回収されてなくて投げっ放しで終わるような適当なストーリー構成だとせっかくの笑いや感動も興醒めしてしまいますからね。
二度あった出会い
きっかけはふたりが子どものころに起きたひとつの交通事故でした。
このときに失われたのはウー・グアタイの両親。はじまりはここですが、亡くなってしまった命は返ってきません。勝手な解釈で言わせてもらえるなら、小さな息子を残して不慮の事故であの世へ旅立ってしまった両親がせめて今世に願うことはただひとつ、
息子の幸せ
なのではないかと思います。このことが後の(勝手なw)考察でのポイントとなります。
そして、この事故でウー・グアタイはヤン・シャオチーと出会います。明るいヤン・シャオチーに元気づけられ、ふたりはここで仲良くなりますが、重傷で長く入院するウー・グアタイ(退院するのが「遅い」)に対し軽症だったヤン・シャオチー(退院するのが「早い」)は先に退院しお別れとなります。
そのためふたりは文通をしようということになり、ウー・グアタイはヤン・シャオチーに自分が持っている「私書箱の合鍵」を渡し、ここ宛てに手紙を送って交流を持とうとします。しかし先述の理由でふたりの交流は途切れてしまうのでした。
それから時は過ぎ、二度目の出会いとなったのが高校時代でした。しかしちょうどこのときヤン・シャオチーの父親が突然失踪してしまったためにヤン・シャオチーは引っ越すこととなり、ふたりはまたしてもすれ違うことに。
なおこのときヤン・シャオチーはウー・グアタイに遭遇したことも覚えておらず、当然その彼が子どもの頃に仲良くなった相手であることも忘れています。そんなヤン・シャオチーは引っ越しの準備をしていたときに「私書箱の合鍵」を手にしますが、それが何なのかは思い出せず、その鍵の存在もまた記憶の奥底へと消えていったのでした。
失くしたものを探す旅
ヤン・シャオチーの1日が消えた翌日、彼女の前に手がかりとなりそうな「いつもと違う何か」が現れます。
写真屋の店主に、①の写真を持ち込んだ人が「顔を腫らしたグアタイという名前の男」であることを突き止め、この日も郵便局にやって来た“変人”の顔がボコボコに腫れていたこと(②)を思い出すヤン・シャオチー。
帰宅した夜、ブレーカーが落ちて真っ暗になった部屋のクローゼットから物音がしてビビりながら扉を開けるとヤモリのおっさんが現れます。1日が消えた彼女はヤモリから「自分が失くしたもの」のひとつであるらしい何かの鍵(③)を受け取ります。
その鍵(③)に付いていた番号と、毎日切手を1枚だけ買いにやって来る“変人”が送っている手紙の宛先(②)から、それが私書箱の鍵であることを突き止めた彼女は、写真(①)の背景をヒントに目星をつけた土地の郵便局をしらみつぶしに訪れ、ようやく鍵が合う私書箱を見つけます。
そしてその中に入っていた手紙の中に書いてあった「秘密基地」(写真が撮られた場所)へ向かい、あの写真がどのようにして撮られたのか、というひとつの謎をヤン・シャオチーは解き明かすのでした。
このあとはウー・グアタイのパートへと移りますが、おそらく私書箱に入っていた他の手紙を読んで彼女はウー・グアタイとのことを知った(思い出した)のでしょう。彼女がのちにそこの郵便局に転勤していたことからそのことが推察できます。
そしてこの先のウー・グアタイのパートで、ヤン・シャオチーの視点では見えていなかったここ最近の出来事とその裏にある真実、さらに消えた彼女の1日の謎とウー・グアタイとの繋がり──いつ出会って、どういう関係だったのか──それら全てが明らかになるのでした。
さらに「ワンテンポ早い人」と「ワンテンポ遅い人」であるふたりが体験した不思議な“調整”のこともここで判明し、それがどのようなものであるのかを私たちは知ることとなりますが、なんとそこにヤン・シャオチーの父親の生存確認と失踪した理由、そしてヤン・シャオチーの父親もまた「ワンテンポ遅い人」であったこと、彼も今のウー・グアタイと同様に止まった世界を体験した男であったことも判明します。
この辺りの伏線の回収はまさに痛快そのもの、といった感じでした。うわー! そうなるのか~〜、と。
「キーアイテム」となった鍵をはじめとする幾つかの要素
ふたりの出会いからエンディングでの感動の再会までを導くこととなったいくつかの「キーワード」「キーアイテム」について見ていきます。
それは「時間の流れが人と違う」「交通事故」「親の喪失」「鍵」そして「郵便局」といったような要素です。
自分のライティング能力の低さのためにうまく伝わらないかもしれませんが(笑)、この物語の流れって本当によく出来たプロットなんですよね……。
こうやって書き出してみると「時間の流れが人と違う」「交通事故」「親の喪失」「鍵」「郵便局」といったようなキーワードが、ふたりを始まりからラストの再会へと導くための不可欠な要素としてしっかりと絡んできていることが分かります。
あとこれは完全に個人的な考えなのですが、それまでワンテンポ遅いことで彼女に届かなかったウー・グアタイが(もちろん彼女がワンテンポ早いことも関係していると思います)、交通事故に遭って松葉杖を付いていることでさらに遅くなり、そのためにヤン・シャオチーがトイレ休憩を終えて戻ってくるほどにタイミングが(いい意味で)ずれ、その結果すれ違うことなく無事に再会出来た──という解釈もできるのではないかと。
もしあのときウー・グアタイの足が完治していたら、ここでもタイミングがずれてしまって彼女が休憩に行っている間に郵便局に着いていたんじゃないのかな…と思います。
そこで先ほど書いた、もうひとつの勝手な解釈である、
ということも、この一見解りづらい奇跡に作用していたのかなぁと。そしてそこには娘の幸せを願うヤン・シャオチーの父親の想いもまた作用していたのかも……なんて勝手に想像しています。2度目の交通事故でもウー・グアタイが死ななかったこと、そして彼女のもとへ向かうときにまだ足が完治していないことも、きっと本人の運だけではないはず……
comment