映画『シング・ストリート 未来へのうた』【ジョン・カーニー監督:音楽3部作③】──“すべての兄弟たちに捧ぐ”

ENTERTAINMENT
スポンサーリンク

スポンサーリンク

兄の内面

 

© GAGA Corporation. All Rights Reserved.

 

 そんなコナーの師匠的存在であったブレンダンが、はじめて自身の苦悩や抑えてきた感情を表に出す場面が出てきます。

 

 「人生を立て直すためにハッパをやめてるんだ」というブレンダンに対する「今さら?」というコナーの台詞に、ずっと引きこもりで人生諦めてるような様子の兄を、コナーも「もはやそういう人」として見ていたことが分かります。

 

 そのコナーの一言で、これまで抑えていた感情をついに爆発させるブレンダン。このシーンはかなりグサッときました…。兄や姉の立場でこのブレンダンの気持ちがよく分かる、という方もいるでしょうし、自分のように弟(そして末っ子)や妹の立場・コナー目線でこれを受け止める方も心が痛むところです。

 

 

今はこんなでも昔はまともで、輝いていた時代があった──

ギターもずっとうまく弾けて、いい女と寝て、200M走では全校一。

 

「末っ子のお前は、“イカれた家族”って密林を、俺が切り開いた後を歩いた」

(親たちは)20台後半から異常な状態で、愛なんてなかった。その間で俺は6年間、1人──

そしてその後に生まれたお前が辿ってきた──

 

俺が切り開いた密林の道を、俺の気流に乗って

「なのに俺は笑い者の落ちこぼれで、お前は褒められる」

「だが、かつては俺がジェット気流だった」

 

 

 コナーはここで初めて、この家の中で子供が経験するつらいことの多くを兄が受け止めてきたことで、(両親の問題が表面化した今回まで)自分はそれを経験せずに生きてこられたということを知ったのでしょう。

 

 コナーも泣いていましたが、見ている自分もいろいろ思い出すものがありました。ただし、弟というものも実はどこかでそれに気付いたりするものだったりするんですけどね。その気付いたときの心の痛みをここでまた追体験するという……もちろん一番下の立場だから経験するつらいこともあったりしますのでケースバイケースなのでしょうけど。

 

捨てキャラがいないバンドメンバー

 

 前作の『はじまりのうた』でもバンドのメンバーは個性的でよかったのですが、今回は学校内で組んだバンドということもあり、さらに濃い結びつきとなっていてそれぞれキャラが立っているところも面白いところです。

 

 “校内コンサルタント”らしいダーレンは、頭のいいタイプで(勉強が出来るという意味ではなく)、ちっこいけど自分の強みをちゃんと分かっていてふてぶてしいところが頼もしいのですが、よく見るとセーターがヨレヨレで穴も開いてて縫い直した跡もあったり、家に電話がないということからも貧しい家庭の子のようです。(いじめっ子のバリーと同じアパートらしい

 

 また「黒人がいるとバンドにハクが付く」という理由で勧誘されたンギクは、いきなり知らない奴らが押し掛けてきて、割と失礼なアプローチでバンドに誘ってきたにも関わらず満更でもない様子からすると、彼もこういう仲間が欲しかったのかもしれません。最初のMV撮影のとき、なんとかカメラに映ろうと立ち位置を変えて割り込んでくるところが実に微笑ましい(笑)。

 

 メンバー募集の張り紙を見てやってきたギャリーとラリーは、何者が分かりませんがやたらと上手く、ベースのギャリーがまたこてこてのアイリッシュ顔というか、ギャラガー兄弟(とくにノエル)とかと同じ老け顔タイプなのもなんだか妙に目につきます。

 

 そして何と言ってもこの「シング・ストリート」はエイモンの存在があってこそ成立するバンドであり、ロックバンドの王道コンビでもあるボーカルとギターの組み合わせが見ていて心地いいのです。このエイモンとの曲作りのシーンは、“思春期での友達の存在”といったものを非常にうまく表現されていたように思います。シンプルで、対等で、そして認め合っていて…。いやはや、懐かしくも美しい日々。そんな時代が自分にもあったなぁ…なんて思った方もいるのでは。

 

 

 今と違ってSNSはおろかケータイもない時代なのでアポなしで押し掛けるのなんて日常茶飯事だし、当然家にいたほうの友達も普通に招き入れることが多かったです。

 

 

 今だったらどこにいたって誰とでもやり取りできるし、ネットでしか知らないような人と話すことだって簡単に出来るけど、この時代は家にいたら家の中が世界の全て。外との繋がりなんてありませんので、学校以外で友達と過ごす時間は貴重なものでした。ただ漫画や雑誌を読んだりゲームしてるだけの時間もすごく楽しかったっけ…なんてことを思い出させてくれるいい場面です。

 

 ダーレンがコナーにエイモンを紹介するところからバンドは始まっていきますが、メンバーが揃ってバンド名が決まったときに“たまり場”から意気揚々と出てくるこやつら。まだ何もしていないのにもう何か成し遂げたかのようなあのドヤ感(笑)。でもその気持ちはよく分かります。ただの少年が何者かになった瞬間なんでしょうね。

 

 あとでこれと同じような場面がもう一度出てきます。初ギグに向けていじめっ子のバリーをローディに誘って、それに乗ったバリーとコナー、ダーレンの3人がアパートを後にするシーンがそうですが、これも彼らにとってすごく重要な瞬間ですよね。敵対するだけの関係から、驚くほど自然で理に叶った方法で仲間になっていくというだけでなく、ともすれば悪役としての役割しか与えられずに終わっていたかもしれないバリーを、彼の境遇が原因となっている暴力的な部分にも優しい目を向けて、一緒に救い出してやるなんてニクい演出です。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のビフとは違うわけですね。実際ローディとしてなかなかいい仕事をしているところを見ると、人っていうものは仲間として迎えられ、自分に向いた仕事を与えられれば変われるってことなのかもしれません。

 

 

comment

  1. 伊藤ひさ子 より:

    ありがとうございます〜〜フェイスブックでシェアさせていただきました♪
    ⬇︎ ⬇︎ ⬇︎
    ジョン・カーニー監督の3部作やっと最後のまで観ましたw
    音楽良いね好きなことにかける情熱とか、家族とか、脇役も最高に味があって久しぶりに「映画って、音楽って泣けるぅ」って感動。2を観て「兄に捧ぐ」ってエンドロールが気になって検索したらこのサイトに。めちゃええ批評するやん♪気になる脇役の解説や裏話や個人的な感想もうなずけるとこいっぱいでした。「ジェネシス聞く彼氏は敵じゃない」に吹き出したら同じこと書いてはったし。てことで作品みたあと、この人のサイト必ず読んでね〜〜

    • 伊藤さま

      ありがとうございます〜!
      『はじまりのうた』で割と唐突に「兄に捧ぐ」と出てくるから気になったんですけど『シング・ストリート』を見て、監督にとっていかに兄が大きな存在だったのかが分かって感動しました。
      何より3作通して音楽・映画ともに素晴らしいって相当すごいことだなぁと思いました。
      この映画が好きな方に読んでいただけて嬉しいです。

タイトルとURLをコピーしました